疑心暗鬼 ぎしんあんき
疑いの心をもって見ると
あやしくないものまであやしくみえる
斧(おの)をなくした者がいた。
となりの息子がどうもあやしい。
そう疑ってみると、彼の歩く様子はあきらかに不自然である。
出会ったときの視線もいつもと違うし、顔色までもがおかしい。
話している言葉も不自然な感じがするし、話題も単調である。
日常の動作や態度がすべて怪しく、隠しごとをしているのは間違いなかった。
ところがある日、近くの谷間で斧が見つかった。
よくよく考えてみると、自分がそこに置き忘れていたのだった。
その帰り道に、となりの息子と会って話をしたが
そのときもそれ以後も、全くあやしげな様子は感じられなかった。
人を疑う心は、さまざまな恐ろしい妄想「暗鬼」を生みます。
好きになった人を見る目には、その人の良いところしか映りません。
嫌いな人の言動は、嫌なところばかりが気になって何もかもが我慢なりません。
人を信じるか、信じないか、好きか、嫌いかは、相手の問題ではありません。
よく考えてみると、すべて自分の心持ちから生まれた感情なのです。
相手がゆがんで見えるときは、自分のゆがんだ心に気づくべきなのかもしれません。
|