华南虎读书之:
「街道をゆく(1) 長州路ほか」(司馬遼太郎) 1
·「近江」
というこのあわあわとした国名をロずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。
「近江からはじめましょう」
というと、編集部のH氏は微笑した。お好きなように、という合図らしい。(P9)
【华南虎译】
“近江。”
只是低声吟出这个淡淡的地名,胸中便泛起了诗意的波澜,不由得叫人喜欢得不得了。在京都、大和正在逐渐化为摩登墓地似的硬邦邦的混凝土风景之当下,近江却依旧风韵犹存:下雨的时候雨的故乡,而细雪飞舞之日则连河流、湖泊都成了雪之故乡。
“就从近江开始吧。”
话一出口,编辑部的H氏便微微一笑,似乎在说:悉听尊便。
【华南虎按】这就是司马辽太郎那长达43本的“散步”系列的开头。
·琵琶湖南部的地区古称“乐浪之志贺”,即现在的滋贺县。朝鲜也有名为“乐浪”的地区。有名的乐浪古坟位于平壤西南,是一片俯瞰大同江的丘陵地带。日本的“乐浪之志贺”也是朝鲜式古坟的聚集地,故可作出如下推测:上古时代,来自朝鲜的“渡来人”来到此地,筚路蓝缕,开发了此地。(P12)
·中世(镰仓、室町时代)之时,琵琶湖中“湖贼”横行,坚田(大津市的一处地名)即为其根据地,领头是伊藤家族,后来加入织田信长的麾下。丰臣秀吉入侵朝鲜时也曾将他们征为水军。(P14)
·近江人的垒石技术一流,战国时曾被各地大名招去筑城、修路。(P16)
华南虎于胥江一华庭
2015-2-19
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