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楼主: asuka0226

[好书推荐] 甲賀忍法帖 (山田風太郎忍法帖1)

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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:22:04 | 显示全部楼层
     【二】


 甲賀弦之介は、なお盲目であった。
 そしてまた、心も無明の闇をさまよっていた。すでに彼は、伊賀に挑戦状をなげて、四人の配下をつれて甲賀を旅立った。なにゆえ|卍谷《まんじだに》と|鍔《つば》|隠《がく》れ争忍の禁をといたのか、大御所の意図を知るためだが、伊賀の追撃は覚悟のまえであった。そのとおり、伊賀一党の七人が追ってきた。――
 そのうち、伊勢で|簑《みの》|念《ねん》|鬼《き》と|蛍火《ほたるび》を討ち、桑名の海で、味方の|霞刑部《かすみぎょうぶ》は|雨《あま》|夜《よ》陣五郎を殺したようすだ。そして三河の駒場野で薬師寺天膳と筑摩小四郎を|斃《たお》し――いま、彼のもつ人別帖にのこる伊賀の忍者は、朧、朱絹のふたりにすぎない。けれど、敵の人数が少なくなればなるほど、そくそくとせまるこの悲痛の念は、なんとしたことであろうか。
 朧だ。にくい朧だ。が……もし、朧と|刃《やいば》をまじえる日がきたとしたら?
 歯ぎしりしてもふりはらえぬその恐れと惑いの波を、敏感に配下のものどもは看取した様子だ。霞刑部など、いちはやく勝手に別行動をとって、雨夜陣五郎をたおしたものの、おのれもまた殺された。そして|室《むろ》|賀《が》|豹馬《ひょうま》は駒場野でじぶんをまもるために、筑摩小四郎に討たれて死に――いまや、人別帖にのこる甲賀組は、じぶんを入れて三人。
 しかも、その如月左衛門と陽炎もまたじぶんを捨てて去った。敵は女ふたりのみとみてはやったのか、盲目のじぶんを足手まといとかんがえたのか――いやいや、そればかりではあるまい。朧に対する自分の愚かな迷いをみてとって、舌打ちして去ったのだ。
 無意識に、無意味に、ひとり東海道をさまよってゆく甲賀弦之介は、もとより凱歌をあげてかえってくるであろう左衛門と陽炎を予想した。それは彼にとってよろこびの歌声のはずだが――彼の心は苦悩にしめつけられる。彼らの報告により、じぶんはこの手で、秘巻から朧の名を消さねばならぬのか?
 ――しかるに――
 弦之介は、大井川の西の河原で、奇怪な立札にあつまる群衆のざわめきをきいた。
「甲賀弦之介は、いずこに逃げたりや。……陽炎はわれらの手中にあり。いささか伊賀責めの妙を味わわし、一両日にしてその首|刎《は》ねん。……なんじ甲賀卍谷の頭領ならば、穴より出でて陽炎を救うべし……」
 そう読む声を、彼は|凝然《ぎょうぜん》ときいていた。
 敵の名は、朧と天膳。
 ――それでは、敵の朱絹は討たれ、味方の左衛門もまた死んだのであろうか。それよりも、弦之介を呆然たらしめたのは、薬師寺天膳の署名だ。彼はどうして生きていたのであろうか?
 ともあれ、それをたしかめるためにも、彼らのゆくえをつきとめねばならぬ。弦之介は夕雲に盲目の顔をあげて、決然とあるきだした。

 ――そしていま、藤枝の廃寺の闇のなかに、甲賀弦之介は、生ける薬師寺天膳と、じっと相対したのだ。
 天膳がひくく笑った。
「ついに、網にかかったな、甲賀弦之介」
 用心ぶかい天膳にも似げなく、|無《む》|造《ぞう》|作《さ》にスルスルとあゆみ出る。弦之介は、音もなく横へうごいた。その動作をみると、常人ならば、だれがこれを盲目と思おう。だが、薬師寺天膳のみは、闇中に彼の目が、依然としてふさがれたままなのを見てとった。
「天膳」
 と、はじめて弦之介はいった。
「朧はそこにおるか」
「あははははは」
 と、天膳はいよいよ笑いをおさえかねて、
「弦之介、やはりうぬの目はつぶれておるらしいの。朧さまはここにおられるわ。たったいままで、陽炎をなぶりつつ、わしといちゃついておったところじゃ。あまりのたのしさについ夢中になって、うぬがそこまできたのに気づかなんだ。いや、うぬの目がつぶれて、見せてやれぬのが惜しいのう」
 朧は、|気《き》|死《し》したように立ちつくしていた。声も出ず、全身が|金《かな》|縛《しば》りになったようであった。
「そのうえ、わしに斬られるうぬを、ここでみている朧さまの笑顔が、断末魔のうぬにみえぬのはいよいよ残念じゃ」
 つつとながれよる薬師寺天膳の|剣《けん》|尖《せん》から、甲賀弦之介はなお横へにげる。まるで目があるようだが、しかし天膳は忍者だ、その足どりの乱れから、決してあざむかれはしない。
「にげるか弦之介、うぬはここに死にに来たのではないかっ」
 歓喜の|咆《ほう》|哮《こう》とともに|一《いっ》|閃《せん》する凶刃、髪ひとすじで弦之介はこれをかわしたが、|白《はく》|皙《せき》のひたいに絹のような血をすうとはしらせて、そのまま廻廊からうしろざまに庭へ飛ぶ。
 天膳は闇中ながら、弦之介のひたいに血の糸のはしったのと、その影が跳躍したのをみてとったが、猛然と追いすがろうとして、廻廊のふちにはたと立ちすくんだ。
 庭は霧の沼であった。さすが、闇にものを見るに馴れた忍者も、渦まく霧の底を見わけかねて、一瞬立ちどまったが、たちまち、
「伊賀甲賀、忍法争いの勝敗ここに決まったりっ」
 絶叫して、廻廊を蹴った。
 天なり、命なり、蹴った縁の板が腐っていた! 霧の底の影に大刀をふりおろしつつ、空で名状しがたいうめきがながれたのは、それを足うらに感覚した驚愕のせいであった。体はやや横にねじれて、一足の指さきがまず地についた刹那――霧の底からたばしり昇る片手なぐりの一刀、かっと|頸《けい》|骨《こつ》を断つ音がした。
 薬師寺天膳は、五歩あるいた。その首は皮一枚のこしダランと袋みたいに背に|垂《た》れて、首のあるべきところに、血の噴水をあげながら。
 甲賀弦之介は片ひざついて、|茫《ぼう》|乎《こ》として、天膳の地ひびきたててたおれる物音をきいていた。霧のなか、まして目はふさがれ、必死の闇斬りは、五感以外の忍者の夢想剣というしかない。
 ――噴きのぼった血は、やがて霧にまじって、徐々に彼の面にちりかかった。夢からさめたように、弦之介は身を起こした。
 荒寺に、声はない。縁側にちかづいて、
「朧」
 と、呼んだ。
「まだ、そこにおるか?」
「おります、弦之介さま」
 ――何日ぶりにきく朧の弦之介を呼ぶ声であろう。指おりかぞえれば、弦之介が伊賀のお幻屋敷を去った夜から八日めだ。しかし、あれは前世のことではなかったかと思われるほど、ながい八日であった。そして、朧の声も、あの小鳥のような明るさはどこにきえたのか、暗くしずんで、別人のようだ。
「わしは、天膳を斬った。……朧、剣はとっておるか」
「もってはおりませぬ」
「剣をとれ。わしと立ち合え」
 その勇壮な言葉に比して、なんという|沈《ちん》|鬱《うつ》の|語《ご》|韻《いん》であろう。声までが、ふたりをめぐる霧ににじんでいるかと思われる。
「わたしはそなたを討たねばならぬ。そなたはわしを討たねばならぬ。討てるかもしれぬ。わしは、盲じゃ」
「わたしも盲でございます」
「なに?」
「鍔隠れの谷を出る前から、わたしは盲になっておりました」
「な、なぜだ。朧、それは――」
「卍谷衆との争いが見とうなくて――」
 弦之介は声をのんだ。朧の今の一語で、彼女がじぶんを裏切ったのではないということを知ったのである。
「弦之介さま、わたしを斬って下さいまし。朧は、きょうを待っていたのです」
 はじめて、声に喜々としたものがあらわれた。
「伊賀は、わたしひとりになりました」
「甲賀も、わしひとりになった。……」
 またふたりの声が霧にしずんで、ただ霧と時のみがながれた。――その沈黙をやぶったのは、寺の下の方できこえたさけび声だ。
「――おぬし、たしかにきいたか」
「うむ、天膳どののただならぬ声」
「さては、甲賀の――」
 それは、下の旅籠の裏庭で、こちらを見あげながらさわいでいる声であった。すぐに|喚《かん》|声《せい》は、もみあいながらこちらにかけのぼってくる。
「だれも、見ているものはない。――」
 と、弦之介はやおらつぶやいた。だれも[#「だれも」に傍点]とは、相たたかって死んだ甲賀伊賀の忍者十八人のことであった。
「朧、わしはゆく」
「え――どこへ?」
「どこへか知らぬ。……」
 と、弦之介の声はうつろであった。彼は、ついに朧を斬ることのできないじぶんを自覚したのだ。
「そなたとたち合わなくとも、それを知るはこのふたりだけ、もはや、だれも知らぬ。……」
「わたしが知っております」
 突然、足もとで声がした。はいよってきた腕が、弦之介の足に|爪《つめ》をくいこませた。
「弦之介さま、なぜ朧を討たれませぬか?」
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:22:34 | 显示全部楼层
     【三】


