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发表于 2006-4-17 16:36:31
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2006年04月17日(月曜日)付【天声人語】
島尾優(まさる)さんは徳島県阿南市の漁師だった。とてもやさしい人で、漁から疲れて帰っても2人の子とよく遊んだ。5年前の春、沖合で操業中に漁網の巻き取り機に巻き込まれて亡くなった。45歳だった。
岛尾优曾是德岛县阿南市的一名渔夫。他是性情温和,捕鱼回无论怎样疲倦,常常和两个孩子玩耍。5年前的春天,他在海面上打鱼时,因卷入渔网缠网机而遇难。年仅45岁。
そうした父の思い出を書いた長女で高校2年の喜美子さんの手記が「メール 空まで届いてほしい——漁船海難遺児と母の文集」に収められた。事故のとき、喜美子さんは小学5年だった。「とても悲しかった」とつづり、「母はショックのあまり、食べ物がのどを通らないほどだった」と書いた。
岛尾的长女,高中2年级学生的喜美子在手记中记载了对父亲的回忆。这篇手记收录在《想要寄给天国的信——遇难渔夫的遗孤与母亲的文集》。发生事故的时候,喜美子才上小学5年级。她写道:“我悲伤不已,母亲受惊过度,滴水不沾。”
どうやって立ち直ったのですか。母親の抄子(しょうこ)さんに尋ねた。寝込んでいた抄子さんのそばで、喜美子さんが「試練はな、乗り越えてこそ完璧(かんぺき)やろ」と言ったそうだ。そんな難しい言葉をどこで覚えたのか。きっと夫が言わせているのだと思った。
怎样重新振作起来的呢?问起喜美子的母亲抄子,她说,喜美子在抄子卧床不起时,说过“只有经过考验才能辉煌”。她是从哪里学会那么有哲理的话的呢?我想,一定是丈夫曾经对她说过。
文集には、一つ違いの弟の敏之君が風景などを描いた絵も載っている。敏之君は自閉症だ。支えてくれた人たちへの感謝の思いを込めて、これまで作品展を2回開いた。
文集中还收载了弟弟敏之画的风景画。敏之有自闭症。为表达对支持者的感谢之情,迄今为止,作品展已经召开了两届。
文集をまとめた漁船海難遺児育英会は1970年に発足した。月に1万1千~5万円の奨学金を幼児から大学生までの約400人に出している。漁船の事故は後を絶たず、毎年200人を超える漁師が海で命を落とす。喜美子さん姉弟も奨学生だ。
组织征文的渔船海难遗孤育英会成立于1970年。它每个月向约400名婴儿到大学生之间的遗孤提供1万1千到5万元的奖学金。 渔船事故不断,每年超200名渔夫丧命海上。喜美子姐弟也是奖学金受益者。
島尾さん宅は目の前が船着き場だ。優さんが乗っていた漁船も見える。喜美子さんは「お父さんがいないからこそ、がんばって、夢を一つ一つ実現させていきたい。それが私たちを支えてくれた人への恩返しだと思います」と語る。
岛尾家的房子前就是渔船停泊场。还能看到岛尾曾经乘过的渔船。喜美子说,“正因为父亲不在了,才想要努力,逐一实现梦想。我想,那是对帮助过我们的人的最好报答。” |
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