平治の乱を制した平家は、後白河法皇の絶大なる信頼を背景に、自らの勢力を拡大し、一時は、日本国60余州の半分を制しました。平の時忠は、”平家にあらずば人にあらず。”と高言し、皇家さえも手中にしようとする清盛公に、さすがの後白河法皇も我慢ならず、その上、平家の公達の横暴なる振る舞いが重なって、市民の人気も次第に凋落、終には、源氏の再興を促す事となり、砂上の楼閣が波に曝されて崩れるように、自ら滅んで行ったのです。源氏物語と並び称される、日本の代表的な古典で、12巻・120話にて構成される一大合戦記です。
物語の低辺には、法然上人の唱えられた浄土信仰が流れており、一の谷や、壇ノ浦で討たれて散った平家の公達(きんだち)への”鎮魂歌”だと云われる由縁でもあります。
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