▼ハンセン病ほど、でたらめな偏見にさらされてきた病気はない。仏罰、血筋の汚れ、うつりやすい、不治……。恥ずべき差別史は、社会や個々人の「成熟度」を問うてもいる。国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の企画展「ちぎられた心を抱いて」を見て、胸に手をあてた
没有比汉森氏病(麻风病)遭受更多荒唐偏见的疾病了。(各种各样的污名如)佛祖的惩罚,血统的玷污,容易传染,不治之症……。这令人羞耻的歧视史,拷问着整个社会以及人们的“成熟度”。在参观了国立麻风病资料馆(東京都東村山市)的规划展览“拥抱支离破碎的心”后,我感到心痛异常。
▼この病ゆえに、各地の療養所に強制収容された子どもたちの記録である(11月末まで)。家族から引き離された心細さ、恐ろしげな白い予防着の職員。震える心が、作文などに滲(にじ)んでいる
(本次展览所展示的是)因为此病,被强制收容到各地疗养所的孩子们的记录(截止到11月末)。从家人身边被带走时的内心恐慌,穿着令人恐惧的白色防护服的工作人员。这些颤抖着的内心(情感),都渗透进了孩子们的作文之中。
▼昭和初期、患者の強制隔離が国策となる。各県は「根絶」を競い、少年少女も「すぐに親元に帰れるから」と連れてこられた。所内の学校に通ううち、塀の中で一生を終える定めと知る。いわれなき隔離は戦後も続いた
昭和初期,(推行)强制隔离麻风病人的国家政策。各县也竞相“根除”病患,(哄骗)少男少女们说:“很快就可以回到父母身边的”把他们带到这里。(孩子们)而后在所内的学校里上学后才知道,自己将要在这围墙中度过自己的一生。而这种毫无道理的隔离一直持续到战后。
▼絶望の中の至福は面会だった。少女の短文がある。〈お母さんは、私を見ると「千砂」と言ったまま、お泣きになった。私も声を出してわっと泣いた。思って居た事を、言おうとするけれど泣きじゃくって、声が出なかった〉
在绝望的生活中最为幸福的事情就是和家人会面。有一篇少女的作文是这样描写的。“妈妈看到我之后,边哭边喊着“千砂”。我也“哇”的一声大哭起来。事先想好要说的话,想要说话时又大哭起来,泣不成声”
▼離れていても愛されている、と確かめる術(すべ)が郵便だった。千代子さんの、これは詩だろうか。〈てすりにもたれている友/目かくししようと思って/そっと後(うしろ)にまわったら/手紙をもって泣いていた〉
用以证明即便分离也仍旧被爱着的方法就是书信通信了。有一首千代子小朋友的作品,也可称之为诗吧。“(看见)身体垂到在扶手上的朋友/正想去蒙住她的眼睛时/(朋友)默默地转回头/(手中)拿着书信,泪眼朦胧”
▼かるた、ひな人形、運動会の写真。閉ざされた四季が並んでいる。宝物は、肉親と暮らした遠い記憶だったのだろう。康子さんの詩の冒頭を記す。〈思い出は/私の胸の小さな銀の箱にある/そんなものがあるってことも/中に何が入っているかも/誰も知らないの〉
纸牌,女儿节玩偶,还有运动会的照片。被封闭的岁月就这样排列展示着。所谓宝物,就是他们心中深藏着的那些曾和亲人们一起生活的遥远记忆吧。康子小朋友的诗是这么开头的: “所谓回忆/都装在我心中那小小的银箱之中/无论是心中有银箱的事情/还是银箱中装了些什么宝物/谁都不知道” |