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发表于 2006-2-28 12:17:43
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【天声人語】
2006年02月28日(火曜日)付
手の指先をすぼめて空に向けたような形の聖火台から、すっと炎が消える。トリノ冬季五輪の幕が閉じた。テレビ画面の濃い闇の向こうから、大会の幾つもの場面がよみがえってきた。
呈指尖指向天空的手掌状的圣火台上的圣火一下子就熄灭了,都灵冬奥会就此落下帷幕。透过漆黑的电视画面,发生在大会期间的好几个情景仿佛又重新出现在我的眼前。
人々はアルプスを背にしたポー川のほとりの街に集い、雪と氷と風の中で競った。成功と勝利があり、失敗と敗北があった。歓喜と失意とがあった。様々な国の旗が翻り、獲得メダルの数が注目された。しかし国ごとの区別が五輪の眼目とは思えない。
人们集中到这个背靠阿尔卑斯山的波河河畔的城市,在冰雪寒风中展开角逐。有成功,也有失败;有欢欣,也有失意。各国的国旗迎风翻飞,较量着取得的奖牌的数量。然而,我认为奥运会的看点并不在于各国奖牌的区别。
やはり、記録と自らの限界に挑む選手たちの姿が胸に残る。それぞれの顔や手や足の動きに輝きが宿っていた。
最令我影响深刻的,还是那些向记录和自身的极限挑战的选手。我觉得他们的脸上、他们的一举手一投足都放射出光芒来。
その光をかげらせるものもある。商業主義や見せ物化、薬物汚染の根は深い。しかし、過去何よりもその輝きを奪ったのは戦争だった。1940年の「東京五輪」は幻に終わった。
当然,也有使这种光芒变得暗淡的东西:体育的商业化、表演化、使用兴奋剂等都是屡禁不绝。然而,在奥运会的历史上,将这种光芒夺走的罪魁祸首,就是战争。1940年的东京奥运会就因战争而以流产告终。
同じ時代にトリノで、反ファシズム活動を理由に逮捕された詩人チェーザレ・パベーゼが流刑地で書いた。「今日という日に川から霧が湧いて、美しく/都会へ流れこむ……帰ってくる価値はあるのだ、たとえ変り果てても」。遠い獄舎でトリノを思っている(河島英昭『叙事詩の精神』岩波書店)。
在同一时期的都灵,诗人齐赛尔・帕贝泽由于反法西斯活动被捕,他在流放地的狱中写道:“今天河面升起浓雾,袅袅地/向城市流去……一定要回来啊,即使你已经满目苍痍。”在遥远的监狱里,诗人深深思念着都灵。(河岛英昭《叙事詩的精神》岩波书店)。
そんな歴史もあるこの街で昨秋、ポー川のほとりに立った。そばには釣り糸をたれる人が居た。白くにごった水がゆったりと流れてゆく。ファシズムと戦争がこの地を覆った時代を思いながら、「平和の祭典」を慌ただしく準備する街を歩いた。大会を無事に終えて聖火が消えたトリノの街に、詩人の夢見た穏やかなたたずまいは、もう戻ってきただろうか。
去年秋天,我来到这个拥有这样一段历史的城市。我伫立在波河岸边,身旁有人在静静垂钓。泛白的河水缓缓流淌。我一边回想着那个与法西斯的战事笼罩此地的时代,一边漫步在正为举行“和平庆典”而匆忙准备的街道上。在冬奥会顺利结束圣火已熄灭的都灵,诗人梦中所见到的安详的面貌,是否已经回来了呢? |
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