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发表于 2008-1-24 10:39:44
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过来学习了。
呵呵
天声人語
2008年01月23日(水曜日)付
103歳で亡くなった日本画家の片岡球子(たまこ)さんは、浮世絵師の渓斎英泉(けいさい・えいせん)を描いている。自作の美人画に囲まれ、遊び慣れた風にくつろぐ英泉。原色しま模様の弛(たる)んだ着物に、右手でつまむ白杯の硬さが浮き上がる。86歳の作とは思えぬ軽快さだ
103岁高龄逝世的日本画家片岡球子,一直描绘着浮世绘大师渓斎英泉。 渓斎英泉,包围在自绘的仕女图中,一副轻松的神色,尽显金粉世家的风情。画中的他,身着原色条纹和服,右手持白杯,白杯的质地浮现与画上。作品洋溢出的那种活泼轻快,绝不会让人觉得是出自86岁画家之手。
▼若い頃は帝展や院展によく落ちた。「落選の神様」と呼ばれた当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。「展覧会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。ほんと悔しかった。負けないぞと思ったね」(奥岡茂雄『片岡球子・個性(こころ)の旅路』)
片岡球子盛年之时,多次参赛帝展或院展,却屡屡落第。其后她在女子美术大学对其后辈们言及她被誉为“落第之神”的往日:“展会日益临近,众人皆避我而行。我深感失意。然暗自寻思‘此次切不可落第呵’” (奥岡茂雄『片岡球子・個性的旅路』)
▼歴史上の人物の「面構(つらがまえ)」シリーズは還暦後だ。時にユーモラスに描く武将や高僧、絵師らの顔は、歴史の教科書で見るより人間くさい。この人なら今の世をどう考え、動いたかと夢想して筆を運んだそうだ
历史上的人物《面影》系列作与“花甲”(60岁)之后。偶尔诙谐描绘出的武将,高僧,绘师的面容,比历史的教科书上看到的更像真实的人。倘若此人依旧存活于世,将如何看待当今之世,将如何身体力行呢?据说片岡球子一面让梦想驰骋,一面运笔。
▼奔放な画風が地位を得た頃、最晩年の横山大観からの「助言」が興味深い。酒豪の大観は、杯を右手のつめで弾(はじ)きつつ片岡さんに話したという。「この音が描けなければ一人前じゃない」
片岡球子树立豪放画风地位之时,从离大去之期不晚的横山大観那里听到的“忠告”颇耐人寻味。据说誉为“酒豪”的横山大観以右手指甲连续轻弹酒杯,对片岡球子如是说道:“汝若不能绘出此音,则非真大师也。”
▼だから、人も山も内面に踏み込んで向き合った。そうして描いた杯を弾けば、心で陶器が鳴る。「私の富士山は理想の山じゃなく、いつも生きている山。変な形になればなるほどいいんです」は95歳の言である。「暴れ回るように描きたい」と、最後まで時代に媚(こ)びなかった
由此,是人是山,片岡球子都开始接触其内在方面。如此一来,轻弹所描绘的酒杯,心中就会想起瓷器的嗡鸣。她95岁之时曾曰:“我心中的富士山并非是理想之山,而是永远充满活力的山。其形越怪越好。”还说道,“欲画出其癫狂旋转之状”,直至逝世都不曾取悦与时代。
▼折しも本日、大観の没後50年展が東京で開幕する。大家を通した大観と、遅咲きながら長く香った片岡さん。ともに日本の伝統絵画を前に進めた。「面構」の主たちを交えて、天寿の杯を交わす頃か。
恰值今日,大観去世50周年展与东京开幕。身为大师的大観,以及虽大器晚成却后来居上的片岡,两人皆推动着日本传统绘画向前迈进。不正是 相逢《面影》之主,共倾天寿之杯之时么? |
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