しかしながらわれわれ両国民が交戦中であるという事実は、必然的に非常な不利を意味した。それは文化人類学者の研究技術として最も重要な、現地調査を断念せねばならぬことを意味していた。私は日本に出かけてゆき、日本人の家庭の中で生活し、日常生活のさまざまな活動を観察し、自分の眼でどれが重要なもので、どれがそうでないかを見分けることができなかった。私は彼らがある決定に到達(とうたつ)するという複雑な仕事をなしつつあるところを観察することができなかった。私はかれらの子供が育てられてゆく家庭を見ることができなかった。日本の村落(そんらく)に関する唯一の人類学者の実地研究である、ジョン・エンプリーの「須恵村(すえむら)」(Embree, John F., Suye Mrua)は非常に貴重な文献であったが、この研究がかかれた当時は、1944年にわれわれが直面していた日本に関する問題の多くは、まだ問題になっていなかった。' R7 |! _; b5 a1 ~7 Q) c. N' c8 O* Z D1 O) O
以上のような大きな困難があったけれども、それでも私は文化人類学者として、利用することのできるある種の研究術と必要条件を備えているという自信があった。少なくとも私は、人類学者が大いに頼りにする、研究対象である民族との直接面接をすっかり断念しなくてもよかった。この国には日本で育った日本人が大勢いた。そこで私は彼らに彼ら自身が経験した具体的事実を尋(たず)ね、彼らがそれらをどんなふうに判断しているかを見出(みいだ)し、彼らの説明によって、人類学者としての私にとって、いかなる文化の理解にも必要欠くべからざるものと考えられる、われわれの知識の多くのギャップを埋めることができた。当時、日本を研究していたほかの社会科学者たちは、図書館を利用し、過去(かこ)の事件や統計(とうけい)を解剖(かいぼう)し、文字で書かれ、あるいは口頭(こうとう)で述べられた日本側の宣伝文句(もんく)の上に現れる変化を追跡(ついせき)していた。私はこれらの人たちが追求している答えの多くは、日本文化の規則(きそく)と価値の中に埋(う)もれている、だからその文化を、実際(じっさい)にその文化を生きてきた人々について、探究(たんきゅう)したほうが、いつそう満足に発見することができる、という確信を持っていた。
6 ~% L8 N, g3 y5 K# @- rだからといって私は、ぜんぜん書物(しょもつ)を読まず、日本で生活したことのある西欧人のお陰をたえず蒙(こうむ)るようなことはなかった、というのではない。日本に関するおびただしい数にのぼる文献(ぶんけん)と日本に住んだことのある、多数の優れた西欧の観察者とが、アマゾン河の水源地帯(すいげんちたい)や、ニューギニアの高地(こうち)へ、文字を持たない部族を研究しにゆく人類学者がぜんぜん持たない便益(べんえき)を私に与えてくれた。このような部族は文字言語をもたないからして、自らの姿を文筆(ぶんぴつ)によって書き表していない。西欧人の解説も寥々(りょうりょう)たるもので、かつ皮相的(ひそうてき)である。誰にもその過去の歴史はわからない。実地調査者は、先人(せんじん)研究者の助けをまったく受けずに、彼らの経済生活の営(いとな)み方(かた)や、彼らの社会がどんなふうな層に分かれているか、彼らの宗教生活において最高至上のものとされているものは何か、というようなことを発見せねばならない。日本を研究する場合には、私は多くの学者の遺産を受け継ぐことができた。生活の細部(さいぶ)にわたる描写が、好事家(こうずか)の記録の中にしまいこまれていた。ヨーロッパ人やアメリカ人がその生々(なまなま)しい経験を書(か)き留(と)めているし、また日本人自身が実に驚くべき自己暴露(じこばくろ)を書いている。多くの東洋人とは違い、日本人は自分のことを洗(あら)いざらい書き立てる強い衝動(しょうどう)を持っている。彼らはその世界的拡張計画のみならず、彼らの生活の瑣事(さじ)についても書く。彼らは驚くほどあけすけである。もちろん彼らは彼らの生活をことごとく、余(あま)すところなく書き写してはいない。どの民族だってそんなことはしない。日本のことについて書く日本人は、本当に重要な事柄を、それらが彼にとって、かれが呼吸(こきゅう)する空気と同じように慣れきった事柄であり、眼につかない事柄であるために、見逃(みのが)してしまう。アメリカ人がアメリカについて書く場合も同じである。にもかかわらずやはり、日本人は自己をさらけ出すのがすきであった。
