|
1 八ヶ岳の猫
ぼくがあの猫にはじめて会ったのは、もう何年も前の、この山にようやく雪の来たころのことでした。
今ではもう、あの猫がほんとうにいたのかどうか、どうもほんとうだと言える自信がなくなってきています。もしかすると、あのころぼくは長い夢をみていたのかもしれません。その夢のなかの猫が、あの猫だったのかもしれないなあ、という気もします。
いつもの冬より暖くて、ちょっとものたりないような日がつづいていました。カラマツやダケカンバやシラカバが葉を落としつくして見とおしのよくなった森の向こうに、まだらに白くなった山が見えていました。八ヶ岳の峰々のうちでいちばん高い赤岳と、それにつづく横岳です。
この山々の中腹の森の中にある山荘で、ぼくはひとりで本を読んでいました。読んでいたのは曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』という、江戸時代の長い小説です。暖いとはいっても標高一八○○メートルもある森の中のことですから、大型のストーブを焚いて、そのわきのこたつに入り、ときどきビールやウイスキイをのみながら、八犬士の活躍する物語にひたっておりました。
ある日、昼のうちは明るい光が射しておだやかだったのですが、日が暮れだすころから風が出てきました。山に特有の風です。どこかでゴオーッとかヒュウーッと唸る音がして、しばらくすると大きなかたまりのような風が目の前を駆けぬけてゆき、木々がしなり、家がガタガタミシミシ揺れるのですが、そのひとかたまりの風が吹きすぎると静かになり、やがてまた山のほうからつぎの風が起こってくるのが聞こえるという、そういう風です。
風が通ってゆくときはストーブの炎がはげしく揺れます。煙突から風が吹き込んでくるからです。その勢いが強いと炎が吹き消されてしまいストーブが使えなくなるので、風の通るたびにはらはらします。
うす闇の空を背景に、ぅ伐毳ē氓趣摔胜盲磕尽─Lの通るたびにしなっていました。風はひとつ来るごとに大きくなり、目の前の太いカラマツまでぐぐぐーっと傾き、小枝が折れて飛んでゆきます。やがて木のかたちも見分けられない闇が森をおおって、風と風のあいだが短くなってきました。
こうなるとストーブはもう使えなくなり、部屋の温度がぐんぐん下がってゆきます。夜中、寒暖計を見ると零下三度になっていました。外は零下一○度とか一五度になっていたでしょう。しかたなく布団に入ったのですが、風の音が気になってなかなか眠れません。
半分眠っていたかもしれません、ぼくの耳に異様な音が聞こえてきました。風の音の底に、ウウウーッともぐぐぐーッとも聞こえる音––なにか野獣の唸り声のようなものが聞こえてきたのです。
背筋がぞくっとしました。この山の森にはリスやキツネや野ネズミはいます。カモシカもときどき出てきます。しかし、夜中にそんな唸り声を上げる動物はいないはずです。森の夜でほんとうは恐いのは人間ですが、どうも人間の声でもなさそうです。
布団のなかでからだがこわばりました。たぶんもう目はさめていたと思います。耳を澄ませると、大小の風が通りすぎるなかで、とりわけ大きい風の音にまじって、その唸り声のようなものが聞こえるようでした。
なんだろう?
ばけもの? 妖怪?
そんなふうに思ったのは、読んでいた八犬伝のせいかもしれません。馬琴の書いたあの物語には、現実ばなれした話がつぎつぎに出てきます。八人の犬士そのものからして、それぞれ霊玉を持っていて伏姫(ふせひめ)の霊力に守られているのですが、物語のかなめかなめに霊力を持った動物が出てきます。善い霊獣も悪い霊獣もいるわけですけれども、犬をはじめ、狐や狸や猪などいろいろな動物が霊力を持ってあらわれるのです。
もう何日も馬琴のその世界にひたりきっていたぼくには、風のなかの唸り声があたりまえの動物のものとは思えませんでした。
戸をあけてたしかめてみる勇気はありません。布団のなかでからだをこわばらせて、朝の来るのを待つばかりでした。
やがて風がゆるみ、風と風とが間遠になると、あの唸り声も聞こえなくなり、いつかぼくは眠っていました。
つぎの朝目がさめたとき、風はすっかりおさまっていました。カーテンをあけてみると、その冬山荘にきて初めての雪が降りしきっていました。急に下がった気温で、さらさらの細かい雪が森の木々をかすませて降っています。あけがたから降ったのか、バルコニーの床にも手すりにも五センチあまりの雪がつもっていました。
バサッと音がして手すりのわきのミヤマザクラの枝からカケスが飛び立ち、いちめんの白い森に青と韦ⅳ钉浃室恧蛞姢护葡à皮妞蓼筏俊
雪の大好きなぼくは、ガラス戸を大きく開けて森の雪景色を見ていました。風はほとんどないのですが、部屋のなかにもちらちらと雪が舞いこんできます。空気がピリッとしまっていて、睡眠不足の目がさえてゆきます。
––この雪、一日じゅう降るだろうな。あしたあたり、雪道踏みをするかな。
そんなことを考えていたとき、カラマツの大枝が上下に大きく揺れて、粉雪が舞ったのです。枝から何かが飛びました。
ハッとしてあとずさりをしたのですが、見るとバルコニーの手すりの雪の上に、一匹の獣がいました。カラマツの枝から、降りしきる雪のなかを跳躍してきたのです。
あっ、と声をあげて、ぼくはガラス戸に手をかけて、閉めようとしました。
ニャオーン。
猫の鳴き声でした。
えっ、猫?