 それは、白い裸身を、|斑《はん》|々《ぱん》たる血に染めた陽炎であった。弦之介と朧にはみえなかったが、彼女の美しい顔は、すでに死の影にくまどられていた。
「げ、弦之介さま、あなたは伊勢の関で、きっと朧を討つとわたしにお誓いなされたのをお忘れか」
 手はわなないて、弦之介の足をゆさぶる。
「わ、わたしは、伊賀者のために、身を汚され、傷つき、こうしてなぶり殺しにあって死んでゆく。……それをわたしはつゆ恨みには思いませぬ」
「陽炎」
 と、うめいたきり、弦之介は声が出ぬ。|肺《はい》|腑《ふ》に釘をうたれる思いだ。
「そ、それもみんな甲賀のため、卍谷のため、……その甲賀を、卍谷を、弦之介さま、あなたはお裏切りか」
「陽炎。……」
「こ、甲賀の勝利を、この目にみせて、死なせて……」
 下からのさけびは次第にちかくなる。弦之介は、陽炎を抱きあげた。
「ゆこう。陽炎」
「いいえ、なりませぬ。お、朧の血をみねば、にげられませぬ。弦之介さま、朧の血で、わたしに朧の名を消させて――」
 弦之介はこたえず、陽炎を抱いたまま、縁側の方へあるきだした。陽炎の片腕が、ふるえながら、弦之介のくびにまきつき、その目はじっと弦之介の顔を見入った。うつろなその|瞳《どう》|孔《こう》に、このとき異様な|蒼《あお》い炎がもえあがったのを、盲目の弦之介は知らぬ。
 陽炎の顔に、妖しい笑いがはしった。とみるまに、ほっ――と、彼の顔に息をはきかけた。
「あっ、陽炎!」
 一瞬、顔をそむけ、どうと陽炎をなげ出し、よろめいて片ひざをつく。そのままずるずるとまえへ伏してしまったのは、陽炎の死の|息《い》|吹《ぶき》を吸ったためだ。
 なげ出された陽炎も、しばらくうごかなかったが、やがてかすかにあたまをあげた。その死相をわななかせる名状しがたい邪悪と恍惚の影――おそらく、かくまで美しくすさまじい女の情欲の表情はこの世にあるまい。そのまま、床に爪をたてて、じりっ、じりっと弦之介のそばにちかづいてゆく。
「ゆくなら、わ、わたしといっしょに、じ、地獄へ。――」
 ああ、陽炎は、死の道づれに弦之介をとらえてゆこうとするのだ。おそらく、二度目の息吹で、彼にとどめをさすつもりであろう。
 瀕死の白蛇のようにうねって、陽炎が弦之介のからだに身をよせようとしたとき、彼女は、女の声をきいた。
「弦之介さま」
 顔をふりあげて、陽炎は、そこにかがやくふたつの瞳を見た。――
 闇にも見える朧の目だ。しかし、その術を知らずとも、だれしもその|燦《さん》たる|光《こう》|芒《ぼう》には、はっと|眩《げん》|惑《わく》を感じたであろう。――このせつな、陽炎の吐息は、その毒をうしなった。
「弦之介さま!」
 かけよってきたのは、朧だ。その目は大きく見ひらかれていた! 七夜盲の秘薬は、七夜をすぎて、いまようやくその効力を消したのである。
 朧は、たおれている弦之介を見た。そして、寺の山門をかけこんでくる足音をきいた。陽炎の姿には目もくれず、弦之介を抱きあげ、まわりを見まわし、|須《しゅ》|弥《み》|壇《だん》のかげに大きな|経櫃《きょうびつ》があるのをみると、その方へひきずるようにはこんでいった。
 陽炎はそれをみていた。彼女はいまふれた弦之介の体温から彼がまだ死なないで気を失っただけの程度にとどまることを知っていたが、すでに声は出ず、からだはうごかなかった。その顔のまえに、ツーッと一匹の蜘蛛が糸をひいておちてきたが、そのままきゅっと手足をちぢめて死んだ。同時に陽炎も、がくりと床に顔をふせてしまった。……
「――やっ、こ、これは?」
「天膳どのではないか!」
 庭で驚愕した声が、渦をまく。そのとき朧は、弦之介を経櫃になげ入れると、|剥《は》げた朱塗りの蓋をはたとしめた。
「甲賀組がきたのだ!」
「朧どのは?」
 武士たちが、手に手に|松明《たいまつ》をにぎって騒然と本堂にかけのぼってきたとき、朧は寂然と経櫃に腰をおろして、うなだれていた。
「やあ、ここにあの女も死んでおる!」
「朧どのはぶじだ」
「朧どの、どうしたのだ?」
 朧は、目をとじたまま、首をよこにふった。
「甲賀弦之介がきたのではないか」
「それとも天膳どのは、この女と相討ちで死んだというのか」
 さわぎたてるのに、朧はあかん坊のように、首をふるばかり。ちがうというのか、何も知らぬというのか、とにかく盲目の娘だと思っているから、侍たちはとみにその心をつかみかねた。
 そのとき、庭で女の声がきこえた。
「うろたえるでない、この天膳が不死の忍者だということは、きのうの夜そなたたちもとくと知ったことではありませぬか」
 阿福の声であった。
「この男の受けた傷はたちまちふさがり、裂けた肉はみるみる盛りあがる――と、当人の誇った妙術を、眼前にみることができるのはいまじゃ。だれか、天膳を抱きおこしてやるがよい。そして、首をおさえてやってたも」
 武士たちはさすがに、ためらったが、
「何をおそれる。竹千代さま――ひいてはこの阿福、またそなたらの命運にかかわる大事でありますぞ」
 と|叱《しっ》|咤《た》されて、五、六人が天膳の死骸のまわりに群れあつまった。
 はっとして、朧は経櫃からたちあがっている。つかつかと、縁側へ出ていった。
 庭にめらめらといくつかの松明は油煙をあげ、その赤い火照りをうけて、薬師寺天膳は人々に抱きおこされ首はつながれて、かっと|剥《む》いた目を、こちらにむけていた。抱いた男も、両腕をとった男も、首をささえている男も、わなわなとふるえている。その背景になかば崩れた山門が夜空にうかび、まさに地獄の|邏《ら》|卒《そつ》たちの苦行か苦役をみるような凄惨な光景であった。
 天膳は、朧をみていた。朧は、天膳をみていた。――生と死のあいだに|架《か》かる時の長さは、一瞬でもあり、|永《えい》|劫《ごう》でもある。
 朧の目は、ふたたび|燦《さん》として見ひらかれて、天膳を凝視している。その目には、涙がいっぱいであった。いうまでもなく、そこにいたものすべて、朧よりも天膳に気をうばわれていたから、涙を透してかがやく生命のひかりと、死者の暗くにごった目が、虚空に幻の火花をむすんだのを、だれが知ろう。
 朧は、なぜ泣くか。彼女は、破幻の瞳で、味方の天膳のつながろうともだえる生命の糸を断ちきろうとしているのだ。伊賀が負けるか、甲賀が勝つか、それより彼女の胸にわきたっているのは、ただ甲賀弦之介を救いたいということだけであった。
 松明に、いちど天膳の目が火のようにひかった。それは、とうてい皮一枚を残して|頸《くび》を切断された死者の目ではなかった。無限の怒りと怨みと苦悶にもえあがった目であった。――しかし、ふいにそのひかりがうすれ、顔色があせてきた。|瞼《まぶた》がしだいにおちてゆく。……
 気力つきはてて、朧も目をとじた。
 首が声を出したのは、そのときだ。断頭の鉛色の唇が、水牛の|吼《ほ》えるような声をもらしたのである。
「甲賀弦之介は……経櫃におる……」
 そして、その唇がきゅっと両耳までつりあがって、死微笑というにはあまりにも恐ろしい表情となってかたまると、それっきり天膳は|石《せっ》|膏《こう》の像のようになってしまった。不死鳥は、ついにおちたのである。
 しかし、殺到してゆく武士たちのうしろに、朧は気をうしなって、崩折れた。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:23:38 | 显示全部楼层
     【四】


