落ち着き
指導者は危機にあっても冷静でなければならない
秀吉と家康が小牧(こまき)で戦った時、秀吉側は二万の軍をさいて、家康の本国(ほんごく)三河(みかわ)を奇襲させようとした。しかしその極秘(ごくひ)の作戦も家康の知るところとなり、三河へ向う途上、長久手(ながくて)というところで徳川方の追撃を受ける結果となってしまった。
この時、羽柴(はしば)方は前途にばかり気を取られ、敵に後をつけられているということに全く気づかなかった。そういう状態で突然襲(おそ)われた為、上を下への大混乱となり、第一隊の大将田勝入斉、第二隊の大将森長可は討死(うちじに)、総大将で秀吉の甥三好秀次も乗馬(じょうば)を鉄砲で撃たれ、九死に一生を得て辛うじて落ち延びるという大敗北を喫したのである。
ところが、その敗軍の中にあって、ひとり気を吐いたのが堀秀政のひきいる第三隊である。秀政は敵の襲撃を知るや、少しも慌てず、冷静に陣を整え、鉄砲隊を並べて、「敵が十間以内に近づくのを待って一斉(いっせい)打て。騎馬武者(きばむしゃ)一人を倒せば百石(ひゃくせき)の加増だぞ」と命じた。そこへ勢いに乗った徳川方が押し寄せてきたが、一斉射撃に始まる秀政隊の反撃に会って、この局面だけでは散々に打ち破れ、何百という死者を残して敗走した。そして秀政は、勝ちにはやって追撃しようとする部下を「深追いしてはならぬ」といましめ、兵をまとめて無事秀吉の本陣に帰ったという。
この時の秀政の態度は、非常時における指導者のあり方の大切さを物語っていると思う。人間というものはだれしも、困難に直面すると恐れたり、動揺したりするものである。そういう時に、大将というか指導者が真(ま)っ先(さき)に慌ててしまっては、不安が不安を呼び、動揺が動揺を招いて収拾のつかない混乱に陥(おちい)ってしまう。しかし、大将が落ち着いていて、冷静に事に処していけば、みなもその姿に安心感を覚え、勇気付けられるだろう。それが動揺をしずめ、混乱をおさめることになる。
もちろん、指導者とても人間だから、時に不安も感じ、思案に余るのは当然であろう。しかし、内心で感じても、それを軽々(かるがる)に態度に出してはいけない。指導者の態度に人は敏感なものである。それはすぐに全員に伝わり、全体の士気を低下させることになってしまう。
だから、指導者は日頃から事に当たって冷静さを失わないよう自ら心を鍛(きた)えるとともに、どんな難局に直面した場合でも、落ち着いた態度でそれに対処するよう心がけことが大切だと思うのである。
沉着冷静
领导者必须做到临危不乱
秀吉与家康战于小牧(注:爱知县西北部,名古屋市北郊之市。其西面的小牧山,曾是德川家康相助织田信雄,与丰臣秀吉开战的战场。)之时,曾拨出二万人马,欲奇袭家康的老家三河。然而,这样绝密的行动竟然被家康获悉,结果在去三河的路上,一个叫长久手(注:名古屋东面的城镇)的地方遭到了德川军队的追击。
此时羽柴(注:羽柴秀吉,后来天皇赐性丰臣,为丰臣秀吉)军队只顾向前,根本没有注意到敌人已从背后追来。突然遭到袭击,从上到下一片混乱,第一队的大将田胜入齐、第二队的大将森长可阵亡,总指挥,秀吉的外甥三好秀次的坐骑被火枪击中,九死一生好容易才得以落慌而逃,全军一败涂地。
然而,在败军之中,也有扬眉吐气者,那便是堀秀政所率领的第三队。秀政得知敌人袭来,毫不慌张,他沉着冷静地列阵相迎,将火枪队一字排开,并命令:“放敌人到十间(注:日本古代长度单位。1间约为1.818米)之内再一齐开火。击倒骑马者加百石封赏”。德川的军队正气势汹汹地扑来,遭到秀政手下的齐射反击,当场就被打得七零八落,扔下数百具尸体大败而去。这时,秀政又告诫欲乘胜追击的部下“穷寇莫追”,收兵以后平安回归大营。
我认为秀政在当时的表现正好说明了一个领导者在非常情况下应有的态度。不论是谁,人在面临困难时总会感到恐慌、甚至动摇。但是作为一名领导者的大将若是首先惊慌失措,则他的恐慌将招来更大的恐慌,他的动摇将招来更大的动摇,一发而不可收拾。如果大将能够沉着冷静,则大家会因他的神态上感到安心、得到勇气。军心就不会发生动摇,骚乱能得以平息。
当然,因为领导者也是人,也有感到不安或一筹莫展的时候。但即使内心有所感觉,也不应该轻易表露出来。因为人们对领导者的态度是很敏感的。领导者的恐慌会迅速蔓延,从而导致全军的士气低下。
因此,领导者在平时要自我培养处惊不变的本事,同时要有不论面对怎样的困难都能沉着冷静地于以应付的思想准备,这是非常重要的。 |