▼『荒城の月』の詩人、土井晩翠(どい ばんすい)が生まれた仙台市は毎年、東北を中心に小学生の詩を募る。「晩翠わかば賞」である。昨秋の第48回で佳作となった作品に「おかあさん」がある
【荒城的月】的作者,诗人土井晚翠的出生地仙台市每年都要募集以东北为中心的小学生的诗。那是【晚翠若叶赏】。去年秋天第48届的优秀作品中有一篇叫【妈妈】的作品。
▼〈おかあさんは/どこでもふわふわ/ほっぺはぷにょぷにょ/ふくらはぎはぽよぽよ/ふとももはぼよん/うではもちもち/おなかは小人さんが/トランポリンをしたら/とおくへとんでいくくらい/はずんでいる/おかあさんは/とってもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい気もちいい/ベッドになってくれる〉
〈妈妈啊/哪里都是软软的/脸蛋是嫩嫩的/腿肚子是松松的/大腿是肥肥的/手腕是粗粗的/肚子里有个小孩似的/跳一下蹦床/就像是要飞去远方/再弹回来/妈妈啊/非常的柔软/我轻轻的抚摸她/暖暖的很舒服/还会让我当床〉
▼きっとふくよかであろう、優しい母の笑顔が浮かんでくる。作者の西山拓海(たく・み)君はおととい、青森県八戸市(はちのへし)の家で9年の生を閉じた。電気コードで首を絞めたと認めた母親(30)が逮捕された
那肯定是一个胖嘟嘟的妈妈,脑子里浮现出一个温柔的母亲的笑脸。作者西山拓海君在前天,在青森县八户市的家里结束了9岁的生命。承认用电器线勒死儿子的母亲被逮捕了。
▼何度も抱きしめてくれた「もちもちのうで」が、この朝は凶器だった。パジャマ姿で息絶えた子に、「おかあさん、なぜ?」と問う間はあるまい。詩にあふれる濃密なスキンシップとの落差に、言葉を失う
多少次抱起我的那【粗粗的的手腕】,这次却成了凶器。穿着睡衣气绝身亡的儿子,连问【妈妈,为什么?】的时间都没有。对于和诗中充满的浓浓的母子之情之间的落差,我无语。
▼先月の修了式の日、楽しく語らい下校する親子の姿があったという。母は何を思い、わが子を手にかけたのか。最後の最後に、幼い言葉が刻む「肌の記憶」を呼び戻せなかったものか。あれこれ考えてはみても、胸が詰まるばかりだ
说是上个月的结业式的那天,有着愉快的谈笑着放学的母子的身影。母亲到底是怎么想的,亲手将自己的孩子杀死的呢。最后的最后,怎么会没能唤回刻画着年幼的话语的【肌肤的记忆】呢?左思右想,胸中憋闷,说不出话来。
▼ふわふわの感触とは相いれぬ、むごい現実にさらされる子は拓海君だけではない。早すぎる旅立ちに携える残像が、最愛の人の恐ろしい形相では悲しすぎる。おかあさん、おとうさん、ころさないで。そう念じて、いま一度、ひらがなの連なりをたどる。
和软软的触感相反,饱受凄惨的现实的孩子不只拓海君一个。让他过早去世的余象,最爱的人的恐怖形象太可怕了。妈妈,爸爸,不要杀我。祈祷,再次,让他回到这个和平假名联系着的国度。 |