全文請去「電子文藝館」閲読。這里是節選。
篠原央憲
しのはらひさのり 評論家 1931.6.9 徳島県に生まれる。 掲載作は、昭和五十一年(1976) 光文社初版刊行の『いろは歌の謎』を縮少再構成した。
いろは歌の謎
ここに、恐ろしいほどの謎が隠されている。思いもかけぬ不可思議な暗示が、わたしたちを戦慄させるのだ。
現在「いろは四十七文字」といっても、ほとんどの人は全部を知らない。しかし、戦前の日本人は、誰でも、もの心つき始めるころに、それを覚えた。「いろは四十七文字」によって、戦前の日本人は生まれて初めて、文字と言うものを知ったのである。そこには、私たちが生涯を通じて使用するひらがなが、一字も重複することなく、全部収まっている。
ところが、いうまでもなく、この「いろは四十七文字」は、古い時代に作られた「歌」である。深い意味を持った歌つまり「いろは歌」であり、単に文字を覚えるためや、文字を記号的に整理するためだけに、かな文字を配列したというものではない。
私たちは、この「いろは歌」を、無造作に口ずさみ何と言うこともなく、日常的に活用してきたが、これを日本の古い時代に、誰が、どのようにして作ったものであるかを、誰一人知らないのである。
これほどに高級な技術を駆使して作られ、しかも優れた内容をもちこれほどに普及した歌、私たち日本人の、文字使用の原点であるともいえるこの「いろは歌」の作者が,いまだまったくわからず、しかもなぜか故意に秘密にされ、作者を表面に出すことのできない隠された事情があるような形跡がうかがえるのだ。
日本の上代の歴史は、謎また謎のような部分があまりにも多い。この「いろは歌」もおそらくその暗い部分に、深くかかわっているに違いない。その四十七文字の奥に果たしてどんな秘密がかくされているのだろうか。
平安初期の暗号遊び
三十年程前、私は日本古代の暗号を研究していた。それは、日本の朝廷が作った古い書物「日本書紀」とか「続日本紀」などの記事のところどころに、「○月×日、月、大星の心を犯せり」とか、「この日、白気(白きしるし)東の山に起これり」とか、理解しがたい奇妙な文章があるのを不思議に思い、それを探ってみたいと考えたからであった。
暗号はそもそも人類の社会生活の発生とともに存在したが、言葉の発生、発達とともに、だんだんと巧妙化してくるのは、当然であった。無論最初は簡単な合図のようなものであった。「古事記」神武天皇の項に、酒盛りの最中に歌を合図にして戦いを開始するという記事がある。暗号は,大古から主に戦争で利用されたが、平安初期になると、歌人たちの間で一種の遊びとして使われるようになった。これには何らかの契機があったのだろうが,まあいまでいうクイズ遊びのようなものであった。その方法は、暗号学的には「分置(ぶんち)式」と呼ばれるもので、一見なんでもない歌の文句の中に、別の通信文を秘匿する方法である。たとえば「古今集」(巻十)にある、紀貫之の歌に、つぎのようなものがある。
小倉山峰たち鳴らしなく鹿のへにけむ秋を知るひとぞなき
ところが、この歌には、別の意味のことばがかくされている。五七調にしたがって分けて書くと、それがわかる。
をぐらやま
みね立ち鳴らし
なく鹿の
へにけむ秋を
しるひとぞなき
つまり、いちばん頭の字を横に読むと、「をみなへし」(女郎花)となる。別に重大な用件を暗号的に組み込む、というような大げさなものでなく、花の名や鳥の名をおりこむ、みやびやかな遊びであって、こうした歌の詠み方を「折句」と呼んでいた。そして暗号を各句の頭に分置するものを[冠](かむり)、末尾に置くものを[沓](くつ)といい、両方に折り込むのを[沓冠](くつかむり)と呼んでいた。面白いものでは、つぎのようなものがある。
よもすず
ねざめのかり
たまくら
まそでも秋
へだてなきか
し
ほ
も
に
ぜ
鎌倉末期の歌人で、[徒然草](つれづれぐさ)の作者でもある兼好法師が、友人の頓阿法師に送った「沓冠」の歌である。[冠]で「よね(米)たまへ」、[沓]で「ぜに(銭)もほし」となる。これに対して頓阿法師の答えた歌は
よるもう
ねたく我せ
はては来
なほざりにだ
しばし問ひま
し
こ
ず
に
せ
であり、これは「米(よね)はなし」「銭(ぜに)すこし」となる。金銭、米の貸借も、このような方法でやれば、ユーモラスである。
「いろは歌」第一の暗号
さて、こうした歌を調べていくうちに、私は「いろは歌」にぶつかったのである。私たちの世代は、小学校へ入る前後、「いろは並べ」のオモチャで育った。「いろは」の文字を、一字ずつ大きく書いた木片を並べる遊びである。それは、七字並べであった。私たちはまず最初「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」と区切って文字を覚えた。つぎに「ち・り・ぬ・る・を・わ・か」である。もっとも実際には一番最後は「ん」と「京」が入っていて二字分の空白を埋めてあった。それで七七四十九字とすんなり収めてあったわけであるが、この「ん」は「いろは」以後の文字として理解はできたものの、「京」という漢字は唐突な感じで子供心に不思議に思ったものである。ところで、「沓冠」の暗号を調べていた合間に、私は何気なくこの「いろは並べ」の順に文字を書いて、ぼんやり眺めていた。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
すると、そこに不可思議なことばが入っていることに気づいたのである。「沓」にあきらかに暗号文が入っている。しかも、それは、実に薄気味悪いことばである。
とかなくてしす―「とが(咎)なくて死す」
これは一体どういうことなのか。私は一瞬、戦慄した。偶然に、こんなことばの配列になったのであろうか。「咎なくて死す」とは、無実の罪で死んでゆくことを訴えた言葉である。この切なく哀しい響きを持った暗号文は、いつ誰によって、なぜ作られたのか、私は、それが作られた時代、おそらく平安初期か奈良時代ころの、この作者の境遇に思いをはせたのであった。「いろは歌」は、まさに不気味な歌なのだ。その作者は、一体誰なのか、遠い奈良・平安時代から、じつに千余年も過ぎて、いまはじめて一人の人間が、その作者の切ない訴えに気づく。それはあまりにも遅すぎた伝達である。私は興奮し、この悲痛な境遇で死んでいった薄倖の作者を探さなければならないと、思った。私の「いろは歌」研究はこうして始まった。
日本語のアルフアベットの謎
いずれにしても、「いろは歌」はまさしく、日本語のアルフアベットともいうべきものであり、古い歴史のかなたから、民族的な規模をもって、綿々と伝わってきたものである。それゆえに、そこに隠されている暗号がすべて解読され、その歌の秘密のヴエールがはがされたそのときには、それは単に一人の作者の名前が解明されるだけというような単純なものではない、何か日本の歴史の全体に関連するような、そんな思いもかけぬ重大な発見がなされるのではないか。私はそんな予感に震えたのであった。
まず、第一の暗号が示唆するもの―それは、日本上代の悲劇的呙颏郡嗓盲俊⒍啶位首印⒒首濉⒊肌⒏枞摔郡沥翁剿鳏扦ⅳ盲俊s史の闇に消えたそれらの人物たちを追い私は、歴史の暗いひだをひとつずつめくっていった。そして、いくつもの新しい局面、謎にぶつかっていった。
©2002 Shinohara Hisanori
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on Mar. 4, 2002. |