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和服
外国人にとって日本の印象(いんしょう)とはなんでしょう。富士山(ふじさん)、桜に新幹線(しんかんせん)やハイテク産業(さんぎょう)、そして、着物を着た日本女性ではないでしょうか。ところが実際に日本に来て見ると、着物姿はほとんど見られず、皆が洋服(ようふく)を着ているのにがっかりしてしまう外国人も多いようです。
「美しい着物を着ないで、なぜ洋服を着るのですか。着物は日本の民族衣装(みんぞくいしょう)でしょう?」これは外国人がかならず尋ねる質問(しつもん)です。
確かに着物は見る人にとって美しいかもしれませんが、着る方にとっては大変なのです。まず人間の体は曲線的(きょくせんてき)にできているのに着物は直線的(ちょくせんてき)で、特に幅(はば)の広い帯(おび)で体を締め付けられると食事(しょくじ)もできません。袖(そで)は長く不自由(ふじゆう)で、床(ゆか)まである裾(すそ)は歩くのに不便(ふべん)です。「着物を着ると女らしくなる」と言われますが、それもそのはずで、着物を着るとゆっくりした動作(どうさ)しかできないのです。
でも、お正月(しょうがつ)、成人式(せいじんしき)、結婚式(けっこんしき)などの第一礼装(れいそう)はやはり着物です。正装(せいそう)の時は絹(きぬ)の友禅(ゆうぜん)染めの着物が着られることが多く、その模様(もよう)の美しさは一種の美術品(びじゅつひん)とも言えます。
ふだん着(ぎ)に着物を着る人はだんだん少なくなっていますが、それでも年配(ねんぱい)の婦人が繋ぎの着物で観劇(かんげき)に出掛けたりするのは、なにげないお洒落(しゃれ)でなかなかよいものです。
日本の民族衣装「きもの」のルーツをさかのぼれば、縄文時代(じょうもんじだい)には筒型(つつがた)の布に穴を開け、サックドレスのようなものを着ていました。大和時代(だいわじだい)には中国の影響(えいきょう)で衣服も大陸風になりますが、奈良時代(ならじだい)の後期に入ると日本独自の風土(ふうど)に合った、ゆったりしたシルエットが誕生(たんじょう)します。女性は長い袖と裾のものをはおる形で、これが今のきものの原形(げんけい)といってよいでしょう。江戸時代(えどじだい)に入るといちだんと町人の力が強くなり、きもの、帯の素材(そざい)や模様だけでなく、帯の結び方、髪形(かみがた)、小物(こもの)の細工(さいく)なども凝ったものがどんどん生み出されます。友禅(ゆうぜん)や西陣織(にしじんおり)が開花(かいか)するのもこのころです。それが鎖国(さこく)によって、いっそう日本独自(どくじ)の文化として培われ、現代の和装の基盤(きばん)ができ上がります |
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