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发表于 2016-8-10 17:08:25
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本帖最后由 YukioAbe 于 2016-8-10 20:25 编辑
遅くなりました。すみません。
出来る限り調べて回答していますのでどうしても時間が必要になってしまいます。
どなたかが書いている通り、2級の試験で問われる内容では無いこともあり、果たして丁寧に回答することが良いのかどうかは悩みます。
今見るとさらに高度な質問が続いていますね。
実際には「技術をもとにして」は結構使われております。
「もとにして」には多くの漢字があてられますので多様化されてしまいます。
この場合は「基にして」(基礎にして)でしょうか。
「試合の相手次第では」は「次第」の部分ではなく「では」を解説する必要がありテキストに載っていない範囲ではないでしょうか。
で‐は[連語]
[連語]
《断定の助動詞「だ」の連用形+係助詞「は」》判断の前提を表す。…であるとすれば。…だと。「雨では中止になる」「彼ではだれも承知しないだろう」
《格助詞「で」+係助詞「は」》…で。…においては。…を用いては。「今日では問題にされない」
《接続助詞「で」+係助詞「は」》未然形に付く。
㋐…ずには。…ないでは。…なくては。
㋑(「ならでは」の形で)…のほかには。…以外には。
⇒ては[連語]
「さぶらは―あしかりぬべかりけるを」〈源・行幸〉
「かかる世の古事(ふるごと)なら―、げに何をか紛るることなきつれづれを慰めまし」〈源・蛍〉
日本人でも感覚としてわかっているが説明は難しい分野ですね。
《断定の助動詞「だ」の連用形+係助詞「は」》判断の前提を表す。…であるとすれば。…だと。「雨では中止になる」「彼ではだれも承知しないだろう」
この文例の場合は、「推定文」がしっくりくるということです。
1、「持つ」、「だけ」
悟郎さんが書かれている、「①、「持つ」は「手に取る」という意味を表す時には、可能形の「持てる+だけ」のほうが自然的で」
この部分は少し説明を追加した方が良いと感じました。
動作や状態を表すだけなら単純な文章で十分ですが、実際の会話には話者の強調したい内容が隠れていることが多いので表現の仕方が変わります。
「両手に持てるだけのみかんをもらって帰った。」
の文章を、動作の結果だけで伝えるなら、
「もらったみかんを両手で持った帰った」と表現してもほぼ同じ意味になります。
「持って帰った」は「持ち帰った」でも表現できます。(もらったみかんを両手で持ち帰った。)
手はもともと物を持つことが出来るので、積極的に「可能形」にする必要はありません。
但し、このの文章で話者が伝えたいことは、手という大量に物を持つことが出来ない範囲の中で、たくさんのみかんを持ったこと(もらえたこと)を強調しているのだと考えられます。
「分量・程度・限度」の中でも特に「限度」、すなわち「可能なギリギリの程度のニュアンス」を強調した文章であると思います。
※ 「考えられます」「思います」と書いたのは私は話者ではないので断言はできないからです。あくまで全体の文から感じた内容です。
例として、
「火事の時に、荷物を持って逃げた」
というよりも
「火事の時に、持てるだけの荷物を持って逃げた。」
と表現する方が緊急事態の限られた短い時間の中で出来る限りのことをしたという大変さが伝わると思います。
②、「持つ」は「所有する」という意味を表す場合は、範囲や数量などを限定すると考えています。
この部分は正しい解釈です。
一般的に現在の状態に対して使うので範囲や数量の増減の概念は持たなくてよいからです。
財産的価値のあるものを所有するだけで活用していない場合に、勿体ないというという意味を追加して使う程度なので、使用頻度としては少ないのではないかと思います。
また、「持つだけの」という表現は少し硬く文語的な感じがするため会話では「持っているだけ」と使った方が自然ではないでしょうか。
「持って(い)るだけのお金じゃあ勿体ないんじゃないの」みたいな使い方がネイティブらしい使い方ですが、「い抜き」言葉で文法上間違いなので参考程度にしてください。
また、「持てるだけの」と似ていますが意味は違います。
この点についてはかなり難しく感じると思いますが、参考になる説明を発見しましたので後述します。
PS:ここには、「金」のほうがとても面白いです。
