转自日本经济新闻
日本にノーベル賞が来た理由
幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死
2008年10月10日 金曜日 伊東 乾
「世界同時株安」を背景に、日米の選挙と金融・財政政策を情報の観点から見る、というのが、ここ数週間のこのコラムの通しテーマなわけですが、そこに「ノーベル賞」が飛び込んできました。物理学賞の南部陽一郎先生、小林誠・益川敏英の両教授、そして1日遅れて化学賞の下村脩教授と、日本の報道は「日本人」が4人受賞と大はしゃぎですが、ノーベル財団の公式ホームページでは、米国籍の南部先生は米国人としています。同じく化学賞も、ノーベル財団のホームページで下村さんは「日本国籍」となっていますが、所属と学術業績についてはUSAとなっています。
「暗い話題の中に明るいニュース」「日本人の快挙!」などと見出しが躍りますが、「日本人」として本当に喜ぶべきポイントは、実は報道されている表層とはおよそかけ離れたところにあります。
さらに「ノーベル賞受賞」の背景や延長には「研究予算獲得」にまつわる生臭い話や、知材ビジネスに関する構造的大問題なども存在している。そこで2回ほど、普段は描かれざるサイエンス&テクノロジーの背景を書いてみたいと思います。ちょうど、休職中外交官の畏友佐藤優が、役所の内部から問題を明らかにして通気をしたように、元崩れ物理学徒である音楽家の私は関連の問題に(よい意味で、予算配分などの)利害が一切ありません。この国のR&D(リサーチ&ディベロップメント・研究開発)が少しでもよくなってほしいという思いを強く持っています。
10月7日火曜日の夜、私は港区白金の日経BP本社でルワンダ国立大学のルワカバンバ総長との対談を行っていました(選挙明けにオンエアします)。そこにパートナーから「ノーベル物理学賞、日本人3人だって」と携帯電話が掛かってきます。
「素粒子物理学で3人だって」
「ふーん……じゃ、小林・益川でしょ」
「何で分かるの?」
「あと、マージャンの役のアタマじゃないけど、南部先生?」
「そうそう、どうして???」
物理の内情をご存じない方には意外な名前でも、内側を知っている人間には「素粒子…それなら小林・益川、それに南部先生以外あり得ない」と、瞬時にして分かる人選なのです。今年「日本」と来れば「素粒子」というのも、事情を知っていれば誰でも分かることでした。
益川さんのインタビューがいろいろ話題をまいていますが、とりわけ「ちっともうれしくない」「南部先生が受賞されたのは本当によかった」などと述べておられる背景は、知っている物理屋にはあまりによく分かりすぎる事情が存在しています。それにはノーベル財団の「大失策」が関係しているのです。
幻のノーベル物理学賞「ニュートリノ振動」
昨年、2007年のノーベル物理学賞はフランスのアルベルト・フェールとドイツのペーター・グリューンベルクが「巨大磁気抵抗の発見」で受賞しています。この仕事によって、私たちが日常的に使っているギガバイトサイズの磁気メモリーの開発が可能になった大業績で、物理の中で分類すれば「物性物理実験」のジャンルです(書くのも恥ずかしいですが私がかつて大学院で勉強した分野でもあります)。
1938年生まれのフェールさんと39年生まれのグリューンベルクさん、2人とも今もお元気だと思いますが、この1年の間に1人の日本人科学者が命を落としました。戸塚洋二博士(1942-2008.7.10)です。戸塚さんこそ、ノーベル賞をもらわないわけにはゆかない人でした。彼のボス、小柴昌俊氏に2002年にノーベル賞が出たのは、1998年に小柴研の後継者である戸塚さんたちが「ニュートリノ振動の観測」に成功した、20世紀最後最大の業績に対するノーベル賞授与の準備、布石と誰もが理解していました。
「ニュートリノ振動」について詳しくは記しませんが、「ニュートリノ(中性微子)」と呼ばれる微小な素粒子に質量があるか、ないかによって、私たちの住むこの宇宙全体の構造モデルの理解まで変わってくる、本質的な大問題です。
戸塚さんたちのグループは1998年、「ニュートリノに質量がある」ことを、世界で初めて示しました。これこそが物理学賞史上に永遠に残り、あらゆる教科書に記される本当の大業績にほかなりません。