ぼくは一瞬、猫とは信じられませんでした。こんな山のなかに猫がいるわけはないし、それに、見たところ、猫と似ているけれども何か別の野獣に思えたのです。
戸に手をかけたまま、および腰でその獣を見ると、手すりに四つ足で立っている獣は、茶系の虎猫のようですが、ヒョウかチーターのように腰がくびれていて、ライオンのように平べったい大きな鼻を持っていました。雪のなかで目が金色に光っています。
ニャーオ。
猫のあまえる声でした。
「お前、猫?」
声をかけると一歩前に出て、目を細め、もう一度、ニャーオと鳴くのです。ゆうべ聞いていたあの唸り声の主だったらどうしようと思ったのですが、
「おいで」
と手をさしだすと、雪を蹴散らせて部屋に駆け込んできました。
どこかの山荘に連れてこられて迷子になっていた猫なのだろうか。それがごく普通の推測てすが、そんな家猫––それもたぶん都会暮らしをしていた家猫が、この山のなかで生きつづけられるものだろうか。冬の山で食べ物があるだろうか。夜の寒さに耐えられるだろうか。でも、こんなにすぐ人間に近寄ってくるのですから、やはり元は家猫だったのだろうと思うほかありません。
それにしても、変な猫です。そのころ東京のぼくの家にも六匹の猫がいたのですが、その猫たちとはどこかちがっています。猫というより、小型の野獣という感じがするのです。そして、そのくせぼくが冷蔵庫から出してきたハムを、ぼくの目の前でゆっくりと食べているのです。人間であるぼくを信頼しているようでした。
彼––というのはこの猫はオスでした––とぼくとの共同生活が始まりました。
ぼくが本を読んだり原稿を書いたりしているあいだ、彼はこたつの掛けぶとんのへりで寝ています。
「邉硬蛔悚摔胜毪琛¥工长吠猡匦肖盲皮郡椤筡
ぼくが自分のことを棚に上げてそう言うと、ぼくの言葉がわかったのか、ひと声あまえ声で返事をして、のっそりと立ち上がります。ガラス戸を開けてやると、バルコニーへ出て手すりに飛び仱辍ⅴ楗蕙膜未笾Ε廿弗悭螗驻筏菩肖蓼筏俊
「早く帰っておいで」
三日ばかりのうちに、よく食べたので、おかなも腰も太くなっていたのですが、みごとな跳躍でした。カラマツの枝からダケカンバの枝に移り、モミの枝に移って、森の奥へ入って行くのです。まるでリスのような動きでした。
––うちの猫たちには出来ないなあ。
そう思うと、不気味です。あれは、ほんとうに猫なんだろうか。枝渡りはするし、なんだか人間の言葉がわかるみたいだし……。
ひとりで八犬伝を読みつづけていると、そんな不安がまた頭を持ち上げてくるのでしたが、いっとき止んでいた雪がまた激しく降りはじめた夕方近く、今度はツガの木からバルコニーに跳び降りてきた彼が、入れてやるとからだをふるって雪をはらい、ぼくの膝に仱盲皮韦嗓颏搐恧搐眸Qらすものですから、
「やっぱり、普通の猫だよなあ。さあ、そろそろ晩めしを作るか。アジの干物でもあるといいんだけどね、魚はもう品切れなんだよ。牛肉がすこしあるから、すきやきはどうだろう?」
そんなふうに言ってみるのでした。
二人で(正確には一人と一匹で)晩ごはんを食べながら、彼の名前を考えました。こうやって共同生活を始めたのですから、名前がないと不便です。
名前は、しかし、便利のためだけのものではありません。名前というものには、なにか不思議な力があります。名は体をあらわすと言います。馬琴も八犬伝に出てくるたくさんの人物の名前を実によく考えてつけています。
いい加減な名前をつけるわけにはいきません。赤ちゃんに名前をつけるときにも、たいていの親は一生懸命考えます。考えるだけでなく、考えた名前の吉凶をうらなってもらったりもするものです。
「さて、君の名前だけどね、どんなのがいいかな。やっぱり、ここ八ヶ岳にちなんだのがいいよねえ」
八ヶ岳の「八」をもらって、八郎というのはどうだろうか。でも、ハチローというと、どうも犬の名前という感じがするなあ。略してハチだと、忠犬ハチ公になってしまう。
