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[天声人语] 天声人语(6,19)

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发表于 2006-6-19 07:26:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
 佐藤正純さんは北海道のスキー場で、スノーボードで転倒し、頭を強く打った。1カ月後に意識が戻り始めたが、人の顔もぼんやりし、まるで影絵の中にいるようだった。1年が365日であることも忘れていた。10年前、37歳の時だ。    10年前,佐藤正纯先生37岁时,他在北海道滑雪场中踩着滑雪板滑倒了,头部重重地摔了一下。一个月后他终于恢复了意识,但看别人的面容都相当模糊,仿佛处于影画中一般。连一年有365天都忘得一干二净了。  佐藤さんは横浜の病院の脳神経外科医だった。視力と記憶の障害は脳が傷ついたせいだ、とすぐにわかった。傷ついた部分の治癒は望めない。脳の残った機能を高めるしかなかった。    佐藤先生是横滨一家医院的脑神经外科医生。很快揭明了他视力和记忆上出现的毛病是因为脑部受伤。受损部分已没希望治愈了,只能加强利用脑部残留下的机能。  しかし、退院して訪ねたリハビリ医は「これ以上、何をお望みですか」と言った。障害が深刻なことを率直に言ってくれた、と後に感謝するのだが、その時は、やれるものなら自分でやってみろ、と挑戦状を突きつけられた気になった。    然而,佐藤先生出院后,康复指导医生访问他时问到:“还有什么其它愿望”时,佐藤先生先是感谢医生坦率告诉自己受伤的严重性,但现在自己面对这一挑战状,只想试着去做自己能做到的事情。  点字図書館からテープ図書を借りた。妻や子どもと積極的に話した。記憶力が少しずつ戻ってきた。次は視力に頼らず読み書きをすることだ。パソコンの文字を読み上げるソフトの使い方を学んだ。もう一つは歩く訓練だ。山手線に1人で乗れた時には、感激のあまり涙が出た。事故から5年余りがたっていた。    佐藤先生向盲文图书馆借来磁带版书籍,积极地和妻儿进行对话,记忆力也慢慢恢复起来。接下来要做的是训练不借助视力进行读写,他学会了使用能朗读电脑上文字的软件。还有一项是行走训练。当他做到一个人也能乘上山手线列车时,佐藤先生激动得流出了眼泪。这时,离事故发生后已过了五年多时间。  不思議なことに、幼いころから親しんできたピアノは、事故の後も自然に指が動いた。佐藤さんは「障害を負っても、自分の人生がそこで途切れたとは思わなかった。過去の人生に現在を重ね着し、その人生が広がる。そう考えてきました」と語る。    不可思议的是,事故发生后佐藤先生竟自然地弹奏起自幼熟悉的钢琴。他说:“我是这么想的。尽管身体残疾了,但我不认为自己的人生就会因此结束。过去的人生加上现在的经历,拓广了我人生的视野。”  いま医療の専門学校で医学の基礎などを教えている。医師と障害者という二つの人生。その経験を生かして、医療や福祉の世界でもっと役に立ちたい。それが次の夢である。    现在佐藤先生正在医疗专科学校教授医学基础课程。他想要好好利用医生与患者两重人生的经验,为医疗和福利的世界做出更多的贡献。这是佐藤先生下一个梦想。
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发表于 2006-6-19 10:58:08 | 显示全部楼层
 佐藤正純さんは北海道のスキー場で、スノーボードで転倒し、頭を強く打った。1カ月後に意識が戻り始めたが、人の顔もぼんやりし、まるで影絵の中にいるようだった。1年が365日であることも忘れていた。10年前、37歳の時だ。      佐藤正纯在北海道的滑雪场,进行滑板滑雪时跌倒,头部受到强烈地撞击。1个月后,他意识开始复苏,但他甚至连所看到的人脸,都显得模糊,好似处于影画之中。他甚至不记得1年有365天了。这已经是10年前,佐藤37岁时的事情了。  佐藤さんは横浜の病院の脳神経外科医だった。視力と記憶の障害は脳が傷ついたせいだ、とすぐにわかった。傷ついた部分の治癒は望めない。脳の残った機能を高めるしかなかった。 佐藤曾是横滨市医院的脑神经外科医生。检查很快得知其视力和记忆的障碍是脑部受伤所引起的。受损部分无望治愈。只能提高脑部的现有机能。  しかし、退院して訪ねたリハビリ医は「これ以上、何をお望みですか」と言った。障害が深刻なことを率直に言ってくれた、と後に感謝するのだが、その時は、やれるものなら自分でやってみろ、と挑戦状を突きつけられた気になった。      但是,出院后当回访的康复医生问及“除此之外,你还有什么愿望吗”。他首先感谢医生直率地向他说明障碍的严重情况,但那时,在所面临的现实挑战中,他希望自己能做的事情可以自己尝试完成。  