本帖最后由 HKF11 于 2011-3-31 13:25 编辑
〈生きていて生きてるだけで燕(つばめ)来る〉飯田操。本紙が大震災の句を募ると、千数百作が寄せられた。なおも目前で進行中の惨絶を、声や字にすることで我を取り戻す。
3・11を語り継ぐ3月の言葉から
“活着,只要活着燕儿终要归巢”(饭田操在此不知作何理解,人名?)本报自发出募集关于地震灾难的诗句以来,收到了成千上万的作品。作品通过将目前还在上演的惨剧化为语言和文字的方式认人们找回自我。让我们先听听地震以来,3月的市民心声。
▼世帯の8割が水没した岩手県陸前高田市。中学生の佐藤久怜(くれい)さん(13)は「家が流され、教科書で残ったのは理科だけです。勉強がしたい、書きたいこともいっぱい。ノートがほしい」
岩手县陆前高田市80%的家庭都被海水淹没,本市的中学生佐藤久怜(13岁)这样说道:“家被冲走了,教科书只剩下理科的。我想学习,想要个笔记本写很多的东西。“
▼同市の戸羽太(とば・ふとし)市長(46)は在職1カ月での試練。妻を捜す間もない。「市職員やその家族も亡くなった。つらいのは私だけではない。私が頑張らないと市民はついてこない」
同市的市长戸羽太(46岁)上任只一个月,灾难发生时,没有时间寻找妻子。他说:“很多同僚和他们的家属都死去了,痛苦的不只我一人,如果我不坚持,市民就不会拥护。“▼「津波で家とばあちゃんを流されちゃって、捜しに行けないのが悔しい。口うるさい人でしたが、もういちど祖母の煮魚を食べたい」。]福島県南相馬市の高田美千代さん(30)だ
福岛县南相马市的高田美千代(30岁)说:“海啸卷走了我的家和我的祖母,我没能去找,非常后悔。虽然她很唠叨,可我还想再吃一次她做的煮鱼。”[/color]
▼東京から岩手県宮古市に里帰り中の小林友香さん(28)は、地震の翌日に女児を産んだ。「この町のみんなは力を合わせて生きていく。私も頑張ってこの子を守り、育てていきたい」
从东京回岩手县宫古市探亲的小林友香(28岁)在地震的第二日生了一个女儿,她说:“小镇的居民齐心协力,共渡难关,我也要努力保护我的女儿,把她护养成人。”
▼選抜高校野球が開幕。創志学園(岡山)の野山慎介主将(16)が宣誓した。阪神大震災の前後に生まれた世代を代表し、「人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えられると信じています。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々と……」
在高中棒球选拔的开幕式上,冈山创志学校的主力野山慎介代表阪神大地震前后出生的新生代宣誓:“相信有朋友的帮助,我们可战胜任何困难。感谢我们还活着,我们将全身心,堂堂正正的活下去……”
▼哲学者の森岡正博さん(52)は遺族に心を寄せる。「その人たちのいのちは、彼らを大切に思い続けようとする人々によっていつまでもこの世に生き続ける」。あの呆然(ぼうぜん)から20日。〈燕待つ陸奥(みちのく)の空なお寒し〉。
哲学家森冈正搏(52岁)在给遇难者家属的寄语说:“那此逝去的人们,会为了深切思念他的人们而时刻活在这世上。”离那惊魂的日已过了20日。〈等燕归巢的陆奥上空依然寒冷〉 |