| 人類の社会には思想の潮流が二つあるんだ。人の命以上の価値があるという説と命に勝るものはないという説とだ。人は戦いを始める時、前者を口実にし、止める時に後者を利用にする。それは何百年何千年と続けてきた。人類全体なんで、どうでもいい。私は絶対流した血の量に値するだけの何かをやれるんだろうか。) |& n% l; |3 Y2 y- [6 X 
 * w; V1 @! ~, o: j 在人类的社会中有两种思想潮流,比生命价更高之说和生命至高无上之说。人们在发起战争时以前者为借口,结束战争时利用后者。这样千百年的持续着。对我来说,人类全体会怎么样都无所谓。我一定要为对得起所流的血的量而去做一些什么。% ^: h' p* ?2 t) y
 
 7 _) ~" d. `# F. {9 m: s 人類の歴史がこれからも続くとすれば、過去と言うやつは無限に積み重なれている。歴史とは、過去の記録と言うだけでなく、文明が現在まで継続している証であった。現在の文明は過去の歴史の集積の上に建っている。
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 人类的历史如果从现在开始持续的话,不光是“过去”这个东西的无限累积,也是文明发展到现在的证明。现在的文明是在过去历史的积累上建立起来的。
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 % E, W# O% ]! p" K; N" l% Q 生物が子孫に遺伝子を伝えることでしか長い時の流れの中で己の存在を自著することができない。だが人間だけが歴史を持っている。歴史を持つことが人類を他の生物と違う存在にしているんだ。/ d8 b/ O7 J) x* B
 
 " ^3 z: z4 c3 H) ?- [& Y 生物在时间的长河中只能通过将遗传因子传给子孙后代来证明自己的存在,但是拥有历史的仅有人类。这也使人类成为区别于其他生物的存在。
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 / I0 n7 a  d7 N' r  C 不本意な死に方を強いられることと不本意な生き方を強制されることとどちらがまだしも幸福に近いと言える。" N8 k* Q' P: a( ^2 O. `! d, h+ T
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 被施与非本意的死亡方式和非本意的生存方式中,到底哪一个还能算是接近幸福。
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 必要がなくなったから、そばに置かないとか、必要だから、側にさせるとか、そう言うものじゃなくて、必要がなくても側にいさせる、必要と言うのは役に立つとか、立たないとかと言う実験なものじゃなくてたね。
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 并不是因为不需要才不放在身边,或是需要就放在身边,即使不需要也要留在身边,需要不是单讲有用没用的实验品。
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 2 @% P1 a( \2 t6 E" n) b* M どんな状況の中にあっても、結局は当人が選択したことだ。これは、私自身に戒めていていることさ。宿命なんと言う便利な言葉があると、つい、自分の選択をそのせいにして正当化したくなる。私は別にいつも自分が正しいなんと思っちゃいない。同じ、間違いにしても自分の責任で間違いたいのさ。
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 不论在什么样的情况下,结果都是当事人做的选择。我也常这样告诫自己。因为有像“命运”这样便利的词语,就不知不觉的把自己的选择的责任推卸给他,并使其变得正当化。我也不是总是正确的,同样,自己要是犯了错误,也是自己的责任,是自己想去犯错误。
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