三武(みたけ)久美子さん(58)が「質屋の女房」になったのは、二十数年前のことだ。8人きょうだいの末っ子で、幼いころに父を亡くし、母のお供をして質屋によく通った。それがどういう巡り合わせか、質屋さんと結婚した。
三武久美子(58)成为“当铺的老板娘”,是在二十多年前时候的事了。美子是8兄弟中最小的孩子,在年幼时候其父去世,她经常陪母亲一同前往当铺。那是一个怎样的机缘啊,美子后来竟和当铺老板结婚了。
そんな思い出を収めた『本日は定休日』(文芸社)を読み、東京・品川の店を訪ねた。かつては路地の奥に出入り口があり、窓には格子がはまっていたそうだが、いま、店は通りに面して明るく、格子もない。
读了收录此篇回忆的『今天是休息日』(文艺社)之后,笔者走访了东京·品川的这家当铺。据说以前胡同的深处有一个出口,窗户上嵌有窗棂,但现在当铺对着大街,十分明亮,窗户上现已没有了窗棂。
「いまのお客さんは、生活費というよりも、小遣いがちょっと足りないという人が多いようです」と三武さんは話す。むかし、シャンデリアを質草として持ってきた人がいたのには驚いた。質草の主流は、衣服や電気製品から貴金属やブランド品のバッグに変わってきた。
三武女士说道“现在来当铺的客人,与其说是为了生活费,倒不如说因为零花钱稍微不够来的人更多些”。以前我都为有人拿枝形吊灯来典当而感到吃惊。现在当品的主流由过去的衣服、电器变成了贵金属、品牌的书包等等。
質屋の始まりは鎌倉時代といわれる。いまや消費者金融に加えて、銀行までが争って金を貸す時代である。昭和30年代に全国に2万店あった質屋は、4千店に減った。
据说当铺源于镰仓时代。现在是一个除了消费者金融业之外,甚至连银行也竞相加入到将钱贷出的时代。昭和30年代全国2万家的当铺,现在已递减到4千店。
それでも、まだまだ根強い人気がある。三武さんはその理由を「万一、お金を返せなくても、取り立てはしないし、事情があれば返済を待つこともあるからでしょう」と語る。身の丈にあった借金であり、貸手には人の情もあるのだ。
尽管如此,当铺还是深受欢迎的。三武女士分析其中理由为“即使无法还款,对方也不会催收,而且如果有什么事情,当铺有时也能够延长还贷期限。”这是符合个人情况的欠债,贷方也是有人情味的。
東京で質屋の常連客となったのは、「地縁血縁のない上京者だった」。そう書いたのは、ドイツ文学者の故種村季弘さんだ。最近、三武さんの店には、アジアの国々からの「上京者」が目立つ。病気の母に仕送りしなければならない、などと聞かされると、つい多めに貸してしまうそうだ。
在东京成为当铺常客的,一般是“和东京没有乡土及血缘关系的进京者”。这么写的是已故的德国文学家,种村季弘先生。最近,三武女士的店里,来自亚洲各国的“进京者”尤为醒目。据说听到诸如“必须给生病的母亲汇寄生活费”之类的话语,就会不知不觉多借出些了。 |