 ――慶長十九年五月七日の夕。
 それは豊臣秀頼が、いよいよ大仏殿供養を行なおうとして、その命をうけた|片《かた》|桐《ぎり》|且《かつ》|元《もと》が駿府に下って、家康にそれを告げた日であった。
 一日ごとに落ちる日を、そのまま徳川家へ移る運命の刻みとはっきり指おりかぞえて、ほくそ笑んでいた家康も、しかしこの夕、駿府城の西方――安倍川のほとりに、まさに起ころうとしていた、一つの決闘を知らなかった。それこそ、徳川家の運命そのものを決する果し合いであったが、彼はまだなんの報告もうけてはいなかった。家臣のだれもが知らなかった。ただ忍者の|総《そう》|帥《すい》たる服部半蔵のみが、それを検分した。
 阿福からひそかに急使をうけて、彼がその場所へかけつけたとき――それは、駿府城の七層の大天守閣を、燃えかがやかせていた落日が、西へおちて、安倍川の水の色が、ようやく|黄昏《たそがれ》の色をたたえはじめた時刻であった。
 それは渡しからやや上流――たけたかい|蘆《あし》にかこまれた白砂の一画であった。その蘆のなかに、阿福をはじめ、その家来たちが数十人身を伏せているなかに半蔵をまねいて、阿福は手みじかに、いままでのことを報告した。
 嘘はいわなかったが、かならずしも真実をのべたわけではない。あたかも、偶然、この決闘の場に接触したようなことを阿福はいって、半蔵に例の秘巻をさし出した。
 服部半蔵は、きのう東海道掛川から藤枝にかけて、ふしぎな伊賀の立札の立った噂をきいていて、さてこそ、とは思っていたが、いままざまざと秘巻をしめされて、おのれも参画したことでありながら、われしらず戦慄をおびた長嘆をもらさずにはいられなかった。
「右甲賀十人衆、伊賀十人衆、たがいにあいたたかいて殺すべし。のこれるもの、この秘巻をたずさえ、五月|晦日《みそか》駿府城へ|罷《まか》り出ずべきこと。――」と秘巻にはある。いかに忍者の総元締たる家柄の半蔵といえども、おのれがあの争忍の禁をとくやいなや、これほど|疾《しっ》|風《ぷう》|迅《じん》|雷《らい》のごとく|惨《さん》|澹《たん》たる終末がちかづこうとは予想していなかったのである。いまは五月晦日どころか、五月七日、あの手綱をきってはなした日から、わずか十日ばかりを経たにすぎぬ。しかも、みよ、人別帖につらねられた甲賀卍谷、伊賀鍔隠れ谷二十人の忍者のうち、すでに十八人の名のうえに、血の色も変わったぶきみなすじが黒ぐろと。――
「のこったものは、あのふたりだけと申す。……」
 仮面のような表情で、阿福はいった。
 服部半蔵は、いまにして彼女の伊勢への密行に疑念をいだいたが、ポーカーフェイスのこの竹千代君お|乳《ち》の人の顔からは、何をくみとるすべもない。また、よしや彼女がどんな策動をこころみようと、忍者のたたかいに第三者たる常人が、ほとんど何の影響をも与えることのできないのは、よく承知していた。「たまたま、これに立ちあうことになりはしましたが、もしこれを国千代さま一派の衆に知られましたならば、無思慮の方々が、いかような軽挙に出られるやもはかりがたい。それでは大御所さまのこのたびの試みのおこころにもそむくことになる。されば、このように、いちおうまわりをさえぎりはしましたが」
 と、阿福はいった。
「さればと申して、あとでわたしがかかわりあったと知れたならば、いかような風聞をたてられるか、それも気になります。忍者行司役のおまえさまをお呼びたて申したのも、この果し合いにわたしがなんの手もくわえておらなんだことを、とくと見とどけて大御所さまへ証人になっていただきたいからのこと」
 阿福が、ここからわずか五里半足らずの藤枝を出るのがおくれたのは、失神した甲賀弦之介の回復するのを待つためであったが、その弦之介の回復を待ったのは、朧の申し出もあったが、たしかにそういう目的からでもあった。
「――気を失った甲賀の忍者を殺しても、伊賀の名誉にはなりませぬ」
 と、そのとき朧はこたえたのである。意味はちがうが、そのとおり、阿福も堂々と伊賀の甲賀への勝利を、服部半蔵に見とどけさせたかった。
 堂々と? ――しかし阿福は、甲賀弦之介が盲目であることを知っている。そして、朧の目がひらいたことも知っている。朧の勝利はすでに掌中にあるも同然と確信したからであった。
「ただし、御覧なされ、甲賀の忍者の目はつぶれております」
「なに?」
「きけば、伊賀方の忍者につぶされたとのこと。服部どの、それも争忍の勝負のうちのひとつでございましょうね」
 半蔵は、じっと、蘆のなかに手をついている甲賀弦之介に目をそそいで、
「もとよりのこと」
 と、うなずいた。忍法の争いに、実のところ、卑怯という言葉はない。いかなるハンディキャップもみとめられず、いかなるトリックも容認される。忍者の世界に、武門の法は適用できぬ。そこには、奇襲、暗殺、だまし討ち、それだけに手段をえらばぬ|苛《か》|烈《れつ》無慈悲のたたかいがあるのみだ。
「甲賀弦之介」
 と、きっとなって半蔵は呼びかけた。
「これより伊賀の朧との果し合いに異存はないな」
「――仰せのごとく」
 と、弦之介は|従容《しょうよう》としてこたえた。ことここにおよんで、服部半蔵へのうらみの言葉は、一句も出さぬ。
「朧、そなたも?」
「はい!」
 と、鷹を肩にとまらせた朧も、手をつかえた。その愛くるしい頬に、りんとしたものがながれた。――きのう、阿福にきかれたとき、こたえたとおりのいさぎよい態度であった。朧は観念したのか。それともこの最後の|関《かん》|頭《とう》にいたって、凄絶な伊賀のお幻の血がよみがえったのか。
 両人のこころはしらず、服部半蔵は、心中実は暗然とした。彼は数年前、いちど甲賀伊賀へかえって、甲賀弾正やお幻にあったことがある。そのときにみたこのふたりは、まだ童心|爛《らん》|漫《まん》たる少年と少女であったが――いや、いまみるふたりも、これが忍者かと目をうたがうばかりに美しく、うら若く、この両人をここに追いこんだおのれの企図を、いかに大御所の命とはいえ、ひそかに悔いと恐れをもってかえりみずにはいられないのであった。
「さらば、服部半蔵、検分いたす。両人、起てっ」
 決然としてさけぶと、半蔵は秘巻をとって、白砂の一画へはしり出て、その中央にこれをおいた。
 鷹が、ぱっと空に舞いあがった。半蔵がひきかえしてくるのといれかわって、甲賀弦之介と朧は、足音もなく、決闘の白い祭壇にあゆみ出てゆく。

