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天声人语(3月4日)

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发表于 2006-3-4 09:43:32 | 显示全部楼层 |阅读模式
「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。——私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。 “孩提时代,身为男孩,喜欢女孩节的程度却超过了男孩节。”母亲出嫁时带来的女孩节偶人“散发出漫长岁月的尘土和霉味儿。——我,当时或许是喜欢这种味道的。”在自著『昭和之恋    篇章II』(清流出版)中这样写到的演艺家兼作家久世光彦先生去世了,享年70。  テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。      在电视剧《寺内贯太郎一家》中演出的小林亚星先生,认为久世先生并不是容易淡忘旧往而极明事理之人。他确确实实确实用不少好文章来描绘人生的微妙之处,并把它们制作成卓越的电视剧。作品中所描绘的是人们内心的微妙,同时也是时代的折射。  改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。 再次翻开久世先生的著作,眼前出现了那许多回忆中的痕迹。三轮车,木质校舍,廊子,火车,油纸雨伞,烹饪罩衣……。作者用其巧妙的笔端再现了这些伴随着时光从身边消失的物品。  「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。  “冬天的早晨,在被窝里睁开眼睛,便能够闻到漾来的各种各样的气味儿。从厨房里漂到走廊的是酱汤的气味儿,淡淡篱笆的山茶花香味中,还搀杂着柴火的烟味儿”。这是图文并茂的文章《柴火》中的一节。  古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は——〈歳月〉である」  在古董铺大钟照片的旁边这么写着“大街也好,建筑物也罢,甚至是人的一生也罢,万物皆是故事的主角——是‘岁月’”。  いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。      世光彦先生在片刻不停消逝的岁月中,尽量地把记忆中的日子物化存留下来,以传给后人。久世先生,可谓是“昭和”这辆名列车的车尾灯。他一心一意地描绘着光迹,随着列车一道远去。
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 楼主| 发表于 2006-3-4 09:44:13 | 显示全部楼层
心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。 这句理解不好,看看哪位高人指点。
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发表于 2006-3-4 10:16:54 | 显示全部楼层
这句是说很佩服久世光彦先生不知为何(没有理由的)能够洞悉人的微妙的内心世界,或者说是所谓的第六感吧
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发表于 2006-3-4 12:47:44 | 显示全部楼层
 「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。——私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。    “孩童时期,我一个男孩子,偏偏喜欢女孩节更胜过男孩节。”母亲出嫁时所带来的女孩节偶人“散发着岁月的尘埃和霉味。——或许我只是喜欢那种感觉吧。”导演兼作家的久世光彦先生在自著《昭和之恋 Part II》(清流出版)中如是写道。他于70岁离开了人世。  テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。    出演过电视剧《寺风贯太郎一家》的小林亚星先生表示很可惜,说久世先生能真正洞察到人们内心最微妙隐秘的一面。的确,他将人生种种生动的细节汇编于文章中,再将其搬上屏幕,改编成杰出的电视剧。他在描绘人们心灵细节的同时,也折射出了时代的面貌。  改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。    再次翻开几本久世先生所著的书,便能看得出他的细察深思。三轮车、木造校舍、长廊、列车、油雨伞、烹饪服……久世先生用巧妙的笔调再现了这些随着时代的发展逐渐在人们生活中消失的东西。  「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。    “冬天早上,窝在被子里睁开眼,各种气味便扑鼻而来。厨房的酱汤味悠悠飘到了走廊上,还有篱笆的山茶花淡淡的馨香,交杂着柴火的烟味。”这是图文并茂的文章《焚火》中的一节。  古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は——〈歳月〉である」    在古董屋大钟的照片旁边,记有这样一段文字。“街道也好,建筑也好,甚至是人生也好,所有故事的主役都是——岁月。”  いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。    永不停流的岁月之河中,久世先生努力将记忆中的日子化作物形,传留给后人。久世先生就像昭和这辆列车的尾灯一般,在他描绘这最后的光迹的同时,列车已呼啸着驶远。
