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楼主: tinmei

【天声人语试译】(1月12日)

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 楼主| 发表于 2006-1-12 11:31:04 | 显示全部楼层
引用第14楼狂语者2006-01-12 11:13发表的“”: ゑ=え
先生把那句古文语法稍做讲解好么? 不然下次遇见了又是“相见不相识”啊 再小小的得寸进尺一下~
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发表于 2006-1-12 11:38:23 | 显示全部楼层
引用第11楼tinmei2006-01-12 11:02发表的“”: 应该是reiuka翻的比较到位。tinmei有时候是喜欢按照自己的语言习惯来翻,所以有时可能会走得远些,甚至迷路。谢谢你们及时把我给拉回来~ ps:也谢谢大家相让啦。偶尔让我尝尝楼主的滋味。也主要是差不多进入休假阶段了。但不知可以坚持到什么时候,翻且翻吧~ .......
tinmei也要多给咱提醒哦,像前两天的“寄读学校”和“痛恨の足踏み”,reiuka也爱自作主张地翻,需要大家多提醒提醒。 reiuka也快放假了,大家都是兴趣所在,继续がんばろう。
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发表于 2006-1-12 12:51:25 | 显示全部楼层
痛恨の足踏み 这个,想着就好笑,看着字面怎么都是捶胸顿足那感觉了……= =看来还真是不能想当然的说~~~ PS:我今天考完放假了,终于可以回家了,HOHO~~~
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发表于 2006-1-12 12:53:42 | 显示全部楼层
 行ったことはないが、いつかは訪ねてみたい。信越国境にある秋山郷も、そんな旅ごころを誘う場所の一つだろう。平家の落人伝説の残るその地が、豪雪で孤立している。    尽管未曾踏足,却总想有一天将去游访。位于信越国境的秋山乡便是这样一处令人神往的地方。那片孤立于大雪中的土地,还残留着平家战败者传说。  「秋山には古(いにしへ)の風俗おのづから残れりと聞(きき)しゆゑ一度は尋(たづね)ばやとおもひ居りしに……米味噌醤油鰹節茶蝋燭(らふそく)までをも用意して……」。新潟の文人、鈴木牧之が秋山郷を訪ねたのは、江戸後期のことだった。この『北越雪譜』(岩波文庫)には、心引かれた地へ旅立つ思いや現地での見聞が記されている。    “听闻秋山兀自残留有古风俗,故想前往拜访,没料到……米、味噌、酱油、干制鲣鱼、茶和蜡烛都为客人准备齐全……”新泻文人铃木牧之曾于江户后期游访过秋山乡。《北越雪谱》(岩波文库)中记述了他去往这一心仪之处的旅途情思及当地见闻.  牧之が秋山郷への旅で著した別の一冊『秋山記行』(東洋文庫)には、当時の集落を描いた絵が載っている。見ているうちに、先日見た一枚の写真が絵に重なってきた。それは、雪で孤立状態になった秋山郷を上空から撮影したものだった。    牧之所著的关于秋山乡之旅的另一本书《秋山记行》(东洋文库)中,登载了描绘当时村落的图片。笔者在看这幅图时,不由感觉它和前些日子看到的另一张照片重合在一起。那张照片是从高空所拍摄到的大雪中孤立无援的秋山乡。  絵の方では、かやぶきの家がわずかに点在している。写真の方の家は大きく数も多い。しかし厚い雪がその家々の屋根を覆っているので、昔の秋山郷のたたずまいがよみがえったかのように見えた。    图上零星地分布着几家茅屋顶的房子。照片上的房屋则要大些,数量也要多。但房顶被厚厚的大雪所覆盖着,看起来像是曾经的秋山乡复苏了一般。  やはり江戸の後期に書かれた『信濃奇勝録』が、当時の人々の様子を伝えている。争ったり怒ったりすることなく、質朴で「太古の人の如し まことに世外の一世界なり」    江户后期所撰的《信浓奇胜录》一书果然将当时人们的生活形态传达给了后世。无争无怒,质朴“如太古之民,宛如世外桃源”。  冬場には道が閉ざされてきた秋山郷は、隔絶の地であればこそ、うつろわない暮らしや文化を伝えてきた。しかし今では、人々の暮らしは周囲と行き来することで成り立っている。地上の道は閉ざされたが、牧之の時代には思い及ばなかった空の道も使って、一世界と世界とをつなぎ続けたい。    正因为冬日秋山乡的道路被封锁,成了与世隔绝之地,才能将原始的生活方式及文化流传至今。然而在现代社会,人们不与周围交流是无法生存下去的。尽管封锁了地上之路,也希望能使用牧之的时代所无法想象的天空之路,将这世外桃源与世界一直连接下去。
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发表于 2006-1-12 14:49:45 | 显示全部楼层
引用第15楼tinmei2006-01-12 11:31发表的“”: 先生把那句古文语法稍做讲解好么? 不然下次遇见了又是“相见不相识”啊 .......
