ある日私の担当医にそのことを言うと、君の感じていることはある意味では正しいのだと言われました。彼は私たちがここにいるのはその歪みを矯正するためではなく、その歪みに馴れるためなのだといいます。私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受けいれることができないというところにあるのだ、と。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や考え方や物の見方にもくせはあるし、それはなおそうと思っても急になおるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまうことになるんだそうです。もちろんこれはすごく単純化した説明だし、そういうのは私たちの抱えている問題のあるひとつの部分にすぎないわけですが、それでも彼の言わんとすることは私にもなんとなくわかります。私たちはたしかに自分の歪みにうまく順応しきれないでいるのかもしれません。だからその歪みがひきおこす現実的な痛みや苦しみをうまく自分の中に位置づけることができなくて、そしてそういうものから遠離るためにここに入っているわけです。ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たちが『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とはまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮しています。でも私たちのこの小さな世界では歪み.こそが前提条件なのです。私たちはインディアンが頭にその部族をあらわす羽根をつけるように、歪みを身につけています。そして傷つけあうことのないようにそっと暮しているのです。
運動をする他には、私たちは野菜をつくっています。トマト、なす、キウリ、西瓜、苺、ねぎ、キャベツ、大根、その他いろいろ。大抵のものは作ります。温室も使っています。ここの人たちは野菜づくりにはとてもくわしいし、熱心です。本を読んだり、専門家を招いたり、朝から晩までどんな肥料がいいだとか地質がどうのとか、そんな話ばかりしています。私も野菜づくりは大好きになりました。いろんな果物や野菜が毎日少しずつ大きくなっていく様子を見るのはとても棄敵です。あなたは西瓜を育てたことがありますか?西瓜って、まるで小さな動物みたいな膨み方をするんですね。
私たちは毎日そんなとれたての野菜や果物を食べて暮しています。肉や魚ももちろん出ますけれど、ここにいるとそういうものを食べたいという気持はだんだん少くなってきます。野菜がとにかく瑞々しくておいしいからです。外に出て山菜やきのこの採取をすることもあります。そういうのにも専門家がいて(考えてみれば専門家だらけですね、ここは)、これはいい、これは駄目と教えてくれます。おかげで私はここに来てから三キロも太ってしまいました。ちょうどいい体重というところですね。運動と規則正しいきちんとした食事のせいです。
その他の時間、私たちは本を読んだり、レコードを聴いたり、編みものをしたりしています。TVとかラジオとかはありませんが、そのかわりけっこうしっかりとした図書室もありますし、レコード・ライブラリィもあります。レコード・ライブラリィにはマーラーのシンフォニーの全集からビートルズまで揃っていて、私はいつもここでレコードを借りて、部屋で聴いています。
この施設の問題点は一度ここに入ると外に出るのが億劫になる、あるいは怖くなるということですね。私たちはここの中にいる限り平和で穏かな気持になります。自分たちの歪みに対しても自然な気持で対することができます。自分たちが回復したと感じます。しかし外の世界が果して私たちを同じように受容してくれるものかどうか、私には碓信が持てないのです。
担当医は私がそろそろ外部の人と接触を持ち始める時期だと言います。『外部の人』というのはつまり正常な世界の正常な人ということですが、そういわれても、私にはあなたの顔しか思い浮かばないのです。正直に言って、私は両親にはあまり会いたくありません。あの人たちは私のことですごく混乱していて、会って話をしても私はなんだか惨めな気分になるばかりだからです。それに私にはあなたに説明しなくてはならないことがいくつかあるのです。うまく説明できるかどうかはわかりませんが、それはとても大事なことだし、避けて通ることはできない種類のことなのです。
でもこんなことを言ったからといって、私のことを重荷としては感じないで下さい。私は誰かの重荷にだけはなりたくないのです。私は私に対するあなたの好意を感じるし、それを嬉しく思うし、その気持を正直にあなたに伝えているだけです。たぶん今の私はそういう好意をとても必要としているのです。もしあなたにとって、私の書いたことの何かが迷惑に感じられたとしたら謝ります。許して下さい。前にも書いたように、私はあなたが思っているよりは不完全な人間なのです。
ときどきこんな風に思います。もし私とあなたがごく当り前の普通の状況で出会って、お互いに好意を抱きあっていたとしたら、いったいどうなっていたんだろうと。私がまともで、あなたもまともで(始めからまともですね)、キズキ君がいなかったとしたらどうなっていただろう、と。でもこのもしはあまりにも大きすぎます。少くとも私は公正に正直になろうと努力しています。今の私にはそうすることしかできません。そうすることによって私の気持を少しでもあなたに伝えたいと思うのです。
この施設は普通の病院とは違って、面会は原則的に自由です。前日までに電話連絡をすれば、いつでも会うことができます。食事も一緒にできますし、宿泊の設備もあります。あなたの都合の良いときに一度会いに来て下さい。会えることを楽しみにしています。地図を同封しておきます。長い手紙になってしまってごめんなさい」
僕は最後まで読んでしまうとまた始めから読みかえした。そして下に降りて自動販売機でコーラを買ってきて、それを飲みながらまたもう一度読みかえした。そしてその七枚の便箋を封筒に戻し、机の上に置いた。ピンク色の封筒には女の子にしては少しきちんとしすぎているくらいのきちんとした小さな字で僕の名前と住所が書いてあった。僕は机の前に座ってしばらくその封筒を眺めていた。封筒の裏の住所には「阿美寮」と書いてあった。奇妙な名前だった。僕はその名前について五、六分間考えをめぐらせてから、これはたぶんフランス語のami(友だち)からとったものだろうと想像した。 |