 夕風が出た。蘆はさやぎ、暗い流れに、まるで秋のような冷たい波のひかりをひろげてゆく。
 甲賀弦之介と朧は、白刃をひっさげて、じっとむかいあった。
 ――それを、いつまでも|網《もう》|膜《まく》にのこる運命の残像とみても、ただ甲賀伊賀宿命の二族の子と娘が、四百年来の争いの|終焉《しゅうえん》を告げるときはいまだと思うのみで、だれがふたりのまことの心中を知ろう。
 また、わずか十日ばかりまえ、場所こそややちがうが、おなじこの安倍川のほとりで、彼らの祖父と祖母が、「……わしたちとおなじ|運命《さだめ》が朧と弦之介のうえにきたのじゃ。ふびんや、しょせん、星が|違《ちご》うた!」――と嘆きつつ、あいたたかって、ともに死んでいったことを、だれが知ろう。
 西のはてに、一条、二条、横にひいた残光の朱が、しだいにうすれ、刻々と|蒼《あお》|味《み》がかってきた。――ふたりは寂然と立って、まだうごかない。たまりかねて、いらだって、阿福が、
「――朧――」
 と、叱咤した。
 ながれるように、朧があるき出した。一歩、三歩、五歩――弦之介は依然として、ダラリと刀身をさげたまま、無防御の姿で立っている。
 そのまえに立って、朧の刃が、弦之介の胸まであがった。と、このとき――思いがけないことが起こった。その刀身がくるりとまわると、きっさきは逆に彼女の胸へむけられて、深ぶかと自分の乳房の下を刺しとおしたのである。うめき声もなく、彼女はそこにうちふした。
 蘆のあいだから、意味のとれぬさけび声がながれた。阿福の顔色は一変していた。何が、どうしたのかわからない。息をひいて、これを見まもっていたが、ふいに狂ったように、
「だれかある。甲賀弦之介を討ってたも。――」
 と、叫んだ。
 彼女ほどのものが、逆上して、せっかく呼んだ服部半蔵のことを忘れた。朧が敗れた! それは竹千代の敗れたことであり、彼女の敗れたことであった。同時にそれは、彼女らすべての死を意味したのだから、是非もないというべきか。
 |閃《せん》|々《せん》と|薄《すすき》の穂のように狂気の刀身をみだれさせて、武士たちは殺到した。そのむれが、甲賀弦之介の手前五メートルばかりに達したとき、さらにおどろくべき光景が展開した。彼らはいっせいに刃をふるって、味方同士のからだに斬りこんでいたのである。
 阿福にとって、夢魔としか思われない血の霧風が吹きすぎたあと――黄昏のひかりのなかに、甲賀弦之介はなお刀身をダラリとさげて、ひとり立っていた。ただ、その両眼を、金色に|爛《らん》とひからせて。
 その影が、しだいにこちらにあるき出したのをみて、阿福は恐怖のあまり立ちすくんだ。しかし、弦之介は例の秘巻をひろうと、朧のそばへあゆみよって、そこで立ちどまり、黙然としてそれを見おろしていた。
「朧。……」
 声は蘆を吹く風にそよいで、きえた。
 彼だけは知っていたのである。朧が死んだのは、じぶんの目がひらくまえであったことを。――
 ややあって、弦之介は彼女を抱きあげ、水際へはこんでいった。それから、巻物をひらき、彼女の胸の血を指さきでぬぐいとり、のこっていた二つの名にすじをひいた。これはあとでわかったことだが、すべての名の|抹《まっ》|殺《さつ》された秘巻のあとに、次のような血文字もかきのこされていたのである。
「最後にこれをかくものは、伊賀の忍者朧|也《なり》」
 弦之介は巻物を巻くと、ぱっと空になげあげた。いままで音のないフィルムのようにうごいたこの世界に、ふいに羽ばたきの音がおこった。鷹が空でその巻物を足でつかんだのである。
「伊賀の勝ちだ。城へゆけ。――」
 と、甲賀弦之介ははじめてさけぶと、朧の刀でみずからの胸を刺しつらぬいて、水にたおれた。そして、すでになかば水にひたった朧を抱きしめると、ふたりのからだは、しずかに水にながれ出した。
 残光のなかに、鷹はひくく旋回し、ながれを追った。ゆるやかにとぶ鷹の下を、うら若いふたりの忍者は一つになって、波もたてずにながれ去る。

 その悲恋の屍が、青い月明の駿河灘へ、黒髪をもつれさせつつ漂い出したとき――そこまで悲しげに追ってきた鷹は、反転して北へとび去った。足につかんだ巻物に、甲賀伊賀の精鋭二十人の名は、すべてなかった。
                                                  (甲賀忍法帖 了)
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:24:20 | 显示全部楼层
    聖なる死闘