ここでは「かね」の意味ですが日本語ではMoneyの「かね」以外に、Goldの「きん」の意味もあるので「お金」と書いた方がわかりやすいです。
日常会話では「かね」と使う人も多いので間違いではありません。
ただし、「おかね」の表現の方が丁寧なので「お金」と書く方が望ましいと思います。
逆に「きん」の場合は「おきん」とは言いませんので「金」と書く方が望ましいです。
a、「持つだけの金」 ⇒ お金を持つのに「あまり」使わない、それで勿体無い
b、「持てるだけの金」 ⇒ 手に取れる程度の金を出来るだけ持つ
ここもこの解釈で正しいと思います。
2、「電話で」、「旅行会社を通じて」
インターネットを筆頭に技術の発達が道具の価値を急速に高めた割に、古い文法が追い付いていないのではないでしょうか。
3、「謝っていない」、「限り」
「意地を張っている」というのも「~ている」の使い方で、
「過去」から「現在」までの状態ではないかなと思いますが。。。
皆さんが使っているテキストのように説明するならば、
「謝る」は瞬間動詞、「張る」は継続動詞となるのではないでしょうか。
「謝る」動作は瞬間的に終わりますが、「広がりのびる」、「のばし広げる」という意味を持つ「張る」には時間を指定する概念がないと言えます。
「木が土の中で根を張る」には時制を表す意味は存在しないのではないでしょうか。
「意地を張っている」と使えば「現在進行形」の状態を指しているので、
「過去」から「現在」までの状態
というのは正しいです。
しかし、「張る」に時間の概念が無いため
「あいつが意地を張る限りは、絶対にこっちも頭を下げないつもりだ。」
となっても私は違和感を感じないです。
もちろん
「あいつが意地を張っている限りは、絶対にこっちも頭を下げないつもりだ。」
も不自然に感じません。
もし「あいつが意地を張っている限りは、絶対にこっちも頭を下げないつもりだ。」
の方が自然に感じるのであれば悟郎さんが日本人の感覚に慣れてきたのではないかと思います。
先ほど書いたように「~ている」という表現を日本人は好みます。
後述しますので参考にお読みください。
4、「にわたって」、「にわたる」
「にわたって」は「て」の意味の中に状態を表すのがあります。
故に、継続の状態は継続的な動詞に接続するはずです。
それに対して、「にわたる」は名詞に付きますね。
「にわたって」は名詞をつなぎませんが、文章としては
「高速道路は20キロにわたって渋滞が続いた。」
と後ろに名詞が続くことも多いです。
「て」が接続詞であるので「にわたって(、)」
と「、」が入るイメージを持っておくとわかりやすいかもしれません。
テキストは結局アマゾンで買って早く到着しました。
「新完全掌握日语能力测试N2语法」で検索しても「新完全掌握日语能力考试N2语法」という本しか見つけられず問題を見る限り別のテキストではないかとも思いますがどうでしょうか?
写真の添付方法がわかりませんでしたが、表紙が緑色のテキストです。
ここからは上で、最後に後述すると書いた内容です。
日本語講師を教育する学校のHPからの抜粋です。
要点は、「中国語は変化の時点に注目する」が「日本語は変化の結果の状態に注目する」ということです。
問4の問題は、日本語と中国語の対照言語学に関連する問題ですが、中国人の学習者かあるいは中国語に関する知識が少しでもあれば短時間で容易に解けます。
仮にそのような知識がなかったとしても、問題文の文脈から解くことも可能です。
問題文を読むと、「初めて入った他人の部屋の印象を述べる文としては、1)よりも2)の方がふさわしい。
1)きれいに片づきましたね。
2)きれいに片づいていますね。
ところが、中国語を母語とする学習者は、2)よりも1)を使いやすいという。
この理由は(5)であると考えられる。」と書いてあります。
2)の文は、前述したように、変化の結果が残存している状態を表します。
つまり、「日本語は変化の結果の状態に注目する」ということがわかります。
というわけで問3の答えは選択肢4です。
この選択肢の後半の、「中国語は変化の時点に注目する」というのは、中国語では、動作や変化が既に終わったかどうか、に注目する、ということです。
中国語の母語話者は「片づきました」の「~ました」の形は、動作や変化の完了を表す「~了」と同じ意味だと思い込んでいることが多いので、上記の1)の方が使いやすいようです。
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