|
发表于 2005-12-27 20:06:29
|
显示全部楼层
白樺派の中心的存在として活躍した明治末~昭和期の小説家。宮城県に生まれ、東京山の手でそだち、学習院在学中に内村鑑三の影響をうけた。東京大学を中退したのち、1910年(明治43)、学習院出身者の武者小路実篤らと雑誌「白樺」を創刊し、短編「網走まで」を発表。以後「濁った頭」(1910)、「大津順吉」(1912)、「清兵衛と瓢箪」「范(はん)の犯罪」(ともに1913)などを次々と書きついだ。作品は簡潔で的確な文章による強い自己肯定の作風をしめし、おもに短編小説に才能を発揮した。肉親や友人との葛藤を題材にあつかったものが多いが、初期にはすぐれた客観小説もみられる。一時、創作がとだえた時期もあったが、療養先で小動物の生と死をみつめ、命のありようを知る「城の崎にて」(1917)や、長年にわたる父との不和が一挙に解決した喜びをえがく「和解」(1917)で文壇に復帰、以後も「焚火(たきび)」「小僧の神様」(ともに1920)などの諸作を発表した。とりわけ、「城の崎にて」や「焚火」は、心境小説の名作として後世に高く評価されている。 |
|