                                         作家 有栖川有栖

 小説に限ったことではない。映画でもコミックでも音楽でも、同じことが時として起こる。こんなことを経験なさったことはないだろうか? ある作品を読み進むうちに(あるいは観たり聴いたりしているうちに)あまりの素晴らしさに呆然とし、胸の内で|呟《つぶや》く。
――こいつはとんでもないぞ。
 本書『甲賀忍法帖』は私にとって、正にそんなとんでもない小説である。推理作家としての山田風太郎氏(それはこの巨匠のほんの一面に過ぎないのだが)に多大な関心を抱いていた私がこの『甲賀忍法帖』を手にしたいきさつは、実はほんの気|紛《まぐ》れのようなものだった。古本屋の店頭のワゴンで目にしたので、忍法小説がどんなものなのか一度読んでおくか、と手を伸ばしたのだ。講談社の『山田風太郎忍法全集(1)』。本書と同じ新書判で、古本屋での売価は二百円だった。十五年ほど前の二百円ではあるが、後にも先にも、私は生涯でこんな安い買物をした記憶はない。
 あなたが本編を読了後に拙文をお読みになっているのなら、私が大袈裟な表現をしているのではないことを充分に理解していただけるだろう。そして、もし本編をこれから読んでみようとしているのなら、私が伝えたいことはこれに尽きる。――何をしているんです? つまらない文章を読んでいる暇を惜しんで、目茶苦茶に面白い本編をすぐ読み始めなさい!

          *

 ケバい表紙に薄い中身、読み捨てペーパーバックにすぎない、などといって新書判ノベルスを軽視する向きが一部にある。そんな状況の中で、講談社ノベルスがこのような古典的名作の復刊を敢行したことについて、まず講談社に敬意を表したい。新書という(本来は)|洒《しゃ》|落《れ》た形態への愛あればこその快挙だと思う。もちろん、本作が復刊されたのは、作品に|強靭《きょうじん》な生命力があればこそ、だが。
 さて、名作の復刊ということで、本書を手にしていらっしゃる読者のかなりの部分は十代二十代の若い方ではないだろうか? 忍法小説はおろか山田風太郎作品に初めて接するという読者も多いと推測するし、あるいは「くノ一」が女忍者を指す隠語だということをご存じないかもしれない。そこで、まずこの作品が発表当時どれほど大きな反響を呼んだのかご紹介したい。――とはいうものの、忍法小説の記念すべき第一作である本作の連載が「面白倶楽部」で始まった一九五八年(昭和三十三年)、正直なところ私自身もまだ生まれていなかった。連載が終わり、光文社から|上梓《じょうし》されたのは翌五九年、私が生まれた年。よって、以下に記すのは「凄いブームだったそうですね。よく売れたんでしょ?」と編集部に聞いたり、提供いただいた資料に基くものである。
『甲賀忍法帖』に続いて、山田氏は『江戸忍法帖』『くノ一忍法帖』などの忍法シリーズを世に送る。『甲賀』が発表されるや否や一大ブームを巻き起こしたのだろうと思っていたのだが、少し違ったらしい。爆発的に売れだしたのは、私が古本屋で遭遇した前述の『山田風太郎忍法全集』全十巻が刊行されてからだったという。ちなみに私が買った本は昭和三十八年十二月二十日の第四刷だが、初版は同年十月二十五日だったそうなので、大変な売行だったことがそれだけで|窺《うかが》える。初版は一万五千部だったが、ついには部数は二十四万部を越えるまでに至った。『忍法月影抄』は十九万部、『くノ一忍法帖』は二十五万五千部などすべてベストセラー。『甲賀』が初版一万五千部だったのに対して、第八巻の『信玄忍法帖』となると、初版は九万部にまで跳ね上がっている。シリーズの総部数は二百六十万部を突破したそうだ。
 大人のメルヘンともいうべき忍法帖シリーズが読書界を騒がせていたことを、当時、幼稚園児だった私は知らなかったが、思い当たることはある。テレビや漫画でも『忍者部隊月光』『風のフジ丸』『サスケ』『伊賀の影丸』といった忍者ものが目白押しで、子供の間でも忍者ブームが起きていたからだ。三十代の方、懐かしいでしょ? 普通のチャンバラごっこなら刀を腰に差すところ、忍者ごっこの場合は背中に斜めに差すのが(それだけのことが)無性に楽しかったものだ。『サスケ』などには、まことしやかな疑似科学による忍法の解説、注釈が施されていたが、あれなど山田作品の趣向(氏に医学の心得があればこそのもの)を借用してのものだったのだろう。
 過去の話、思い出話はこのへんにしておこう。八〇年代にアメリカ映画が発見した『NINJA』によって初めて忍者と出会ったかもしれない若い読者も、ひと度この血沸き肉|躍《おど》る山風忍法帖の世界を知ってしまったら、この先も決して途切れることがないであろう風太郎ファンの隊列に加わることになるのだから。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:24:37 | 显示全部楼层
         *

 遅ればせながらお断わりすると、拙文は解説などというおこがましいものではなく、エッセイである。それも「山田風太郎作品は面白い」という感慨を反復するだけで、「誰しもがお思いでしょうが、夕焼けは美しい」と言うのに等しい内容にならざるを得ないことをご承知おきのほどを――