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发表于 2006-3-4 14:26:14 | 显示全部楼层
テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。 含义是说: 久世先生能真正洞察到人们内心最微妙隐秘的一面,他的去世是很可惜的。
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发表于 2006-3-4 23:33:14 | 显示全部楼层
「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。——私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。 “孩童时代,自己虽是个男孩,比起男孩节,却更喜欢女孩节。”母亲出嫁时带着的可爱人偶“长年累月,沁出特有的尘埃与霉的气味。——或许我是喜欢这种味道罢”。在自著《昭和之恋 第二部》(清流出版)中如此写道的导演兼作家久世光彦与世长辞,享年70岁。 テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。 出演电视剧《寺内贯太郎一家》的小林亚星对此感到惋惜,久世是可以洞察人心的复杂微妙一面的杰出人才。他的文章对人生情趣的细节描写很出彩,并将之成功地改编成电视剧。内容既描绘出了人心百态,也记录了时代的复杂变迁。 改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。 笔者又翻看了多本久世光彦的著作,许多细节描写栩栩如生。三轮车、木造校舍、走廊、火车、纸伞、烹饪服……。许多随着时间流逝而从身边消失了的事物,通过作者巧妙的笔触,仿佛又重生了一般。 「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。 “寒冬的清晨,在温暖的被窝中醒来,闻到了各种味道。从厨房飘到走廊的酱汤味、薄薄的篱笆旁山茶花的清香,还有混杂着的焚烧烟味”。这是图文并茂的“焚火”中的一句。 古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は——〈歳月〉である」 在一幅古物铺的座钟照片下,记着这么一段文字。“街道也好、建筑物也好、甚至人的一生也好,世间万物的主役……是‘岁月’” いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。 在无情流逝的岁月中,努力形象地描绘出记忆中的点滴,并传达给后人。久世光彦可谓是名为“昭和”这辆列车的一盏尾灯。随着列车的渐行远去,描绘出一条迷人的光之轨迹。
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发表于 2006-3-6 16:56:07 | 显示全部楼层
060304天声人語  「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。——私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々(しょうわれんれん) パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。 “我虽然是男孩儿,但小时候比起端午节(注:在日本是男孩子的节日)来更喜欢挑花节(注:在日本是女孩子的节日)”。妈妈出嫁时带来的挑花节偶人娃娃“散发着长年累月积下的灰尘味和霉味。——我也许就喜欢这种气味”。以70高龄谢世的导演兼作家久世光彦先生在他的著作《留恋昭和 第Ⅱ部》(清流出版)中这么写道。  テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜(たくばつ)なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。 在电视剧《寺内贯太郎一家》中出演过的小林亚星先生,对他的去世感到十分惋惜,说他是一为不靠理性而懂得人心的皱折夹层的人。诚如斯言,他以细腻的文笔和出类拔萃的电视剧描绘着人生的微妙之处。他所描绘的是人心的皱折,也是时代的皱折。  改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。 再次翻开他的几本著作,众多的皱折边呈现在了我的眼前。三轮车、木头建造的校舍、走廊、火车、油纸伞、烹饪罩衫……那些随着时代一起从我们身边消失的玩意儿,在他的生花妙笔重又复活灵动起来了。  「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火(たきび)」の一節だ。 图文并茂的《篝火》中有一节写道:“冬天的早晨,在被窝中一睁开眼睛,就可闻到各种气味。浆汤味从厨房沿着走廊飘飘荡荡地传过来、篱墙下是淡淡的茶梅花香、而在这其中又搀杂着篝火的烟火气”。  古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は——〈歳月〉である」   在旧货店里大钟的照片旁,写着这么一句:“街道也好、房子也好、人的一生也好,所有故事的主角都是‘岁月’”。  いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。   在一刻也不停留的岁月长河中,他尽量给记忆中日子赋于一定的形像而传之于后世。久世先生可谓是昭和这辆列车的一盏闪亮的尾灯。在划出了一道光迹之后,那列车渐渐地远去。 久世光彦
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