信濃の姨捨というところが、私に妙に気になり出したのはそれからのことである。
私はその頃から仕事の関係で旅行する機会が多くなり、信濃方面にも年に何回となく出掛けるようになったが、中央線を利用する時は、丘陵の中腹にある姨捨という小駅を通過する度に、そこから一望のもとに見降ろせる善光寺平や、その平原を蛇の腹のような冷たい光を見せながらその名の就如く曲がりくねって流れている千曲川を、他の場所の風景のように無心には眺めることができなかった。また信越線に依る時は、列車が逆に中央線から眺め渡した低い平原の一部を走るので、戸倉駅附近になると、窓越しに、僅かに屋根の赤さでその存在を示している姨捨駅を向かい合っている丘陵の斜面に探し出し、その附近一帯を、あの辺りが姨捨なのかといった一種の感懐をもって、眺め渡すのが常であった。
勿論、私は観月の場所としての姨捨には殆ど関心らしい関心は持っていなかった。信濃の清澄な空気を透して、千曲川、犀川を包含した、萬傾一碧の広野に照り渡る月の眺めはなるほど壮観ではあろうと思ったが、戦時中満州の荒涼たる原野に照る月を眺めた私には、姨捨の月がそれに勝るものであろうとは思われなかった。
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