こうしたプロジェクトの言いだしっぺは小柴さんですが、本当に粉骨砕身で努力されたのは戸塚さんたち小柴研のスタッフでした。ところが、そもそも計画をし、装置を作るまでの責任者だった小柴さんにはノーベル賞が出ましたが、本当に賞を授与すべき大業績、この装置を使って得られた「ニュートリノ振動の観測」を、ノーベル財団は永遠に顕彰する機会を失ってしまったのです。
戸塚洋二さんの死/間に合わなかったノーベル賞
この「永遠に」というのが実は非常に重要なポイントです。1987年、神岡(岐阜県神岡町)のニュートリノ観測で「仁科記念賞」を得た小柴さん、戸塚洋二さん、須田英博さんの3人のうち、ボスの小柴さんだけが現在も存命で、戸塚さんも須田さんも亡くなってしまいました。須田さんは国際学会中の突然死で、過労死という声も聞きました。ちなみに小柴研の後継者、折戸周治さんも50代で亡くなっています。
小柴グループの主要な「武将」たちがつぎつぎに早世して、小柴さんが一番お悲しみ、と思います。しかし同時に「一将功成って万骨枯る」と手厳しく批判する人も少なくありません。というのも小柴研は体育会系の研究スタイルで、スケールの大きな優秀な人たちが、寸暇を惜しんで物理に24時間、文字通り献身して、ニコニコしながらウルトラハードなプロジェクトを進めていたからです。戸塚さんも豪傑で、大学院入試の前日に山岳部の仲間と呑みながら徹夜マージャンだかなんだかをして、時間を間違えて1年留年したりしたのだったと思います。私は大学院の特講か何かで1単位もらった程度のご縁しかありませんでしたが、人格はおおらかで素晴らしい物理学者でした。
小柴研の、本当に素晴らしい業績は得られたけれど、志半ばで若くして亡くなっていったアシスタントたちを知る人は、彼らこそ本当に顕彰されるべきだと確信を持っていると思います。日本では、ノーベル賞などをもらってしまうと誰もが奉ってしまって、こうしたことが言われませんが、小柴さん以外にも、すさまじい体育会系のグループ研究を率いる科学者は存在しますし、そこでは「アカデミックハラスメント」のような言葉は出てこないし、「過労死」という言葉も聞かれないことになっています。でも、本当にそれでよいのか? 個人的には疑問を持っています。
去年の秋のノーベル賞の季節、戸塚さんはご存命でした。もし去年「ニュートリノ振動」にノーベル賞を出していても、今年、去年の授賞業績「巨大磁気抵抗」の2人とも元気なのですから、賞を出すことが可能でした。賞の権威を本当に皆が認めるためには、当然出すべき対象の業績に漏れがあるべきではありません。「ニュートリノ振動」こそは、万人が認める大業績でした。ノーベル財団・選考委員会は、完全に読みを誤りました。
南部先生は「日本」の物理学者か?
一方で、益川さんも「うれしい」と言った南部先生は、87歳でのご受賞ですが、以前『バカと東大は使いよう』にも書いた通り、ノーベル賞を2回もらってもおかしくない大物理学者で、30年前の1978年に文化勲章を受けています。
南部先生はすでに渡米60年近く、米国籍を得られて40年近くになり、ノーベル財団も「USA」と報じる「日系米国人」の世界的物理学者で「日本人が」と日本の学術界が喜ぶのは、微妙に筋がずれています。元来は日本の環境に問題があって頭脳流出した物理の南部先生であり、化学の下山教授だった事実がどこかに行ってしまうからです。正直な話私も、よりよい環境があればいつでも日本を出る用意がありますが、この国では、国内問題山積のまま、海外に出て行った人に何か賞なぞが出ると、すぐに「日本が、日本人が」と騒ぐ。これには背景があります。とりわけ研究費や知材にまつわる問題は深刻で、これは次回に記すことにします。
南部先生の主要業績は「自発的対称性の破れ」の導入と呼ばれるものですが、これは一種のアイデア、発想の根本的な転換と言ってよいもので、実証科学というより大胆な「卓見」に基づく精緻な論理の組み立てという、パイオニア的大業績です。この点で南部さんのお仕事は、湯川秀樹さんと近いところがあります。湯川さんの中心業績(「指数型ポテンシャルの中間子による強い相互作用」というアイデア)も、経済的に限界があり、いまだ大規模実験などできなかった1930年代の日本で、旧来の慣習を破る大胆な発想と細心の論理で、いわば鉛筆一本で成し遂げられた「純日本産」の業績でした。南部先生は湯川さんがノーベル賞を受賞した直後に頭脳流出して、欧米で「鉛筆一本」、財力などではなく純粋に知的資産100%で、60年にわたって、理論物理の第一線を牽引してこられたのです。 |