          *

 では、『甲賀忍法帖』の何に私たちは興奮したのか? 舌の上に残った美味の|余《よ》|韻《いん》を楽しんでみたい。
 物語の幕が上がるや、いきなり始まる徳川家康御前での忍法合戦の異様さ。三代将軍を国千代、竹千代いずれの孫に継がせるかに悩む家康に、天海僧正が吹き込む解決策の奇怪さ。これだけで読者はもうページをめくる手を止めることができなくなってしまう。そして、甲賀と伊賀の忍者の精鋭それぞれ十人ずつを闘わせ、その勝者がいずれであるかによって世継ぎを決めるという|荒《こう》|唐《とう》|無《む》|稽《けい》なルールが宣言されるや、物語はノンストップのとめどもない面白さに|驀《ばく》|進《しん》していくという仕組みだ。巻き物に記された二十人の忍者の名前。一人|斃《たお》れるごとにその名が朱で抹消されていくという趣向が、闘いのゲーム性をより高める。私たちは、まるで古代ローマのコロシアムで行なわれた戦士たちの死闘を観戦するかのように、残酷にその勝敗の行方を見つめるのである(また思い出話に戻るようだが、幼稚園児の私が夢中になった『鉄腕アトム』の中の「地上最強のロボット」「ロボイド」といった名編は、『甲賀忍法帖』とよく似た設定を使っている)。
 くじ引き代わりに殺し合え、という家康の命は理不尽極まりないものだが、源平の昔からの|仇敵《きゅうてき》であった甲賀と伊賀の忍者は、不戦の禁を解かれ、嬉々として激突する。この次々に立ち現われる忍者とその忍法の奇想天外ぶりこそが、もちろん本作の最大の見せ場である。両手両足がない忍者(それでいて五体満足な忍者が走るよりも速く|這《は》う!)、|地《じ》|虫《むし》十兵衛が登場したあたりで、頭がくらくらしてきた方も多いのではないか? ここまできて、まだなお本編を未読の方がいることも想像できるので、どんな奇想が仕込まれているのかはこれ以上記さないでおこう。(山田氏の、というのを通り越して)人間のイマジネーションというのは大したものだ、と私は感動した。
 ずらりと並んだ二十人の忍者、二十の忍法による十番勝負。「こいつの忍法は無敵じゃないのか」というのがざくざく出てくるのに、それでいて、意外性と必然性を見事に具備した形で勝負がついていく、というのが驚きだ。忍法に勝るとも劣らない作者の超絶技巧。イマジネーションを|奔《ほん》|放《ぽう》に爆発させるだけではなく、厳密なゲームのルールの|枷《かせ》が|嵌《は》められているのである。よくできた物語の必要条件だとも言えるが、このあたりは山田氏が推理小説にも抜群の技量を持っていることでも立証ずみだろう。同じ忍法は二度と使わない、という姿勢も、トリックの再使用はしないという推理小説の創作態度に通じる。
 互いの|砦《とりで》を攻め合うのかと思いきや、後半になると死闘を続けながらの道中ものになるのも楽しい。物語を読む快楽とは、こういうものだろう。
 それにしても、いずれの忍者も|凄《すさま》じすぎてとても人間とは思えない者ばかりである。そう、当然ながら彼らは人間ではない。超人だ。それは伊賀の|鍔《つば》|隠《がく》れの谷に分け入った甲賀|弦《げん》|之《の》|介《すけ》の目に映る伊賀の者たちが、|異形《いぎょう》の姿をしていることにも表われている。彼らは人間の|凡《ぼん》|庸《よう》さを超越した、神に選ばれた聖なる存在なのに違いない。その聖なる者たちの聖なる|技《アート》が忍法なのだ。聖なる技が火花を散らす聖なる死闘の原因が、将軍家世継ぎを決めるくじ引き代わりだ、という|虚《うつ》ろなもの(冗談以下のくだらないもの)であることによって、超人たちの聖性と栄光はいや増す。だからこそ、ページをめくる私たちの手は汗ばみ、胸は高鳴るのだ。
 が、華麗な闘いの陰で苦悩する二人の男女がいた。甲賀のロミオ、甲賀弦之介と伊賀のジュリエット、|朧《おぼろ》。間もなく二人は結ばれ、それによって甲賀伊賀の積年の|確《かく》|執《しつ》に終止符が打たれようとしていたところだった。その夢が消えたばかりか、精鋭に選ばれた二人は互いに殺し合わなくてはならないはめに陥ってしまったのだから、本家のロミオとジュリエットに同情してもらえそうな悲劇である。華々しい|殺《さつ》|戮《りく》の|饗宴《きょうえん》を期待する読者も、彼と彼女の境遇には胸を痛めずにおられない。二人の運命は|如何《い か》に? 予測される悲運の結末の主旋律に、弦之介を狂おしく思慕する|陽炎《かげろう》がからむという、恋愛小説の味つけも施されていて、どこまでも周到という他ない。
 また、ロミオ=弦之介とジュリエット=朧の操る忍法が、いずれも目に関するものであるということも美しさと哀しさを物語ににじませている。敵を見つめることによってその忍法の|矛《ほこ》|先《さき》を術者自身に反転させる弦之介の技と、見つめることで相手の忍法を無力化してしまう朧の技(まさか核兵器を背負った米ソの冷戦という当時の世界像が反映して発案された「理想の武力」ということではないだろうが……)。自分の手を汚さずに敵を|斃《たお》す、というのは上品すぎてちょっと卑怯な感もなくはないが、ヒーローとヒロインにふさわしい。愛するということは、互いに相手の目を見つめ合うことに集約されるとも言える。その幸せが殺し合うことに転じてしまうという哀しみの深さは、|数《あま》|多《た》ある恋愛小説の中でも稀有のものだろう。ラストの悲哀感は印象深い。
 何と判りやすい面白さ。これっぽっちのごまかしも、逃げもない。
 昨今、エンターテインメント小説という呼称が一般化しているが、軽薄なそれよりも、私は本作を初めとする山田風太郎作品を、やはり大衆小説と呼びたい。読者に対してどこまでも誠実であることの誇りと、広く永く愛される栄光を備えた(ゴチック体の)大衆小説なのだ。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:24:55 | 显示全部楼层
          *

 以下、結語の後にさらに付して――
 本書で初めて山田風太郎の世界を知った読者は、この忍法帖シリーズはもちろんのこと、虚実が鮮やかに交錯する明治ものや、妖人異聞譚、ホラーやひいては絶品のエッセイにも進んでいかれることだろう。あなたの楽しみは尽きない。――特に本格ミステリファンにとっては『|妖《よう》|異《い》|金《きん》|瓶《ぺい》|梅《ばい》』(日本の本格ミステリ屈指の傑作)、『十三角関係』(新本格ミステリのファン必読)、『誰にもできる殺人』(実に探偵小説らしい探偵小説)など、山田作品は金脈であろう。ただ、山風ミステリは忍法帖や明治ものの陰に隠れて、まだ私も読む機会を持てていない作品も多い。
 新書判ノベルスへの愛にあふれているだけでなく、新本格という商標をでっち上げた責任も有している講談社ノベルスには、山風ミステリ名作群の復刊にも、是非とも努めていただきたい。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:25:29 | 显示全部楼层
    すばらしき非日常
                                     浅田 次郎

『甲賀忍法帖』を改めて読み始めたのは、ラスベガスに向かう機中であった。
 解説執筆の依頼を受けたのはだいぶ前だったのだが、わずか一ヵ月の間にヨーロッパ講演と九州沖縄をめぐるサイン会と朗読会、アメリカへの取材旅行とスケジュールが詰まり、とうとう機内にまでこの仕事を持ちこむはめになった。
 取材の目的地はケンタッキー州のルイヴィルという田舎町である。秋深いイリノイ川のほとりで、若い時分に親しんだ山田風太郎の小説を|繙《ひもと》くのもまた一興であろう、と思った。
 ところが、出発直前に予定が変更された。日程に二日間の余裕ができたので、ルイヴィルでボンヤリと過ごすよりも、ラスベガスに立ち寄って行こうという結構な計画である。
 こちらとしてはその二日間を、ボンヤリと読書に費す予定だったのだが、ラスベガスもまた捨てがたい。
 かくて、不夜城ラスベガスにおいて遊蕩三昧のかたわら、同時に『甲賀忍法帖』を読むという不測の事態が訪れた。

 離陸後、本を開く前にまず考えた。
 かつて『甲賀忍法帖』を読んだのは、いつであったのか、と。
 二十代前半の、私の人生ではかなり悪い時代であったと思う。小説家を夢見ながら、現実はこと志に反して銭金にまみれていった。原稿を書く時間がままならず、せめて小説から離れてはならないと、なるべく肩の凝らないエンタティメントを選んで読み耽った。
 吉川英治、子母澤寛、松本清張、柴田錬三郎、有馬頼義、結城昌治――それまでの読書傾向とはうらはらに、ひたすら面白く、現実を忘れさせてくれるような小説ばかりを貪り読んだ。
 省みて思うに、その数年間の読書は「現実を忘れたい」「小説にすがりついていたい」という種類の、きわめて不純な動機によるものであったが、実はのちの作家人生に、重大な効果をもたらしてくれた。
 小説はまず、面白くなければならない。いつ、誰が、どのような環境で読んでも、必ず|虜《とりこ》になるようなストーリー・テリングの魅力を備えていなければならない。それが「小説」だ。
 私はその数年の間に、小説を志す者がともするとなおざりにしがちな小説本来の魂を、しっかりと学んだような気がする。
 ことに山田風太郎の小説は、その時代の読書体験中の白眉であった。

