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本帖最后由 reiuka2 于 2011-4-25 13:30 编辑
防患之心,不可松懈
2011-4-25
「天災は忘れたころにやって来る」。誰もが一度は耳にしたことがあるだろうこの警句は、物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉と伝えられている。寺田は1933年の昭和三陸大津波の直後に「津浪と人間」と題した随筆も残している。
“天灾总在人们将它忘却的时候降临。”这句谁听来都耳熟的警句据说出自物理学家兼随笔作家寺田寅彦之口。寺田还在1933年的昭和三陆大海啸发生后不久,写下了一篇题为《海啸与人类》的随笔。
そこで寺田は「2年、3年、あるいは5年に1回は高波が襲って来るなら津浪はもう天変でも地異でもなくなる」と書いている。ところが、現実は異なる。三陸地方は明治にも大津波で多大な被害を受けた。昭和の津波はその37年後。高台に一度は住居を移した人々は漁に不便だからと、再び低地で暮らしていた。
文章里写道:“如果巨浪每两年三年或五年就来袭一次,那海啸就既不是天变也不是地异了”。然而,事实并不如此。三陆地区在明治时期也曾遭受海啸袭击,损失惨重。昭和海啸发生在明治海啸的37年后。本来已经移居到高地的居民因为觉得打鱼不方便,又回迁到低地居住了。
先日、岩手県釜石市にある唐丹町本郷地区を訪れた。家屋や船などのがれきが一面に広がっていたが、道1本を隔てた高台に移転していた家々はほぼ無事だった。明治、昭和の大津波の経験を少しは生かせたのだろう。家屋を流された低地をみても、今回は避難が早かったために、人的な被害は少なかったそうだ。
前几天,我走访了位于岩手县釜石市的唐丹镇本乡地区。一边是房屋和船只等瓦砾残骸遍地,但只隔一条马路,迁居到高地的人家却几乎毫发无损。这大概是明治、昭和大海啸的经历起了一定作用吧。即使是房屋被冲毁的低地,这次由于避难及时,据说人员的伤亡并不多。
リアス式海岸に近い唐丹町はワカメの収穫と桜並木で有名だ。その桜は昭和の大津波からの復興を祈念して、当時植えられたものだ。一部は塩水につかったが、難を逃れた木々はしっかりと花をつけたそうだ。地震列島で暮らし続けるしか道がない我々だ。寺田の警句を胸に、今度こそ、と思わずにはいられない。
靠近里阿斯式海岸的唐丹镇最出名的是裙带菜的捕捞以及樱花行道树。那些樱花树是昭和大海啸后为了祈求灾后复兴而种植的。这次尽管有部分因为海水浸泡而死亡,但逃过一劫的樱树据说已经是繁花满枝了。我们只有继续生活在这个地震列岛上这一条路可走。今后,让我们得把寺田的警句牢记于心。 |
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