|
上春樹(むらかみはるき)という小説家(しょうせつか)を知っていますか?村上春樹という人物(じんぶつ)を知らなくても、『ノルウェイの森』はどこかで見たり、聞いたりしているのではないでしょうか?しかし、村上春樹について何も知らない人もいるかもしれません。ここでは、少しでも多くの人に村上春樹を知ってもらいたいと思っています。
村上春樹とは1949年兵庫県(ひょうごけん)生まれ、兵庫県神戸市(こうべし)で少年時代(しょうねんじだい)を過ごす。早稲田大学(わせだだいがく)文学部(ぶんがくぶ)演劇学科(えんげきがっか)卒業(そつぎょう)。学生時代(がくせいじだい)に結婚(けっこん)し、東京都(とうきょうと)国文寺市(こくぶんじし)にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店(かいてん)。
1979年、『風の歌を聴け』で群像新人賞(ぐんぞうしんじんしょう)を受賞(じゅしょう)してデビューした。ジャズ喫茶を閉店(へいてん)した後のわずかな時間に少しずつ書き上げた。このとき30歳。その後、この作品の続編(ぞくへん)とも言える『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』を出版。そして『羊をめぐる冒険』は野間文芸(のまぶんげい)新人賞受賞。この間に、『ピーターキャット」を閉店し、執筆活動(しっぴつかつどう)に専念(せんねん)する。
彼は、1970年代以降の都市生活(としせいかつ)に存在する喪失感(そうしつかん)を、洗練(せんれん)された文体(ぶんたい)で叙情的(じょじょうてき)に描いた。その後、1985年、2つの物語(ものがたり)の『パラレル·ワールド』という手法(しゅほう)の『世界の終りとハードボイルド·ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞(たにざきじゅんいちろうしょう)を受賞。その後、1987年渡欧。ヨーロッパ滞在中(たいざいちゅう)に、書き上げた『ノルウェイの森』、『ダンス?ダンス?ダンス』が大ベストセラーとなる。その後、数々の作品を創りだしており、小説の他にもエッセーや、ノンフィクションも多数出版されていた。『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』などがある。
村上春樹は基本的(きほんてき)には純(じゅん)文学の部類(ぶるい)にはいる作家(さっか)である。しかし、彼の文学はとてもそれとは言いがたい、彼の文学はどのようなジャンルにも属さないのであり、しいていえば、村上文学としかいいようがないのである。このように、彼は奇異(きい)な作家であり、今の日本文学の中では浮いた存在であるといえる。このような彼は様々な評価(ひょうか)が下されるのは当たり前であり、彼はいつまでもちょっと違った場所におかれるのは言うまでもないだろう。
彼の作品のある基本的な構造(こうぞう)は「シーク アンド ファインド(探し出して、探し求める)」というものである。彼はこの方法論(ほうほうろん)をレイモンドチャンドラーから学んだといっている。彼が、導(みちび)き出したこの方法論は結論(けつろん)として導かれるのは探し求めて探し出した時には探し出したものはすでに変質(へんしつ)してしまっているというものであった。彼はこれを作品の中心に置き、今まで多くの作品を書いてきたが、特に『ノルウェイの森』は、実に四百万部も売れ行きをみせ、一時などはブームとなるほどであった。
彼が書いた多くの作品の中で、最も若者に受けたのは『羊をめぐる冒険』であり、批評家(ひひょうか)に最も支持(しじ)されたのは、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』であった。また、文庫化(ぶんこか)された小説『ねじまき鳥クロニクル』もそこそこの売れ行きを見せていた。
最近の活動の目覚ましいところは彼のノンフィクション作家としての出発(しゅっぱつ)であろう。その活動意欲(いよく)は旺盛(おうせい)で、地下鉄(ちかてつ)サリン事件の被害者(ひがいしゃ)に取材(しゅざい)した『アンダーグラウンド』や、アメリカ文学の翻訳(ほんやく)·紹介者(しょうかいしゃ)としても活躍(かつやく)している。彼はこの作品を通して、人間いうブラックボックス(彼は人の思考をある種のブラックボックスとして捕らえている。)を説き明かそうとしている。
◆ 注解◆
ジャズ喫茶―爵士乐咖啡店。
デビュー―初出茅庐,初次问世。
エッセー―小品文、随笔。
ノンフィクション―非虚构的文艺作品。
ジャンル―种类、体裁、形式、流派、风格。
しいていえば―如果要强调。
レイモンドチャンドラー―雷蒙得·钱德勒(Chandler,Raymond Thornton)-(1888年-1959年)美国小说家。
地下鉄サリン事件―1995年3月,奥姆真理教在日本东京地下铁中施放毒气,导致多人负伤、死亡。 |
|