把我的翻译,这句话应该是这样: 由于听说在秋山,古老的风俗都能自然地保留下来,因此萌生了前往秋山探访的念头,并且已经准备好了米、味精、酱油、鲣鱼干和蜡烛。”
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发表于 2006-1-12 21:29:19 | 显示全部楼层
060112天声人語  行ったことはないが、いつかは訪ねてみたい。しんえつ信越国境にあるあきやまごう秋山郷も、そんな旅ごころを誘う場所の一つだろう。平家のおちうどでんせつ落人伝説の残るその地が、豪雪で孤立している。   虽不曾去过,但总想去看一看。位于信越地界内的秋山乡,算得上是如此勾人游兴去处之一吧。如今,那个有着平家时代败军隐居部落传说的地方,正孤零零地处在茫茫大雪之中。  「秋山には古(いにしへ)の風俗おのづから残れりと聞(きき)しゆゑ一度は尋(たづね)ばやとおもひ居りしに……米味噌醤油かつおぶし鰹節茶蝋燭(らふそく)までをも用意して……」。新潟の文人、すずきぼくし鈴木牧之があきやまごう秋山郷を訪ねたのは、江戸後期のことだった。この『ほくえつせっぷ北越雪譜』(岩波文庫)には、心引かれた地へ旅立つ思いや現地での見聞が記されている。 “闻得秋山古风尤存而欲一往……米、酱、酱油、木鱼、茶、蜡烛具已备齐……” 江户时代后期,新泻的文人铃木牧之造访了秋山乡。在写有上述文字的《北越雪谱》(岩波文库)中,记录着他要去心仪之地旅游时的心情以及抵达后在当地的见闻。  牧之が秋山郷への旅で著した別の一冊『秋山記行』(東洋文庫)には、当時の集落を描いた絵が載っている。見ているうちに、先日見た一枚の写真が絵に重なってきた。それは、雪で孤立状態になった秋山郷を上空から撮影したものだった。 在牧之因秋山旅行而写下的另一本书——《秋山纪行》(东洋文库)之中,刊有一枚描绘当时村落面貌的插图。看着这幅图画,就不由得在脑海中将它与前些天所看到的一张照片重叠了起来。那是一张从空中拍摄的茫茫大雪中孤立状态的秋山乡的照片。  絵の方では、かやぶきの家がわずかに点在している。写真の方の家は大きく数も多い。しかし厚い雪がその家々の屋根を覆っているので、昔の秋山郷のたたずまいがよみがえったかのように見えた。 插图上,零星散布着几栋茅草顶的房屋。照片上的房屋既大又多。但由于家家户户的屋顶上都蒙着厚厚的积雪,看起来似乎又回到了从前的秋山乡的模样。  やはり江戸の後期に書かれた『しなのきしょうろく信濃奇勝録』が、当時の人々の様子を伝えている。争ったり怒ったりすることなく、しつぼく質朴で「太古の人の如し まことに世外の一世界なり」 同样是写于江户后期的《信浓奇胜录》,将当时人们的生活习俗展现在了我们的眼前。不争、不怒、质朴淳厚,“民若太古之民,俨然世外一世矣”  冬場には道が閉ざされてきた秋山郷は、隔絶の地であればこそ、うつろわない暮らしや文化を伝えてきた。しかし今では、人々の暮らしは周囲と行き来することで成り立っている。地上の道は閉ざされたが、牧之の時代には思い及ばなかった空の道も使って、一世界と世界とをつなぎ続けたい。 秋山乡正因为冬天道路不通,与世隔绝,才得以不走样地将生活样态和文化保留至今。然而,如今人们的生活是建立在与周边的往来交流之上的。地面上的道路虽已隔阻,哪怕利用在牧之的时代里无法想象的空中道路,也要将这“一世”与外部世界相连接。