八ヶ岳の「岳」をもらって、タケとしてもいいんだけどね、おタケさんと呼ぶと昔風の女の人の名前になるなあ。それとも、岳はつまり山のことだから、ヤマならいいか。いや、これは名というよりも姓のほうだ。うん、山をフランス語でモンというから、モンがいいか。
ぼくは、小さく「モン、モン」と言ってみました。
わるくはない。なかなか呼びやすい名前だし、かわいい感じもある。
「でもねえ、モンキーと似てるなあ。ぼくがサル年生まれだから、縁があっていいと言えばいいんだけどね、それに君は枝渡りがうまいから猿型の猫とも言えるんだけど、いまいちピンと来ないなあ」
そんなことを言っているうちに彼は、ぼくの作った簡単すきやきの肉とキャベツとしらたきを食べて、デザートに牛乳を飲んで食事を終わり、ぼくの頭に跳び仱辘蓼筏俊G挨稳栅椁趣嗓⒈摔悉埭晤^に仱盲七[ぶのでした。床からぼくの頭までひらりと跳び移って、その狭い台の上でうまくバランスをとるのです。はじめは、うっかり頭を動かしたら落ちまいとして爪を立てるのではないかと思って、彼が頭上にいるあいだは首をなるべくまっすぐに立てて動かさないようにしていたのですが、つい頭をかたむけたとき彼は爪ひとつ立てずにバランスをとっていました。サーカスの球仱辘撙郡い俗悚挝恢盲驂浃à毪韦扦埂
ためしに首を右、左と傾けてみると、そのたびうまくバランスをとっています。彼の四本の足のやわらかな肉がぼくの頭をかるく押してくれて、いい気持ちです。
「君はまだ若いんだなあ、そんなことをして遊ぶんだから」
その彼とぼくの遊びが、ぼくがまだすきやきをつつきビールを飲んでいるうちに始まったというわけです。
「さて、モンもだめだとすると、じゃあ、八ヶ岳の主峰赤岳にあやかるのがいいかな。赤岳の赤から、レッドというのはどうだろう? でも、これも犬みたいか。フランス語ならルージュ(rouge)だけど…… 。そうだ、つづめてルーというのはどうだ?」
ぼくが思わず頭をあおむけにすると、彼はすいとぼくのおでこに移動して、そのとたん、彼の体重がほとんどなくなったような感じになりました。彼はおそらく三キロ以上あると思いますが、ぼくの頭上にいるときはなぜかとても軽いのです。ぼくの首が疲れることはありません。その軽い彼が、ルーという名はどうだと言ったとたん、いなくなったかと思うほど、数秒間もっと軽くなったのでした。まるで返事をしてくれたようでした。
「よし、それじゃ、ルーにきまり。ルーに乾杯だ」
ルーは頭から下りて、ぼくがビールのコップをかたむけるのを、手にあごをのせて眺めていました。
フランス語の辞書を持ち出して、ルーという言葉を引いてみると、まず、車輪とか舵輪という意味の roue(ルー)がありました。円型でまわるものがルーです。ルーレットもそこから出ている言葉です。ぼくはルーに説明してやりました。いま思うとすこし変ですが、そのときぼくは、ルーがぼくの話をわかってくれるように感じていました。
「円というのはね、完全なかたちなんだよ。いい名前だ、うん、最高の名前だよ」
もうひとつルーがありました。焦茶色、朽葉色という意味の roux(ルー)です。髪の毛なら赤毛ということになります。もちろん絵具でいう赤ではなく、茶色の髪のことです。『赤毛のアン』の赤毛です。茶色い犬を赤犬と呼ぶ、あの赤毛です。
「ルーの毛も roux(ルー)だから、ぴったりだしね。それに、ルーが男でよかったよ。女だったらフランス語は女性形になって、rousse(ルッス)になってしまう。ルッスじゃどうもねえ」
それから一週間ばかり、ルーとぼくとの暮らしがつづきました。雪の日もあり、晴れの日もありました。
青空のひろがる寒い朝、バルコニーの手すりにルーがねそべっていたとき、ダイヤモンドダストがきらめいたこともありました。
「ルー、寒いだろ、こたつにおいでよ」
