完整版的听力和原文参见
http://coffeejp.com/bbs/thread-248391-1-1.html
[wma]http://www.piekee.com/paipai/zjpp2009010101050103/audio/paipai_audio_2009010209301456169_88012.mp3[/wma]
ゆっくりと車窓を滑っていく夕景色を眺めながら、僕は少し感傷的な気持ちで、想いをめぐらした。何もかもが移ろっていく。人も街も風も、そして僕自身も。移ろわないものなど何一つない。全ての存在の本質とは、きっと移ろうことなのかもしれない……
蛇足になるが、この短い文章を書こうと思ったのは、たまたま仕事で行った場所の記憶が、遠い昔に時間を共有していた人たちの面影を呼び醒まし、それが荒川線、面影橋へと繋がる連想を惹き起こしたことがきっかけである。最初に書いた「面影橋から」という歌も、その時にまるで紐で繋がっていたように記憶の底から引っ張り出されて来たものだ。僕は、これを書きながら、試しにインターネットであの歌の題名を検索してみた。すると、ちゃんと正確な歌詞を知ることが出来た。便利な時代になったものである。それは、こんな歌だった……
面影橋から 天満橋
天満橋から 日影橋
季節はずれの 風にのり
季節はずれの 赤とんぼ
流してあげよか 大淀に
切って捨てよか 大淀に
東京は、常に変わり続けている。まるで変わらなければいけないという強迫観念に突き動かされているようだ。古い建物はいつの間にか取り壊されて、どれも同じような新しいマンションになる。広かった電車の操車場は再開発され、まるで宇宙基地のような高層ビル群が出現して空を覆ってしまう。二三年もすると、街の眺めは一変してしまうのが常だ。
でも、最後に残った都電の荒川線だけは今も走り続けている。昔と変わらず。
[ 本帖最后由 浪迹的小鱼 于 2009-1-2 09:49 编辑 ] |