# b0 e2 }) Y3 _2 d* Z6 G+ J$ t私はこれらの文献を、ダーウィンが種(しゅ)の起源(きげん)に関する理論の仕上げに取り掛かっていた際にしたといっているやリがたと同じように、理解する手段のない事柄に注意しながら呼んでいった。議会における演説(えんぜつ)の中の観念の羅列(られつ)を理解するためには、私はどういうことをしらなければならないのか。彼らは別に大したことではないと思われる行為を猛烈(もうれつ)に非難し、無法(むほう)と思われる行為を平気で是認(ぜにん)するが、こういう態度の背後(はいご)にはいったい何が潜(ひそ)んでいるのか。「この絵はどこが変なのか」、それを理解するためには、私は何を知る必要があるのか、という問いを絶えず繰り返しながら呼んでいった。) A K: e5 f+ z+ |
私はまた、日本で書かれ製作された映画、――――宣伝映画だの、歴史映画だの、東京や農村の現代生活を描いた映画だのを見に行った。その後でもう一度、それらの映画を、同じ映画の中のあるものを日本で見てきた、そしていずれにしても、主役や女主人公や悪役(あくやく)を、私がそれらを見る見方ではなくて、日本人が見る見方で日本人たちと一緒に、仔細(しさい)に検討してみた。私がわからなくて途方(とほう)に暮れているときにも、彼らはそうでないことは明らかであった。筋や動機も私が理解したようなものではなくて、映画全体の構成の仕方から考えて、初めて意味が通じるのであった。小説の場合と同じように、私の受け取った意味と、日本で育った人々に受け取られる意味との間には、一見して目につく以上に、はるかに大きな違いがあった。これらの日本人の中のあるものは、すぐに日本人の慣習を弁護(べんご)した。そしてあるものは、日本のことなら何もかも憎(にく)んだ。この二通りのグループのどちらから、私が最も多く学んだか、断定することは難しい。日本では生活をどんなふうに律しているか、ということに関して彼らが描きあげた、彼らの熟知(じゅくち)している画像(がぞう)においては、それを喜んで受け容れようと、憎憎(にくにく)しげに拒否しようと、彼らは一致していた。
5 I; e6 ?6 v, h! Nその材料と解釈を、研究している文化の担(にな)い手から直接得てくるというだけでは、人類学者のなすところは、日本に住んでいたすべてのもっとも有能な西欧の観察者が行ったところと、少しも選ぶところがない。もし人類学者の提供しうるものがこれだけに留まるものとすれば、外国人居留者がこれまでに成し遂げた、かずかずの日本に関する貴重な研究に、何一つ付け加える望みはないわけである。しかしながら文化人類学者は、その修練の結果として、ほかの人には見られない二、三の特別な能力をもっているので、研究者や観察者の豊富な分野において、独自の貢献を付け加える試みをすることも、あながち無益なことではないと思われた。6 ~+ x0 q5 s2 A% e; Y5 q
人類学者はアジアならびに太平洋の多くの文化を知っている。日本の社会制度や生活習慣の中には、太平洋諸島の未開部族の間においても、それに酷似(こくじ)した並行列(へいこうれつ)が見受(みう)けられるものが多い。これらの並行列(へいこうれつ)のあるものはマライ諸島(しょとう)に、あるものはニューギニアに、あるものはポリネシアにある。これらの類似は、かつて昔、移住(いじゅう)もしくは接触(せっしょく)のあったことを示すのではあるまいか、ということを考えることは無論興味(むろんきょうみ)のあることではあるが、これらの文化的類似を知っていることが私にとって価値があったのは、その間にあるいは歴史的関係があるかもしれないという理由からではなかった。むしろそれは、わたしはこれらの単純な文化の中で、これらの習俗(しゅうぞく)がどんなふうに作用しているかを知っていたので、私が見出(みいだ)した類似もしくは差異から、日本人の生活を理解する手がかりを得ることができたからであった。私はまた、アジア大陸のシャム[現在のタイ]とビルマと中国についても多少の知識を持っていたので、日本と、ともに同じアジアの偉大な文化的相続(そうぞく)財産の一部分であるほかの国々とを比較(ひかく)することができた。人類学者たちは未開人(みかいじん)の研究において、繰り返し繰り返し、そのような文化比較がいかに勝ちあるものでありうるか、ということを証明してきた。ある部族がその習慣の90%まで、隣接(りんせつ)部族と共有していながら、しかも周囲のどの民族とも共有していないある一種の生活様式、ある一組(いちく)みの道徳的価値(どうとくてきかち)に適合(てきごう)させるために、それらの慣習に手を加えているというようなことがある。その過程において、全体に対する比率がどんなに小さくとも、その部族の将来の発展のコースを独特(どくとく)の方向にむける、ある種の根本的な組織をはねつけなければならなかったかもしれない。全体としてみれば多くの特性(とくせい)を共有している、諸民族の間に認められる差異を研究することほど、人類学者にとって有益なことはない。
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