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发表于 2008-9-1 13:17:13
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東京の下町、谷中(やなか)には広い墓地がある。昨年亡くなった日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーさんはその散策を好んだ。散策するうち、あることに気づく。〈大正十二年九月一日と昭和二十年三月十日に死んだ人々の墓がいかに多いか〉と、随筆集『谷中、花と墓地』(みすず書房)に書き残している▼
东京下町谷中有一大片墓地。去年去世的日本文学研究者爱德华•塞丹施蒂很喜欢在此散步。散步之时,注意到了这样一件事情。“大正十二年九月一日和昭和二十年三月十日去世的人的墓格外的多”这在他的随笔集<谷中、花与墓地〉中有所提及。
前者が関東大震災、後者が東京大空襲なのは言うまでもない。片や天災、片や戦災の違いはあるが、どちらも東京を炎で包み、壊滅的な被害をもたらした。その天災から85年経(た)ち、きょうは「防災の日」である▼
不用说前者由于关东大地震、后者是因为东京大空袭。虽然一些人是因为天灾,另一些人是因为战争这样不同的原因而死去,但都使东京处在了水深火热的境地之中,给东京带来了毁灭性的灾害。这一天灾已经过去了85年,今天正好是“防灾日”。
天災は忘れたころにやって来る、と戒めに言う。だが、このところの列島は、忘れる暇もないほどに、地震、竜巻、水害――と見舞われ通しの感がある。数日前も東海や関東が記録的な豪雨に襲われた▼
有这样一句名言警句----当人们忘记天灾的时候天灾就会卷土重来。但是,现在的列岛,根本就没有去遗忘的时间。地震、龙卷风、水灾----简直就像是约好了的。前几天,东海和关东被一场前所未有的暴雨侵袭了。
「何十年も住んでいるが、こんなのは初めて」と、被災した人はしばしば口にする。きのうまでの無事も、きょうの安全を保証してはくれない。自然はときに、想像を超える無慈悲な牙を我々にむく▼
“在这里生活了几十年,这样大的雨还是头次见。”受害者们屡屡说到。到昨天为止一直安全并不能保证现在安全。大自然常常超出我们的想象,对我们露除可怕的獠牙。
世界でも、中国四川省の大地震、ミャンマーのサイクロンと大災害が相次いだ。そのせいもあってか、本紙の読者アンケートでは、いつになく防災意識が高まっている。「他人事(ひとごと)ではない」が、昨今のキーワードらしい▼
在世界范围内,也是灾害不断,中国四川的大地震,缅甸的热带气旋。也许是出于这样的原因,本报的读者调查中可以看出大家的防灾意识提高了。“这不是别人的事情”貌似是现如今的热门词汇。
関東大震災の後には、「この際だから」が流行語になったという。諸事を見直したり、改めたりする枕詞(まくらことば)のように語られたそうだ。夏が過ぎ、台風の季節はもって本番。この際だから、身近な防災策を見直して、万が一に備えるとする。
据说关东大地震之后,“现在种种情况下”一度成了流行语。就象开场白一样被广泛用在“诸事重建,万事改进等情景”之前。
夏季一过,台风的季节来了。在这样的时刻,需检验我们对身边的灾害的对策,以防万一。 |
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