「ハマる」という現代語がある。
 物事に没入するあまり、何も見えず何も聴こえず、他のことは何ひとつ考えられなくなるような状態を言う。
 当時の私が山田風太郎についての読書感想を述べるとしたら、まずその一語に尽きたであろう。私は明らかにハマッていた。
 長い読書遍歴のうち、これと同程度のハマり方をした作家といえば、わずかに幼時体験としての江戸川乱歩があるくらいだろう。
 愛読した作家は多々ある。しかし熱中するあまり読者自身が小説の中に埋没してしまい、ほとんど自分が忍者であると思いこんだ小説というものは、類がない。
 そのころ、私は忍者であった。

 機中で頁を繰り始めてから、すぐに気付いたことがある。
 これは小説家が書いた小説ではない。
 一人の偉大な読者が、あらゆる既存の小説に飽き足らず、自分が最も読みたい小説をおのれの手で書いたのだ、と。
 小説好きの読者が書いた小説。だからこれほどまでに、読者を虜にすることができる。山田風太郎はおそらく小説というものに純然と胸をときめかせた少年のころそのままの、生粋の小説マニアなのであろう。
 長い作家生活の中で、山田風太郎が文壇からも文学的アカデミズムからも、はては出版業界からも超然とした印象があるのは、ひとえにこのふしぎなスタンスのせいではなかろうか。
 たとえば、『甲賀忍法帖』には冒頭のっけから、こんな描写があって読者を仰天させる。

 五メートルばかりはなれてむかいあった二人の男のあいだに交流するすさまじい殺気の波が、すべての人びとの視覚中枢に灼きつけられていたからだ。といって、二人が白刃をかまえているわけではなかった。どちらも手ぶらであった。

 まず第一に、時代小説に「五メートル」という表現を用いる作家を、私は他に知らない。こうした場合ふつうは、何らかの抽象的比喩を用いてその距離感を読者にわからせるか、せめて「|三《さん》|間《げん》ばかりはなれて」と、尺貫法で表わすものである。
 だがしかし、「五メートル」なのである。あえて[#「あえて」に傍点]「五メートル」なのである。
 一人の偉大な読者が、あらゆる既存の小説に飽き足らず、自分が最も読みたい小説を自由に書けば、つまりこうなる。
 冒頭のハイライト・シーンである甲賀の|風待将監《かざまちしょうげん》と、伊賀の|夜《や》|叉《しゃ》|丸《まる》との決闘場面に、文学的な抽象表現など必要はない。また「三間ばかり」などという古い表現は、多くの若い読者にしてみればむしろリアリティに欠ける。
 だからあえて[#「あえて」に傍点]「五メートル」なのである。そう表現することによって、ビジュアリズム世代の読者はより正確に、より映像的に、この決闘を体験することができる。
 あくまで読者の立場に立った選択なのである。
 次に、文章の平易さ。
 前例の冒頭部分を書くにあたって、私を含めたほとんどの作家は、たぶんこのように表記する。

 三間ばかり離れて向かい合った二人の男の間に交流する凄じい殺気の波が――

 だがしかし、山田風太郎はここでも読者の立場に立って、あえて[#「あえて」に傍点]こう書くのである。

 五メートルばかりはなれてむかいあった二人の男のあいだに交流するすさまじい殺気の波が――

 こうした徹底的な漢字の排除、平仮名の多用は、やはり広汎な読者を意識していなければなかなかできることではない。そして、これは肝心なところなのだが、ここまで平易に書いても、なお文章のリズムとバランスとを失わないということは、山田風太郎の文章がそもそも稀有の名文だからなのである。
 このようにして、あくまで読者の側に立った綿密な配慮と周到な計画ののち、私たちは老若男女、知識も教養も趣味も越えて、すべてが「山田風太郎の世界」に、一網打尽にからめ取られることになる。
 ハマる理由は、その卓抜したストーリー・テリングばかりではない。

 ところで、私はこの『甲賀忍法帖』を、いっけんミスマッチこのうえないラスベガスで読了した。
 卒直な感想を申し上げれば、ラスベガスと『甲賀忍法帖』は少しもミスマッチではなく、まことにあいふさわしい組み合わせであったというほかはない。
 たとえば幼いころ、押入れにこもって懐中電灯のあかりを頼りに乱歩を読んだ記憶と同じぐらい、胸がときめいた。
 なぜかと訊かれても困る。あえて説明を加えるなら、ラスベガスという砂漠のただなかに突如としてある非日常、そこはあまりにも、山田風太郎作品の持つ非日常性に似合うのである。
 時差ボケと疲労とで正体のなくなった体を、トレジャー・アイランドのプール・サイドで休める。トロピカルなドリンクを飲みながら、デッキ・チェアで常夏の陽に灼かれ、『甲賀忍法帖』を読む。
 これこそ山田風太郎の正しい読み方であると、私は信じて疑わない。
 ひとまず本を閉じ、トラムに乗ってミラージュへ。巨大なカジノで思考停止のまま散財。しかし散財の認識などてんでない夢心地で、古代ローマの宮殿を摸したシーザーズ・パレスでまたしても大散財。
 国籍不明の料理をたらふく食い、この世のものとは思われぬマジック・ショーを見物したのち、クジラのようなリムジンに乗って再びトレジャー・アイランドに戻る。
 スイート・ルームのベッドに横たわって開く、『甲賀忍法帖』。
 何ら違和感なく、私は物語の世界にすべりこむ。たちまち|簔《みの》|念《ねん》|鬼《き》のごとく髪の毛を逆立て、|地《じ》|虫《むし》十兵衛とともに地を這い、|霞刑部《かすみぎょうぶ》のように壁に溶け入る。死を覚悟して|陽炎《かげろう》を抱き、|朧《おぼろ》の瞳に恋をする。
 ああそれにしても――このキャラクター造形は、いかなラスベガスの演出家たちといえど、足元にも及ばない。
 もし私に千億の金があれば、『甲賀忍法帖』をモチーフにした巨大カジノ「NINJYA」を、ルクソールの並びに建ててやる。
 社会や人生をリアルに描き、身につまされる感動を読者に与えることもひとつの方法だ。
 しかし砂漠の不夜城のごとき非日常の世界に、読者を連れ去る小説はすばらしい。
 ともあれラスベガス旅行の折には、パスポートとともに山田風太郎をお忘れなく。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:25:53 | 显示全部楼层
    忍法帖雑学講座1
  忍法帖とトーナメント
                                                        日下 三蔵

 講談社文庫版〈山田風太郎忍法帖〉のトップを飾る本書『甲賀忍法帖』は、記念すべき風太郎忍法帖の第一作である。光文社の雑誌「面白倶楽部」に、一九五八年十二月号から五九年十一月号まで連載され、終了直後の五九年十一月に、光文社から刊行された。
 こうした雑誌の連載小説は、年度の改まった新年号から始まるのが通例のところ、売れ行きの落ちる十二月号へのテコ入れ的目玉作品として、特にひと月くりあげて連載を開始してくれるように編集部から申し入れがあったものだという。
 それまで一般的であった「忍術」という言葉に、「忍法」というリニューアルをほどこしたことは山田風太郎の功績だが、これについて著者は次のような回想を記している。

