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发表于 2008-1-8 19:46:41
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叹服,等华南虎先生的帖子很久了。
每天依旧过来学习
天声人語
2008年01月08日(火曜日)付
20年目に入った平成の世は、19年前のきょう始まった。あの日曜をたどりながら、東京都立川市の昭和記念公園を訪れた。落葉樹のケヤキやコブシはすっかり裸である
步入二十周年的平成之世,始于19年前的今日。回想着那个周日,我只身造访了东京都立川市的昭和纪念公园。落叶乔木的欅树和辛夷都掉尽了叶子。
▼地元の画家、群馬直美さんの「葉っぱの詩(うた)」展が園内で開かれていた。原寸大に描いた木の葉の細密画は、朱や黄が差した色合い、枯れっぷり、髪ほどの葉脈、虫食いの小穴まで引き写す。写真を超えた生々しさである
公园里正举办当地的画家--群馬直美先生的『叶之诗』。依照原物尺寸所描绘的树叶工笔画,清晰的再现了红叶和黄叶反射的色调,枯叶的模样,如发丝般的叶脉,甚至细微的噬痕。那是超越了照片的灵动。
▼自称「葉(よう)画家」の群馬さん、葉へのこだわりは学生時代から四半世紀になる。どの一枚にも濃密な物語があるという。道端の落ち葉は大声で「親」の名を叫ぶそうだ。周りを見回し、空を見上げると、兄弟たちがヒラヒラ手を振っている。作品集『木の葉の美術館』(世界文化社)の一節だ
自诩『叶画家』的群馬先生对树叶的挚爱,自学生时代开始至今近有25载了。他说每片树叶都有着一段多彩的故事。甚至道路两旁的落叶都会冲着他叫喊『父亲』。环顾四周,仰望天空之际,树叶的兄弟们都呼啦呼啦的挥舞着手。上文来自作品集『树叶的美术馆』的一节。
▼一本の木でも、葉の表情はすべて異なる。群馬さんは、この〈みんな違う、みんな主役〉の状況に感嘆する。「私たちも一枚の木の葉。ありのままの自分で輝きだしたら、地球は今よりずっと幸せそうな一本の木になるに違いありません」
即便同为一棵树,其树叶的表情也是各自不同。群馬先生对这『叶叶不同,皆为主角』的状况感叹曰:『我们都是树上的一片叶子。如果每个人都放着各自的光彩,那么我们的地球也将会成为比现在更加幸福的一棵树』。
▼新緑の頃の差異は小さいが、虫に食われ、鳥につつかれ、雨風に打たれて、木の葉は個性を蓄える。散る時も別、そのあとも、土に還(かえ)る者、たき火で天に昇る者と「十枚十色」。一枚ずつ名前をつけてやりたくもなる
虽然树叶在其新绿之时差异甚微,然而其后或被虫食,或被鸟啄,或被风吹雨打,每片都积蓄了其个性。不必说其掉落的时候姿态各异,就连其后回归大地的叶子,还有因篝火而升天的叶子也是『十枚十色』。让人想为每片叶子都取上名字了。
▼昭和、平成。黙して時代を越えてきた樹木の営みに、切れ目なき命の流れを思う。冬の一日、葉を落とした木々と小さな「葉画」に囲まれていると、生死の境が一瞬ぼやけた。生を終えても続きがあるような、ほっとする感覚だった。
昭和,平成。与这默默的穿越了时代的树木的生息,我想到了那从未间断的生命的流转。在这冬日,置身与被这落叶树木包围着的小小的『叶画』中,生死的界限在那刻变得模糊起来。我不由得有种死后复生般的安心感。 |
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