ガラス戸を開けてルーに声をかけたとき、ルーのまわりの空気がきらきらと光りはじめたのです。目に見えないほどの小さな粒が、朝の光りのなかで無数にきらめき、ゆっくりと降っていました。それは雪の結晶の核ができはじめている状態であることを、ぼくは知っています。ふつうは何千メートルもの高い空で核ができ、ゆるやかに降下しながら雪の結晶を発達させて、白い雪になって地上に降ってくるのですが、こういう高い山で気温の下がったとき、ちょうど高い空とおなじような状態が生まれ、雪の核が降りだすことがあるのです。それが、ダイヤモンドダストです。ダイヤモンドを細かい粉にしてまきちらしたように光るのです。空気の分子が氷になって光っているように感じられます。
ルーも、ダイヤモンドダストに見とれていたのでしょう、ぼくの声にも振り返らず、ひげをぴんと立てたまま身うごきひとつしないでいました。
ルーのまわりにダイヤモンドダストがきらめいて、ぼくはふっと、ルーがそのきらめきのなかに消えてしまうように感じました。
夜、ルーはぼくの布団に入って寝ました。猫の体温は人間の体温より高いので、ぼくは大助かりです。冬の山では風の強い夜が多く、寝るときはストーブを消しておくことが多いのです。煙突からの逆風で不完全燃焼を起こしたら眠っているうちに死にかねないからです。ルーが布団のなかでぼくの胸にもたれて寝ていると、ほっかりとあたたかくなって、ストーブなしでも寒さを感じません。それだけでなく、外はどこまでも闇のこの森の中でひとりぽっちでいるのと、ルーといっしょにいるのとでは、心のあたたかさが違います。
ルーとぼくは、猫と人間という別種の生物ですけれども、ここにいるとその違いよりも、おたがい生きものだ、友だちだ、という気持ちのほうがずっと強いのです。
森のリスやカケスも、なつかしいという感じです。まして、おたがいの体温を感じ合っているルーは、家族のようになつかしいのです。ルーのほうも、きっとそうだったと思います。森のどこでどうやって生きてきたのかは知りませんが、ルーは森で生きられなくなってぼくに助けを求めて来たのではなくて、やはり「なつかしさ」といったものに動かされて、ぼくのところに来てくれたのだと思います。猫と人間は同じ哺乳類ですし、そのなかでもずいぶん近い種族なんですから。獣医さんのところで猫の解剖図を見たことがありますが、体内だけ見ると人間の解剖図かと思うくらいのものです。それに、猫と人間は古代エジプト以来、共に生きてきた長い歴史がありますから。
ぼくが東京へ帰る日が近づいていました。山の家での日々はぼくにとってとても大切な時間です。ひとことでは言えないのですが、山の自然を見て感じている時間が、ぼくという人間のいのちの根っこを養ってくれています。でも、東京には東京での用事がありますし、それだけではなく、東京にある家族との時間もまた大切なものです。その時間を含めてさまざまな東京の時間を生きるからこそ、山の時間が生きるのです。どちらの時間も大切で、二つの時間はちょうど二枚のトランプを合わせて立てたように、おたがいが支えになっていて、片方をはずすともう一方は倒れるほかないのです。
そんなわけで、東京へ帰る前の晩、ぼくは布団のなかでルーにそのことを話しました。できればルーといっしょに東京へ帰りたいと思ったのです。
「ルー、ぼくはあした東京へ帰るんだ。よかったらいっしょに行こう。うちには六匹の猫たちがいるし、きっとルーと友だちになれると思うよ。みんなルーとおなじ日本猫なんだ。ペルシャ猫とかシャム猫とか、外来種系の猫はいないんだ」
ルーとの一週間ばかりの暮らしで、ぼくはルーがぼくの言葉を聞き取ってくれているような気になっていました。
「ルー、君はぼくの言葉がわかるみたいだ。そんな気がするんだ。返事をしてくれているってことも、感じでわかる。でも、ぼくにはルーの言葉のこまかなところまでは、やっぱりわからない。もしできたら、ぼくの夢の中に入ってきて話してくれないかなあ。夢でなら君との会話ができそうな気がするんだけれど、どうかしら?」
