060513天声人語
沖縄は15日、本土復帰から34周年を迎える。昨日、沖縄本島の3地点から米軍の普天間(ふてんま)飛行場のある宜野湾市(ぎのわんし)をめざして「5・15平和行進」が始まった。
冲绳将在15日迎来回归本土的34周年。昨天,从冲绳本岛上的三个地方,向美军普天间机场的所在地宜野湾市方向,举行了“5•15和平游行”。
普天間飛行場の移転先に最も近い集落がある名護市辺野古(なごしへのこ)地区からも、300人余がスタートした。参加者からは、辺野古崎への移設を基本にすることで政府と折り合った稲嶺恵一(いなみねけいいち)知事への厳しい意見が相次いだという。
离普天间机场的迁移地最近的村落所在的名护市边野古地区,也出发了300多人的游行队伍。据说,参加者们对在原则上迁移至边野古岬一事上与政府相妥协的稻岭惠一知事的严厉指责不绝于缕。
知事は小泉首相との間で、政府案を基本に協議を続けることを確認した。「基本に」が曲者(くせもの)で、どこまでが基本の範囲かが分からない。政府は地元振興のために新法を検討する方針という。基地を新設するため、金にものを言わせたとの印象がぬぐえない。
现已明确,知事将与小泉首相在政府方案的原则上继续进行协商。“原则上”一词十分蹊跷,其范围模糊不清。据称,政府将以地方振兴为方针来研究新法。一种用钱来摆平一切,建立新基地的感觉总是挥之不去。
首相は、この秋に退陣するという。知事も、年内に行われる知事選に出ない意向らしい。移設の実行は後釜任せか。引退間際の合意が、沖縄の未来を決めることになる。
首相将于今年秋天退任。知事也无意参加年内的选举。这不明摆着要将迁移的实施扔给了下一任吗?临下台之际达成的意向,将决定着冲绳的未来。
沖縄出身の言語学者で民俗学者だった伊波普猷(いはふゆう)は、絶筆となった昭和22年の『沖縄歴史物語』の末尾に書いた。「地球上で帝国主義が終りを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」(『伊波普猷全集』平凡社)。
冲绳出身的语言学家兼民俗学家伊波普猷在昭和22年留下的绝笔《冲绳历史物语》的末尾写到:“当地球上帝国主义告终之时,冲绳人才能从‘厄世’中解放出来,享受‘乐世’,充分发挥其个性,为世界文化作出贡献。”(《伊波普猷全集》平凡社)
「沖縄学の父」といわれる伊波は、自己決定権を奪われた沖縄の運命を問い続けた。こんな言葉を、繰り返し口にしていたという。「深く掘れ 己の胸中の泉 余所(よそ)たよて 水や汲(く)まぬごとに」。自立への希求と、「余所に頼る」ことの戒めには、没後60年近くたった今も重みがある。
被称为“冲绳学之父”的伊波一直探索着被剥夺了自我决定权的冲绳的命运。据说,他曾反复说过这样的话:“深挖下去 自己胸中的甘泉 依靠他人 是得不到水的”。那种对自立的希求,对“依靠他人”警戒,在他死后已快60年的今天听来依然十分沉重。
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伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の学者・啓蒙家。第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学で言語学を専攻する。東京帝国大学では、橋本進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講している。沖縄県立図書館の館長を務める傍ら、沖縄研究資料の収集に尽力した。歴史学者の比嘉春潮とともに、エスペラント学習活動を、教会では聖書の講義などを行った。学問の領域は広大で、沖縄研究を中心に言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡る。それらの業績を元にした学問体系として「沖縄学」が生まれる。おもろさうし研究への貢献は多大である。また、「沖縄学の父」の名でも知られる。琉球と日本とをつなぐ研究を行うと共に、琉球人=うちなーんちゅのアイデンティティの形成を模索した。「日琉同祖論」はその探究の一つである。民俗学者の柳田國男や折口信夫、人類学者の鳥居龍蔵、思想家・経済学者の河上肇らと親交があった。そして、友人の東恩納寛惇が浦添城跡の顕彰碑に刻んだ「彼ほど沖縄を識った人はいない 彼ほど沖縄を愛した人はいない 彼ほど沖縄を憂えた人はいない 彼は識ったが為に愛し愛したために憂えた 彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった」と言う言葉が伊波を物語る。琉球・沖縄を考える人たち全ての立ち返る場所であり、また乗り越えるべき人物である。 |