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发表于 2006-1-13 03:24:35 | 显示全部楼层
那句古文愣是没看懂。。。|||| 就按照自己的理解随便译了一下,果然译错了,汗~~-_-||| 古文真令人头疼>_<|||| 行ったことはないが、いつかは訪ねてみたい。信越国境にある秋山郷も、そんな旅ごころを誘う場所の一つだろう。平家の落人伝説の残るその地が、豪雪で孤立している。 虽然不曾去过,却一直很想走访一次。位于信越国境的秋山乡,便是这样一个令旅人向往的地方。遗留着平氏家族战败者传说的秋山乡,如此孤立于积雪的大地上。 「秋山には古(いにしへ)の風俗おのづから残れりと聞(きき)しゆゑ一度は尋(たづね)ばやとおもひ居りしに……米味噌醤油鰹節茶蝋燭(らふそく)までをも用意して……」。新潟の文人、鈴木牧之が秋山郷を訪ねたのは、江戸後期のことだった。この『北越雪譜』(岩波文庫)には、心引かれた地へ旅立つ思いや現地での見聞が記されている。 “听闻秋山残存着一些古老风俗,若旅人走访此地,当地人会准备米味噌、酱油、干制鲣鱼茶、蜡烛等物品……”新泻文人铃木牧之在江户后期曾经走访过秋山乡。在这本《北越雪谱》(岩波文库)里,记录了铃木先生去往心仪之地的心情以及在当地的见闻。 牧之が秋山郷への旅で著した別の一冊『秋山記行』(東洋文庫)には、当時の集落を描いた絵が載っている。見ているうちに、先日見た一枚の写真が絵に重なってきた。それは、雪で孤立状態になった秋山郷を上空から撮影したものだった。 牧之在秋山乡旅游时还写了另一本著作《秋山游记》(东洋文库),收录了描绘当时村落风景的图画。看着这幅图,不禁回忆起前几天看到的一张相片。那是从上空拍摄到的孤立于雪地的秋山乡。 絵の方では、かやぶきの家がわずかに点在している。写真の方の家は大きく数も多い。しかし厚い雪がその家々の屋根を覆っているので、昔の秋山郷のたたずまいがよみがえったかのように見えた。 那幅图画描绘着稀稀落落的茅草屋。而照片上的房屋则很大数量也很多。但由于各家的屋顶都被积雪覆盖,看上去就像是从前的秋山乡景色复苏一般。 やはり江戸の後期に書かれた『信濃奇勝録』が、当時の人々の様子を伝えている。争ったり怒ったりすることなく、質朴で「太古の人の如し まことに世外の一世界なり」 江户后期的著作《信农奇景录》,描写出了当时人们的生活情景。他们相互间不争执,不愤怒,非常质朴“就如太古的人们 生活在世外桃源”。 冬場には道が閉ざされてきた秋山郷は、隔絶の地であればこそ、うつろわない暮らしや文化を伝えてきた。しかし今では、人々の暮らしは周囲と行き来することで成り立っている。地上の道は閉ざされたが、牧之の時代には思い及ばなかった空の道も使って、一世界と世界とをつなぎ続けたい。 冬季道路封闭的秋山乡,正因为与世隔绝,这种永不改变的生活习俗与文化才被传承下来。但今天人们的生活是在交际来往中建立起来的。虽说地上的道路被封闭了,笔者希望能够通过在牧之时代还想象不到的空中道路,将秋山之世与世界一直保持连接。
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发表于 2006-1-13 09:01:31 | 显示全部楼层
引用第15楼tinmei2006-01-12 11:31发表的“”: 先生把那句古文语法稍做讲解好么? 不然下次遇见了又是“相见不相识”啊 .......