そんなことを言ったのは、ぼくの妄想を口にしてみただけのことなのですが、その晩ルーはほんとうに、ぼくの夢に入ってきてくれました。
ルーは昼間と同じルーでしたが、ぼくが猫になっていました。白猫かà⒚àⅳ嗓螭蚀螭丹蚊àⅳ饯长悉瑜铯椁胜い韦扦工ⅳ趣摔à摔胜盲皮い郡韦扦埂%氅`の言ってることがはっきりわかります。人間の言葉に直してみると、こんなふうな会話をかわしました。
「ルーッテナマエ、ボク、キニイッテル。イイナマエ、アリガトウ」
「キニイッテクレテ、ウレシイヨ」
「モシカシテ、タマナンテツケルカトオモッテ、ハラハラシタ。タマダッテワルクナイケド、アンマリニモ、イエネコノナマエダカラ、ボクニハ、ニアワナイ」
「イエネコニナルキハ、ナイノ? ボクトイッショニ、トウキョウヘイカナイノ?」
「ウン、ワルイケド」
「ドウシテ?」
「ムカシカラ、ボク、コノヤマニイルンダモノ」
「マイゴニナッタンジャ、ナカッタノ?」
「マイゴナンカジャ、ナイヨ」
「ムカシカラッテ、イツカラ?」
「………」
「フユノヤマ、サムイヨ。ダイジョウブ?」
「………」
ルーのまわりがきらきらして、ルーはその光りのなかに消えてゆきました。
その夢の晩は吹雪になっていました。とうとう本物の冬がやってきたのです。朝起きてみると新雪が二○センチばかりつもって、粉雪が降りつづけていました。モミやツガなどの常緑樹は厚く雪をのせて枝が垂れています。カラマツやダケカンバなどの落葉樹は裸枝を白くふちどっています。吹雪はおさまっていましたが、ときどき思い出したように赤岳のほうから大風が吹きおろしてきて、つもった雪を巻き上げて木々の姿をかくします。
そのなかで、リスが枝から枝へ渡っていました。
––そうか、リスはこの冬山で生きているんだ。真冬はマイナス三○度にもなるこの山で、ちゃんと生きている。吹雪なんて気にもしていないみたいだ。ルーがこの冬山で凍死したり餓死したりするんじゃないかと心配するのは、余計なお世話らしい。リスと同じように生きる方法を身につけたら、なんでもないわけだ。それがどんな暮らしなのか、ぼくにはわからないけれど、ルーはリスの生き方を知っているにちがいない。
それに、ルーはどうも普通の猫とはちがっているようです。猫の体重では枝から枝へ渡るのは、よほどしっかりした枝でないとむつかしいはずですが、リスのように渡ってゆくのですから、それだけでも変な猫です。もっとも、ほんとうに変だと思ったのはぼくが東京に帰って東京の時間にもどってからのことで、山にいるあいだは、あまり不思議には思っていませんでした。
帰りの荷物をリュックサックに詰めてから、ぼくは念のためもう一度ルーに聞いてみました。
「もう一度きくんだけど、やっぱり東京へは行かない?」
ルーがにっこり笑ったように思いました。そして、はじめにやってきたときの逆の道を通って、つまりバルコニーの手すりからカラマツの枝へ移って、そのとき吹いてきた大風の雪けむりのなかへ消えてゆきました。
ぼくは、せめてものことに、残っていた食料を、パンだとかハムだとか薩摩揚げだとか、ダンボールの箱に入れてバルコニーの隅に置きました。ルーはそんなものなしに生きていける猫だとは知っているのですが、その食料でぼくとの日々をなつかしんでくれるのではないかと思ったからです。
山から下りる道は、深いところは膝までもぐり、ときどき地吹雪に巻かれもしました。でも、はればれして、いい気分でした。こういう雪のなかを歩くのが好きなのです。そして、それ以上に、ルーとの日々が神様からの贈りもののように思えて、思わずひとりで笑顔になっていました。この十数年、山の家で雪を見てすごしたことは数多くありますが、ルーとの数日のような日々は初めてのことでした。
[ 本帖最后由 townking 于 2009-3-6 23:32 编辑 ] |
|