点字図書館からテープ図書を借りた。妻や子どもと積極的に話した。記憶力が少しずつ戻ってきた。次は視力に頼らず読み書きをすることだ。パソコンの文字を読み上げるソフトの使い方を学んだ。もう一つは歩く訓練だ。山手線に1人で乗れた時には、感激のあまり涙が出た。事故から5年余りがたっていた。      佐藤从盲文图书馆那里借来了磁带资料。积极地和妻子、孩子进行对话。他的记忆力在逐渐恢复。其次,要做的是不依赖视力进行读写。他学会了使用朗读电脑的文字软件。另一项则是行走训练。当他能够一个人能乘坐山手线列车之时,他激动得热泪盈眶。此时事故已然过去5年多了。  不思議なことに、幼いころから親しんできたピアノは、事故の後も自然に指が動いた。佐藤さんは「障害を負っても、自分の人生がそこで途切れたとは思わなかった。過去の人生に現在を重ね着し、その人生が広がる。そう考えてきました」と語る。      不可思议的是,事故之后,佐藤还能很自然地弹奏起幼年时开始喜欢的钢琴。佐藤先生说到“我是这么想的,即便身残,我也不会认为自己的人生因此而中断。过去的人生加上现在的经历,使我的人生也更为丰富。  いま医療の専門学校で医学の基礎などを教えている。医師と障害者という二つの人生。その経験を生かして、医療や福祉の世界でもっと役に立ちたい。それが次の夢である。 现在佐藤在医疗专科学校教授医学的基础知识等。这是医生和残疾人的两重人生。他希望能够好好地利用这个经验,为医疗和福利领域提供帮助。这是他的下一个梦想。
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发表于 2006-6-21 21:44:40 | 显示全部楼层
佐藤正纯的双重人生(天声人语060619) 佐藤正純さんは北海道のスキー場で、スノーボードで転倒し、頭を強く打った。1カ月後に意識が戻り始めたが、人の顔もぼんやりし、まるで影絵(かげえ)の中にいるようだった。1年が365日であることも忘れていた。10年前、37歳の時だ。     佐藤正纯在北海道的滑雪场进行雪橇滑雪时摔倒,头部受到强烈撞击。1个月后开始恢复意识,但看出去,人脸模模糊糊好似画影一般。就连1年有365天都忘掉了。事情发生在10年前,时年37岁。  佐藤さんは横浜の病院の脳神経外科医だった。視力と記憶の障害は脳が傷ついたせいだ、とすぐにわかった。傷ついた部分の治癒(ちゆ)は望めない。脳の残った機能を高めるしかなかった。 佐藤先生曾是横滨市医院的脑神经外科医生。所以他立刻就明白:视力和记忆的残疾是脑部受伤所引起的。并且,受伤部分是治不好的。所能做的只有提高脑部的剩余机能。  しかし、退院して訪ねたリハビリ医は「これ以上、何をお望みですか」と言った。障害が深刻なことを率直に言ってくれた、と後に感謝するのだが、その時は、やれるものなら自分でやってみろ、と挑戦状を突きつけられた気になった。     但是,出院后去看望他康复医生说:“除此之外,还能有什么指望呢?”。对于残疾严重性的这种直截了当的表达方式,他后来表示了感谢,但在当时,他觉得就像接到了一封挑战书:不信你就试试看吧。  点字図書館からテープ図書を借りた。妻や子どもと積極的に話した。記憶力が少しずつ戻ってきた。次は視力に頼らず読み書きをすることだ。パソコンの文字を読み上げるソフトの使い方を学んだ。もう一つは歩く訓練だ。山手線に1人で乗れた時には、感激のあまり涙が出た。事故から5年余りがたっていた。     他从盲文图书馆借来了有声图书。主动和妻子、孩子对话。这么一来,他的记忆力就慢慢地恢复了。接下来,便是不依赖视力的读写练习。于是,他学会了电脑文档朗读软件的使用。还有一项,就是练习走路。当他能一个人乘坐山手线电车时,竟激动得流出了热泪。此时,离事故发生已过了5年多的时间。  不思議なことに、幼いころから親しんできたピアノは、事故の後も自然に指が動いた。佐藤さんは「障害を負っても、自分の人生がそこで途切れたとは思わなかった。過去の人生に現在を重ね着し、その人生が広がる。そう考えてきました」と語る。     不可思议的是,事故之后,他的手指竟能自动般地弹奏从小就喜欢的钢琴。佐藤先生说:“我不认为,有了残疾自己的人生就中断了。我一直认为,过去的人生之上重叠着现在的体验,这样的人生更加丰富多彩。  いま医療の専門学校で医学の基礎などを教えている。医師と障害者という二つの人生。その経験を生かして、医療や福祉の世界でもっと役に立ちたい。それが次の夢である。 现在佐藤在医疗专科学校教授医学基础知识等课程。他的人生是医生和残疾人的双重人生。希望利用如此经验,能在医疗以及福利领域作出贡献。这是他今后的理想。
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