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友情
友情は成長の遅い植物だ。しかし、いったん成長したら、容易に枯れぬ植物となる。日照りにも洪水にも負けぬ植物に——。そして、いくたの試練を経て、ますます枝葉を茂らせてゆく。いや、正しく試練が友情を育てるというべきだ。
友情は決してお世辞を言わない。お世辞を言う必要がないからだ。そして実にずけずけとものを言う。手痛い忠告を投げつける。「君のその言葉は誤っている」「君の行為は正しくない」と。そんな時私たちは露骨に不快の顔をして見せるのだが、友情はいっこうに苦言をやめようとしない。そこで私たちも思わず反発したくたり、「いや、ぼくの行為は正しいのだ」とやり返す。
だから友情は、けんか好きである。けんかしたあとで、実にいやなやつだと思う。そして今後絶交だと固く心に誓うのであるが、いつのまにかまた、かれとの交際が始まっている。おこって立ち去ったはずのかれも、そんなことがあったのかというような屈託のない顔である。友情のない人々は、けんかを避けるために離れてゆく。友情は離れないために、けんかする。けんかを売られた私たちは、当然友人に感謝しなければならない。
また友情ほど人の欠点をあらわに見せるものはない。明るい電灯の光をつきつけると、人の顔のアバタやニキビの跡がいっそうははっきり見えるようなものだ。友情はあまりに接近しすぎているからだろう。私はかれの欠点を知っている(もちろん長所も)、かれも私の欠点を知っている。欠点と欠点が交際していて、なぜ長続きがするのだろう。そこに何かがあるからだ。コーヒーをおごるといいながら、わりかんを主張するかれを、ケチだと思うが、心からは憎めない。ぼくはかれの真の友情を信ずるからだ。
だから、ぼくはジュベールの言葉に従いたい。「友人が片目なら、ぼくは友人を横顔からながめよう。」
友谊是成长缓慢的植物。然而,一旦成长就很容易成为不枯萎,不输给强光与洪水的植物。而且,无数次磨练的经历会让它的枝叶变得越来越茂密。不,确切地说应该是磨练孕育了友谊。
友谊决不说阿谀奉承的话,因为根本没有必要。而且确实直言不讳地扔给你一些象“你说的是错的”“你做的不对”一样重大的忠告。虽然这时候我们会直率地摆出一副不高兴的脸给对方看,但友谊绝对不会就因为这样而停止劝告。于是我们自然也会想反击对方,顶嘴道“不,我这么做是对的”。
所以友谊是喜欢吵架的。吵架后虽然会认为对方真是个讨厌的家伙,并铁了心发誓今后要和他断绝关系,但不知不觉间和他交往就又开始了。本来应该因为生气而离开的他也会摆出一张毫不担心会发生这种事情的脸。那些没有友谊的人总是为了躲避吵架而渐渐疏远对方,友谊为了不疏远对方而吵架。被挑衅的我们当然一定要感谢我们的朋友。
没有什么比友情更能显露显出人的缺点的东西。把明亮的灯光摆在眼前,就能更加清楚地看到人脸上的麻子或粉刺的痕迹。而友谊太过靠近了,我知道他的缺点(当然也知道优点),他也知道我的缺点。缺点与缺点相碰,怎么还会长存呢?因为那里有点什么。虽说请我喝咖啡就行,虽然觉得主张AA制的他是个小气鬼,但不能从心底去憎恨。因为我相信我们之间真正的友谊。
所以我想听从Joubert的一句话,“如果朋友失去了一只眼睛,我会从侧面凝视着他”。080525
[ 本帖最后由 mizuho_2006 于 2008-5-25 21:08 编辑 ] |
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