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母さんありがとう
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5 L1 t5 C2 S o7 k3 t( J% { 三月二十六日、自動車は琵琶湖(びわこ)の畔(ほとり)を走っていた。通子さんは膝に抱いた白木(しらき)の箱をそっと車窓(しゃそう)に抱えあげて囁いた。そしてたまらず泣き崩れた。「隆一、あなたの好きだった琵琶湖よ。わかる?」
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, ^; I3 e8 |2 l! d3 X/ m あれはいつの事だったろう。そうだ、昨年十二月十四日、忘れもしない。その日隆一君から手紙が来たのだった。「僕に手術を受けさせてください。母さん、僕に母さんの腎臓をひとつ下さい。父さん手術の費用を出してください。僕が人間的に手術を受ける資格があるかどうか自分でも疑問ですが、僕は今死にたくないのです。死の足音が一歩一歩近付いてくるような今の生活にはもう耐えることができません。無論手術は危険率のほうが高く、決して、手術をするから助かるなどとは思っていません。でも今の僕には、その道しか残っていないのです。僕の病気に最善を尽くしたいのです。僕の最後になるかもしれないお願いを、どうか聞いて下さい。」
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, O' C8 |) b7 H0 F' W 福井市内の病院に入院していた隆一君と、通子さんは、毎日顔を合わせていないのに、やはり口でいえなかったのだろう。一字一字思いを込めて書いたらしく、しっかりした字だった。% M7 x# @0 |' C) l8 C ^
: C. C/ z' w4 p% f4 w& j 隆一君と腎臓との戦いは、もう四年も続いている。病院も変えてみたけれど、病状は悪くなるばかり、末期的症状(しょうじょう)を呈してきた。腹部に水がたまり、全身が浮腫ん(むくむ)でいる。自分でも死が目前に来ていることを知っていたに違いない。後で分かったことだが、隆一君が腎臓の移植手術のことを知ったのは、その月の初めである。京都府立医大で「腎臓の移植に成功」の記事を新聞で読んだからだった。
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通子さんは何度も手紙を読み返した。「僕の最後になるお願い、どうか聞いて下さい。」そこまで来ると、どっと涙が溢れてしまう。
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思えばあの子はかわいそうな子だった。貧しい共稼ぎ夫婦の長男、面倒を十分見てやれるはずもない。勤めから帰ってくると、家事に手いっぱい。隆一の宿題を一度も見てやったことがない。
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1 ?' y4 r/ z( }. h! J1 h 中学二年のときの夏、おしっこに血が混じっているとの異常が出てきた。あの時からだった。病院通いに明け暮れるうちに、隆一は、中学三年になっていた。高校受験のとき、すでに藤島高校の医務室で答案を書くほどの病身だった。試験には見事にパスしたが、そのまま県立病院のベッドへ。あの頃から、隆一は次第に無口になっていた。いくら話しかけても口をきかず、布団を被って声を殺して泣いていた。私も泣いた。暗い毎日だった。あの子はどんなに苦しんだことだろう……。
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$ I% D6 u, \9 o$ B0 F5 r0 ? 通子さんは夫に手紙を見せた。満隆さんは「ウム」と腕を組んでしまった。手術の成功の可能性、最悪の場合の二人の生命、もう一人いる子供のこと、夫婦とも胸をめぐる思いは同じなのだ。3 X: {# `7 ^* D: f/ C
" q9 e- S5 v, M9 X1 I. p: ` ついに通子さんは決断した。「助かるほうへかけよう。このまま隆一を死なせたら、生涯(しょうがい)の悔い(くい)が残る。薄幸(はっこう)なわが子へ母親の義務ではないか。二人とも死んだら、それはそれで、天の思し召しだ。」衰弱(すいじゃく)仕切った隆一君に、ほかに生きる道はない。結局、二者択一の問題ではなかったのだ。危険には違いないが、行く手には一本道しかなかったのだ。
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7 r E B9 t! V 移植手術の日は一月二十八日。通子さんは、京都府立医大の病院のベッドで、自分でも意外なほど平静(へいせい)だった。すでに考え付くし、悩みつくした後、いまさら思い煩うことは何もなかった。長い長い時間をかけた手術は、午後六時四十分に終わった。成功だった。手術後二日で、隆一の顔色はめっきりよくなった。初めての言葉は「母ちゃん」だった。2 z8 w) m. J* u U
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側に寝ていた通子さんは、動けぬ体を乗り出して、涙でその声を聞いた。嬉しかった。たとえようもなく嬉しかった。
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) F" \/ F/ a' I2 p 通子さんの経過もよく、二月十七日、一足先に退院した。4 D. E* g/ v2 a6 ]& G! g
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その頃、隆一はすっかり元気になり、病院の食事では足らず、夜食(やしょく)をねだったりした。 D9 e# `) d9 C# I" K
" U% }! Q% T" t7 k: B: E 希望は満ちた毎日。初めて訪れた青春の意欲。隆一は力強く言った。「僕は病気になるまでは将来、建築家(けんちくか)になるつもりだった。だけど、今度学校に戻れたら、人を救う医者になるんだ。」しかし、そのとき第二の魔手が迫っていたのだった。% Y* y1 a1 v3 o& C$ k/ |5 d9 E
+ O. s7 P+ O# { a 二月十四日朝、「目まいがする。」といっていた隆一君は、急に口から黒い血を吐いた。「尿毒症が胃を犯していたのかも」と、すぐ手術室に運ばれたが、十二指腸(じゅうにしちょう) 潰瘍だった。潰瘍部分の動脈から血が吹き出している。四時間あまりの大手術でやっと血は止まった。けれど闘病四年、弱り果てていた隆一君の体は、第二の危険に耐え切れず、ついに死を振り切ることができなかった。母にもらった腎臓は最後まで正常に動いていたのだが。
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通子さんにとってせめてもの救いは、隆一君の残した言葉だった。その言葉は、今も耳を去らない。午前四時、死の十五分前、隆一君は担当医の四方博士にこういった。「先生ごめん。だけど僕は腎臓で死ぬんじゃないんだね。母ちゃんと、父さんにありがとうって言ってね
! I ?( u, F/ ^% w2 G" L9 m……。」
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そっと:【副】轻轻地$ \5 J8 ~% N* G
どっと:【副】(泪水等)止不住,流出
9 [8 m8 {) Y2 }# X1 A2 @! J# dおしっこ:【名,自サ】小便,尿% u- O' p3 H/ ^5 `1 V. c
思し召し(おぼしめし):尊意 爱慕
5 F R; f& k+ q( `# m! }思い煩う(おもいわずらう):担忧7 x7 A6 O* \2 `% J* n2 H
ねだる:【他五】死气白赖地要求
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& ?: c3 p I; v2 a% O; @解说:
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1 面倒を十分見てやれるはずもない。(他也不可能得到充分的照顾。)
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2 たとえようもなく嬉しかった。(高兴得无法形容。)- t' y* o8 m! J
6 @+ u1 Q7 z- R: ?2 Yよう:方式,方法。前接动词连用形时,相当于“~方”。如:しようがない=し方がない。& p1 G& Y4 `( ~- B
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3 通子さんにとってせめてもの救いは……(对通子来说唯一的安慰便是……)
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# F7 D9 u4 V" r“せめて”后续“も”表示强调,“の”是格助词,后续体言,一起使用相当于汉语的“最起码的”,“唯一的”,“一点点的”等意。 |
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