古文部分,最好还是找本书看下吧。我这边也就开过10节左右的课。加起来不到20小时。古文真正难的地方就是古文词汇的解释意。不过一般会用到现在文章中的古文,词汇的解释意都和现代日文很像。所以系统地看下文法就行了。不知道咖啡以前有没有古文讲解的帖子。(印象里有)
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发表于 2006-1-13 09:59:37 | 显示全部楼层
060112天声人語 (修改版)  行ったことはないが、いつかは訪ねてみたい。信越(しんえつ)国境にある秋山郷(あきやまごう)も、そんな旅ごころを誘う場所の一つだろう。平家の落人伝説(おちうどでんせつ)の残るその地が、豪雪で孤立している。   虽不曾去过,但总想去看一看。位于信越地界内的秋山乡,算得上是如此勾人游兴的去处之一吧。如今,那个有着平家时代败军隐居部落传说的地方,正孤零零地躺在茫茫大雪之中。  「秋山には古(いにしへ)の風俗おのづから残れりと聞(きき)しゆゑ一度は尋(たづね)ばやとおもひ居りしに……米味噌醤油鰹節(かつおぶし)茶蝋燭(らふそく)までをも用意して……」。新潟の文人、鈴木牧之(すずきぼくし)が秋山郷(あきやまごう)を訪ねたのは、江戸後期のことだった。この『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』(岩波文庫)には、心引かれた地へ旅立つ思いや現地での見聞が記されている。 “闻得秋山古风尤存而欲一往……米、酱、酱油、木鱼、茶、蜡烛具已备齐……” 江户时代后期,新泻的文人铃木牧之造访了秋山乡。在写有上述文字的《北越雪谱》(岩波文库)中,记录着他欲去心仪之地旅游时的心情,以及抵达后在当地的见闻。  牧之が秋山郷への旅で著した別の一冊『秋山記行』(東洋文庫)には、当時の集落を描いた絵が載っている。見ているうちに、先日見た一枚の写真が絵に重なってきた。それは、雪で孤立状態になった秋山郷を上空から撮影したものだった。 在牧之因秋山旅行而写下的另一本书——《秋山纪行》(东洋文库)之中,刊有一页描绘当时村落面貌的插图。看着这幅图画,就不由得在脑海中将它与前些天所看到的一张照片重叠了起来。那是一张从空中拍摄的茫茫大雪中孤零零的秋山乡的照片。  絵の方では、かやぶきの家がわずかに点在している。写真の方の家は大きく数も多い。しかし厚い雪がその家々の屋根を覆っているので、昔の秋山郷のたたずまいがよみがえったかのように見えた。 插图上,零星散布着几栋茅草顶的房屋。照片上的房屋既大又多。但由于家家户户的屋顶上都蒙着厚厚的积雪,看起来似乎又回到了从前的秋山乡的模样。  やはり江戸の後期に書かれた『信濃奇勝録(しなのきしょうろく)』が、当時の人々の様子を伝えている。争ったり怒ったりすることなく、質朴(しつぼく)で「太古の人の如し まことに世外の一世界なり」 同样是写于江户后期的《信浓奇胜录》,将当时人们的生活习俗展现在了我们的眼前。不争、不怒、质朴淳厚,“民若太古之民,俨然世外一世矣”  冬場には道が閉ざされてきた秋山郷は、隔絶の地であればこそ、うつろわない暮らしや文化を伝えてきた。しかし今では、人々の暮らしは周囲と行き来することで成り立っている。地上の道は閉ざされたが、牧之の時代には思い及ばなかった空の道も使って、一世界と世界とをつなぎ続けたい。 秋山乡正因为冬天道路不通,与世隔绝,才得以不走样地将以前的生活样态和文化保留至今。然而,如今人们的生活是建立在与周边的往来交流之上的。地面上的道路虽已隔阻,哪怕利用在牧之的时代里无法想象的空中道路,也要将这“一世”与外部世界相连接。
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 楼主| 发表于 2006-1-13 10:03:32 | 显示全部楼层
引用第22楼狂语者2006-01-13 09:01发表的“”: 古文部分,最好还是找本书看下吧。我这边也就开过10节左右的课。加起来不到20小时。古文真正难的地方就是古文词汇的解释意。不过一般会用到现在文章中的古文,词汇的解释意都和现代日文很像。所以系统地看下文法就行了。不知道咖啡以前有没有古文讲解的帖子。(印象里有)
谢谢先生了。 其实我们也开过古文的课,不过教授的是个日本老先生。简直就不知所云。 所以有时也会悄悄地怀疑,不知老先生自己是否吃得很透。 反正那段时间上课根本就不带脑子的。以为除了考试自己也没有机会接触的。 谁知这天声的作者,看起来又那么有文化,也喜欢用他们的“国粹”。郁闷死了。 看来,是到了该补课的时候了。 还是多谢先生了~
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