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专业主妇还是职业女性?
2011年1月9日(日)付
川崎市の川柳作家古俣麻子(こまた・あさこ)さんの句をいくつか書きとめている。〈ポケットに無限をつめて少女羽化〉。人生の折々で、女性の思いをまっすぐに伝える技と感性が、琴線に触れた。
我手头有几首川崎市川柳诗人古俣麻子写的诗。“无限塞口袋,少女化蝶飞。”诗人在人生的各个阶段准确地将女性的情感表达出来的技巧和感性深深触动了读者的心弦。
〈ひとことを飲み込めばすむ皿洗う〉は妻の忍耐だろう。〈この子抱く抱かれたかったように抱く〉には母性の握力を思う。そして〈機を織る鶴にもなれず飛べもせず〉である。主婦のかがみにも、キャリアウーマンにもなりきれない身、重ねた「ず」が切ない。
“欲言却又止,默默洗碗碟。”描述的应该是身为人妻的忍耐。“儿身日渐长,抱儿似被抱。”写出了母性的臂力。而这首“难成织布鹤,翱翔亦无望。”则写出了那些既无法成为一个完整的家庭主妇也无法成为一个完整职业女性的妇女的心声。这双重的“无法”看了让人心里难过。
昨今は〈機を織る鶴〉の志望者が増えているらしい。夫は外で働き、妻は家を守るという分業を是とする既婚女性は、40代を底に、若くなるほど増える。調査によっては、20代以下で半数に近い。母親世代をしのぐ家回帰といえる。
似乎近来希望成为“织布鹤”的女性多起来了。赞成丈夫在外面工作,妻子在留在家里照料家务这种分工的已婚女性中,40多岁的比例最小,越年轻的反而比例越大。据调查显示,20多岁以下的女性接近半数希望成为专业主妇。可以说是超越了母亲一代的家庭回归。
40代の「均等法第一世代」が男社会の荒野に道をつけたのに、後輩たちにはなぜか、専業主婦への憧れが広がった。この時世、安定志向は当然ながら、男性との競争や就職難に背を向けたかにみえる。
现在40多岁的“男女平等法第一代”的女性们已经在男性社会的荒原上开辟出了一条康庄大道,可为什么其后来者中憧憬成为专业主妇的人反而越来越多呢?看来是如今这个时代,女性在追求安稳的同时,不想与男性竞争及面对就业困难的原因。
むろん現実は厳しい。専業主婦の座を約束してくれる結婚相手はそうそう現れず、「ポケットの無限」はしぼんでいく。仕事も家庭もと頑張ってはみたが、聖子さんにも、百恵さんにもなりきれず、もんもんとする30代、40代は少なくない。
当然现实是残酷的。如今答应婚后让女性专心做家庭主妇的男人越来越少,“口袋的无限”是日渐萎缩。一些人试图事业和家庭两头兼顾,结果既无法成为松田圣子也成不了山口百惠,日子过得闷闷不乐。这样的三、四十岁的女性也不在少数。
それでも、あす成人を祝う世代には、うらやましいほどの時間がある。20代は自分を試し、磨く時だ。家事労働は尊いが、皿洗いも子育ても、二人で繰り合わせる時代である。主婦にせよ主夫にせよ、「専業」は結果であって、目ざすものではない。まずは飛んでみよう。
无论如何,对于明天即将庆祝成人的年轻人来说,他们还是拥有让人艳羡的时间的。20多岁是人做各种尝试、磨练自己的时间。家务劳动也是值得尊重的,不过无论是洗碗碟还是养孩子,这都是一个由男女双方共同合作进行的时代。主妇也好主夫也好,“专业”是结果,不是目标。所以还是先尝试去翱翔吧。 |
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