 題名をつけるとき、「忍術帖」としようか「忍法帖」としようかと、相当考えたことを記憶している。「忍術帖」というのは今から思うとおかしいようだが、どうせアナクロニズムを逆手に取った物語を書くのだからこれも悪くないと考えた。ただそれにしても古めかし過ぎ、一方「忍法帖」は、「忍法」という語がまだ定着せず「忍術」よりは清新に感じられたのと、この方が声に出して発音し易いのでこちらに決めたのであった。
 (講談社版『山田風太郎全集第六巻』月報より)

 もちろん単にタイトルの問題にはとどまらず、内容の方も、オリジナリティあふれる奇怪なものになっていることは、ご一読いただければお解りのとおり。とにかく探偵小説でも何でも、「他人のしていることには興味がない」、つまり常套を嫌うのが風太郎作品の特徴だが、ここまで徹底して新機軸を打ち出した例は珍しい。
 人間の常識をはるかに超えた奇抜な技を身につけた忍者たちが、ある目的のために互いに命を賭けて死闘をくりひろげる、というのが忍法帖のパターンだが、スタイル、ストーリーともに、それまでの時代小説の枠を大きく逸脱し――忍者同士の戦いを描くためだけ[#「だけ」に傍点]に書かれた小説など他にあるはずがない――ほとんど〈忍法帖〉という一つの新ジャンルを確立してしまっているのだ。ミステリでもSFでも、そのジャンル特有の約束ごとがある小説というものは、読者と作者の双方が、それなりの時間と情熱をかけた結果として、形成されるのが普通である。ところが忍法帖の場合、山田風太郎は文字どおり筆一本で、まったく新しい世界観とそのルールを読者に納得させてしまい、なおかつ作品自体も高度なエンターテインメントとして成立しているのだから、これはもう神業というしかない。
 時代小説の中に〈捕物帖〉というジャンル内ジャンルを打ち立てた岡本綺堂のように、優れた作家はしばしばこうした特異な業績を残すものであるが、山田風太郎の場合は、さらに忍法帖の後に書き始めた〈明治もの〉(現在は、『山田風太郎明治小説全集』全十四巻として、ちくま文庫に収録)で、再び同じことをするのだから、まさしく前代未聞の作家といえる。

 忍法帖には、山田風太郎ならではの独創的なアイデアが、大量に投入されているが、中でももっとも秀逸なのが、忍者同士の対決をトーナメント方式にしたことではないだろうか。一人一人の技がいくら奇抜であっても、それだけでは小説にならない。組み合わせ方の妙があって、初めて忍法そのものの面白さを、充分に描写できるのである。つまり、完全にオールマイティの忍者は登場せず(本書に登場するある忍者は、ほとんどオールマイティのごとき強さを誇るが、実に意外な相手に倒されてしまう)、Aに対して勝ったものが、今度はBに敗れていく、この意外性こそが、ストーリーの牽引力になっている。
 例えば本書においては、三代将軍の座を決めるために、伊賀・甲賀の精鋭十人ずつを、それぞれ暗愚の兄・竹千代と聡明な弟・国千代にあてがって相戦わせる、というのが闘争のきっかけとなっているが、歴史を見れば最終的にどちらが勝つのかは、始めから決まっていることである。なんと山田風太郎は、結末を読者にさらしたうえでストーリーを開始している訳で、これを途中経過の面白さだけで最後までページを繰らせてみせる、という自信の現われとみるのは、それほど不自然ではないはずだ(さらに人を喰ったことに、当の忍者たちがこの「理由」を知るのは、物語も終盤に入ってからのことなのだ!)。
 本書では、十人対十人の対決だったが、これがあとの忍法帖では、五人対五人(『くノ一忍法帖』)、七人対七人(『秘戯書争奪』)、七人+七人対七人+七人(『忍者月影抄』)、八人対八人とバリエーションが広がっていき、中には、十五人対十五人対十五人(『外道忍法帖』)などというものまで登場する。一人対多数という例外的な作品も数篇あるが、基本的には、多数対多数のトーナメント方式を踏襲しているといってよい。その意味で、本書は、第一作でありながら、既にがっちりと基礎を確立した、きわめてスタンダードな作品となっているのである。完成度も高く、忍法帖への入門にはうってつけ、初めて風太郎忍法帖を手に取った、という方には、迷わず本書から読み始めることをお勧めしたい。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:26:09 | 显示全部楼层
〈登場忍者一覧〉
 ◎甲賀組十人衆  ◎伊賀組十人衆
  甲賀弾正     お幻
  甲賀弦之介    朧
  地虫十兵衛    夜叉丸
  風待将監     小豆蝋斎
  霞刑部      薬師寺天膳
  鵜殿丈助     雨夜陣五郎
  如月左衛門    筑摩小四郎
  室賀豹馬     蓑念鬼
  陽炎       蛍火
  お胡夷      朱絹
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:26:54 | 显示全部楼层
  おことわり
本作品中には、(講談社文庫版の)十頁に始まり全二十五頁にわたり、せむし、盲、いざりなど身体障害に関する、今日では差別表現として好ましくない用語が使用されています。
しかし、江戸時代を背景にしている時代小説であることを考え、これらの「ことば」の改変は致しませんでした。読者の皆様のご賢察をお願いします。



〔初出〕
「面白倶楽部」(光文社)一九五八年一二月号~一九五九年一一月号連載
〔単行本〕一九五九年光文社刊
後、「山田風太郎忍法全集」第一巻(一九六三年・小社)・講談社ロマンブックス版(一九六七年)・「山田風太郎全集」第四巻(一九七二年・小社)・角川文庫版(一九七四年)・富士見時代小説文庫版(一九九三年・富士見書房)・「山田風太郎傑作忍法帖」第一巻(一九九四年・小社)などで刊行。
〔底本〕
講談社文庫『山田風太郎忍法帖1 甲賀忍法帖』(一九九八年)


山田風太郎(やまだ・ふうたろう)
一九二二年、兵庫県生まれ。東京医科大在学中の一九四七年、探偵小説誌「宝石」の第一回懸賞募集に「達磨峠の事件」が入選。一九四九年に「眼中の悪魔」「虚像淫楽」の二篇で日本探偵作家クラブ賞を受賞。一九五八年から始めた「忍法帖」シリーズでは『甲賀忍法帖』(本書)『魔界転生』等の作品があり、奔放な空想力と緻密な構成力が見事に融合し、爆発的なブームを呼んだ。その後、『警視庁草紙』等の明治もの、『室町お伽草紙』等の室町ものを発表。『人間臨終図巻』等の著書もある。二〇〇一年七月二八日、逝去。


甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖1
講談社電子文庫版PC
山田風太郎 著
(C) Keiko Yamada 1959

二〇〇二年一〇月一一日発行(デコ)
発行者 野間佐和子
発行所 株式会社 講談社
  東京都文京区音羽二‐一二‐二一
  〒112-8001
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发表于 2009-2-2 18:59:31 | 显示全部楼层
甲贺忍法帖很好看!
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发表于 2009-11-4 23:43:32 | 显示全部楼层
谢谢分享~~~
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