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公民 1-1 都市化
急激な都市化でどんな問題がおこったか?
その解決としてどんなことが行われているか?
1-1-1 急激な都市化
日本では、1955から1970にかけて経済が急成長している時期に、第二次産業と第三次産業が大変発展し、これらの仕事についている労働者の数が非常にふえた。
特に、太平洋沿岸の太平洋ベルトに、第二次産業と第三次産業の発達した地域が集中したため、そこの人口が増えることになった。かわりに、第一次産業を中心とするそのほかの地域のじんこうが減ったので、新たに過密と過疎の問題が生まれた。
この太平洋ベルトを中心に重化学工業が発達し、短期間に都市部での人口が増加して都市化が進んだ。このような急速な都市化のため、都市環境は非常に悪化し、人口過密にともなっていろいろな問題が生じた。
中でも、東京や大阪の大都市では、行政の施策が追いつがず、道路網 ・ 住宅 ・ 病院 ・ 学校 ・ 上下水道など社会的共通資本(社会資本)が不足したため、住宅問題 ・ 交通問題 ・ 都市公害などの都市問題が、特に深刻になった。
1-1-2 都市問題
住宅問題では、都市の中心部の地価(土地の値段)が高くなったため、人々は中心部から遠く離れた郊外に住むようになった。都市中心部の居住人口が減り、周辺部の人口が増える現象、ド-ナッツ化現象と呼ばれる。
一方、郊外は、無計画に開発されて土地が虫食い状態になり(スプロール現象)、社会資本が計画的に整備されないため、住まいの環境が悪化した。
職場と住居が別のところにある職住分離がさらにすすみ、遠距離の通勤 ・ 通学や、通勤ラッシュ ・ 通勤地獄(過度の通勤混雑)が一般的になった。然し、通勤地獄を解消するために交通網を整備すればするほど、郊外の住宅化が進み、スプロール化も進むということになった。
公害問題では、多くの都市が工業中心に発達したため、工場からの騒音 ・ 振動 ・ 悪臭、地下水のくみあげによる地盤沈下、煙による大気汚染、排水による川 ・ 海 ・湖 ・ 地下水の汚れなどの問題が生まれた。また建物の高層化による日照権、自動車の排気ガスによる大気汚染なども、大きな問題なった。
交通問題では、交通量の増加に道路整備が追いつかず、そのため混雑 ・ じゅうたい ・ 危険といった問題が深刻になった。
医療福祉施設や公園 ・ 緑地、上下水道、道路、図書館などの公共施設や、ごみ処理などの公共サービスの整備が、人口の急増に追いつかないとしもあった。
1-1-3 追いつかない都市対策
政府は、この問題を解決するため、1962年以来、5回にわたって全国総合開発計画を実施した。特に人口の過密問題を解決するため、全国各地に企業を招いたり高速道路や新幹線をつくるなど、人口や産業を分散させるようにした。
然し、この政策は政 ・ 官 ・ 財(政府 ・ 官庁 ・財界)の中央主導のもので、住民の意見を反映した政策ではなかったため、問題点がおおく、またその後の急速な都市化に追いつかなかった。
1-1-4 東京への集中
1980年代後半から90年代前半にかけて、バブル経済影響で都市問題は一層深刻化した。情報化や経済の国際化が進むにつれて、首都東京への集中が進み、企業の本社 ・ 主要な政府機関 ・ 大学 ・ 研究機関などが、東京とその周辺に作られたため、過密化がさらに進んだ。
地価の高騰は、大阪や名古屋など全国の主要都市でもおこり、また各地でリゾート開発プームが起こり、乱開発によって住まいの環境が非常に悪化した。
1995年おきた阪神 ・淡路大震災では、過密化した都市が防災面で大きな問題を抱えていることもあきらかになった。
1-1-5 住環境の再開発
今までの政策を反省して、都市に集中している人口を分散させて、都市の過密化や東京の集中を解決する政策が真剣に考えられるよううになった。とくに。大都市圏の集中を解消するため、衛星都市や研究学園都市の形成が進められたり、首都を東京から移したり、分散させたりする計画が論じられるようになった。
東京や大阪では、ウォーターフロントと呼ばれる河岸の工場や港近くの倉庫あとに、住宅や事務所用の高層ビルやレジャー施設を作ったりして大都市の再開発が進められた。
以前は、日本では経済の発展を優先した政策がとられることが多かった。然し、近年、経済的 ・ 物質的な豊かさを追求するより、地域の自然環境を守り、生活環境を改善しようという考え方が広まった。地域住民が参加して街づくりを進めたり、景観条例をつくって乱開発をやめさせるなど、自分たちの手で住みよい環境を作ろうとする傾向がますます高まっている。
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