|
发表于 2006-6-20 11:19:46
|
显示全部楼层
実に厳しいことになった。サッカーのワールドカップで、日本はクロアチアに善戦したが、勝てなかった。仮にブラジルに勝ったとしても、決勝トーナメントに出るには難しい条件がつく。
这是一个严峻的事实。足球世界杯赛上,日本队虽力战克罗地亚队,却终究没能赢得胜利。即便能够战胜巴西队,进入决赛淘汰赛,又多了一道障碍。
ブラジルは、第1回大会からすべての大会に出場している唯一の国だ。優勝5回は最多で、最近の3大会は、いずれも決勝に進出した。
巴西队是唯一的一个从第一届开始每一届世界杯都参加的国家。并且5次夺冠,是夺冠数最多的国家,最近的3次世界杯中,都进入了决赛。
リオデジャネイロのマラカナン競技場は、世界最大級のスタジアムだ。1950年に行われたブラジル大会当時は、20万人を収容したといわれる。試合のない日もスタジアム見物に来る、世界中からの観光客を相手にした私設ガイドがいた。スタジアムの建設工事に雇われ、そのままスタジアムにいついてしまったという。
里约热内卢的马拉卡纳体育场,是世界最大的体育场。1950年举办巴西世界杯赛时,据称容纳了20万人。没有比赛的日子,体育场有专门的导游会接待来自世界各地的游客。据说那些导游原是建造体育场时雇来施工的,后来就留了下来。
50年大会で、このスタジアムで、いかにブラジルがウルグアイに敗れたかという大番狂わせを、実況中継風にとうとうと語る。ブラジルにとって勝利はニュースではなく、敗北は何十年も語り継がれるニュースだからだそうだ。
导游会像实况转播一样,滔滔不绝地告诉人们,在50年世界杯比赛时,巴西是如何如何大败给乌拉圭的。对于巴西人来说,比赛赢了不是什么新闻,比赛输了才是被人津津乐道几十年的新闻。
このサッカー王国は、日本とは地球の反対側同士だが、ブラジル移民には100年近い歴史がある。作家・石川達三は、自ら移民船でブラジルに渡った体験をもとに小説「蒼氓(そうぼう)」を著し、第1回の芥川賞を受けた。
这个足球王国,位于地球的另一面,日本人移民到巴西已有近100年的历史。作家石川达三以自己乘坐移民船到巴西的经历为素材,写了小说《苍氓》,获得第一届芥川奖。
石川が渡航した30年に隣国ウルグアイで開かれたのが、ブラジルも出場したワールドカップの第1回大会だった。歴史的にも、日本とは異なる大きな蓄積がある。しかしブラジル人もまた、同じ人間には違いない。「望みなきに非(あら)ず」。石川のこんな小説の題を思い起こしつつ、いい試合をと念じた。
石川坐船去巴西的那年即1930年,邻国乌拉圭举办了第一届世界杯,巴西也参加了。因此从历史上看,巴西也与日本大不相同,有着厚重的沉淀。可是巴西人也同样是人。《并非没有希望》。我回想着石川的这部小说标题,期望这场比赛精彩。 |
|