100100405裙子的长短
過日の本紙別刷り「be」で懐かしい英国人に会った。小枝のような体形とミニスカートで一世を風靡(ふうび)したモデル、ツイッギーだ。1967年秋、来日時の装いは噂(うわさ)のひざ上20センチではなく、ひざが隠れるキュロット姿だった。だが、翌日の記者会見にはひざ上30センチで現れる。
在以前本报单独发行的《be》刊上,我看到了一个令人怀念的英国人。她就是以柔枝般的身材和超短裙风靡一时的模特儿崔姬小姐。1967年秋天,她来到日本时并没穿传说中的高出膝盖20公分的超短裙,穿的是能遮住膝盖的裙裤。但是在第二天的记者见面会上,却以高出膝盖30公分的超短裙形象出现了。
カーブの後の豪速球である。その短さがすっきり映えるのは足が長いからだと、当時の写真を見て思った。歳月流るるごとしで、英和辞典に名をとどめる彼女も還暦という。
好比是在曲线球之后又投了一记急速球。看了当时的照片,只觉得是她的腿太长才显得裙子短了。岁月匆匆,据说芳名录入《英和辞典》的她,如今也到了花甲之年了。
以来、スカートの流行は伸びたり縮んだり。60年代の急成長をしのんでか、景気がいい時は縮むとの説がある。昨今、ひざ上がどうしたと論じることもないが、家庭では別らしい。
从那时起,流行的裙子就一会儿长一会儿短了。或许是留恋上世纪六十年代的高速增长吧,有人说经济状况景气时裙子就会变短。最近,社会上已没人评论裙子在膝盖以上多少公分了,但在家庭内部似乎还得另当别论。
東洋大が募る今年の「学生百人一首」に、選外の傑作があった。埼玉県の高1が詠んだ〈朝早くスカート丈で押し問答母に短し私に長し〉。登校前のひともんちゃくが楽しい。バブル世代のお母さんは、若き日のボディコンを棚に上げて説教する。
在东洋大学今年举办的“学生百人一首”的落选作品中,倒有一首杰作。那是埼玉县一个高一学生创作的和歌:“清早斗嘴急又忙,来言去语为着装,分明一条流行裙,娘说太短我嫌长”。上学之前的一番争执,倒也别有情趣。出生于泡沫经济时代的妈妈将自己年轻时的紧身衣束之高阁后,开始对女儿进行说教了。
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