本帖最后由 阿茂 于 2013-8-15 12:09 编辑
明治の落語界の大看板だった三遊亭円朝は「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」などの怪談ものを自作した。幽霊画の収集でも知られ、東京・谷中にある菩提寺(ぼだいじ)の全生庵(ぜんしょうあん)で今月いっぱい、コレクションが公開されている。忌日の11日をはさみ、虫干しも兼ねた夏の恒例だ。
明治时代的单口相声界的领军人物三遊亭圆朝曾创作了“牡丹灯笼”等鬼怪故事。他也以收集幽灵画知名,坐落在东京都谷中那里的菩提寺的全生庵本月一整月展出其收藏品。除了他忌日的8月11日,展览也是兼作晒书的夏季惯例。
うらめしや~の図が多いが、ぞくりとするような美形もいる。薄衣(うすぎぬ)で行灯(あんどん)に浮かぶ姿など、怖いよりも艶(なま)めかしい。夏、とりわけお盆の季節には、あの世とこの世の境目が、どこかおぼろげになる。
有很多冤魂怨鬼咬牙切齿念着“我恨啊——”的画,也有令人战栗的美人画。薄衣在夜灯中浮现的身姿等,恐怖掩盖不住魅惑。夏天,尤其是在盂兰盆的季节,人世与下界的分隔可能会变得模糊。
ところで、幽霊とお化けは、似ているようで違うらしい。お化けはたいてい決まった所に現れて、誰彼なしにおどかす。片や幽霊は、うらむ相手を狙って出る。民俗学の柳田国男が「妖怪談義」で述べている。
可是幽灵与精怪,既相似又不同。精怪通常在固定地方出现,不分对象地吓唬人。相对地幽灵针对怨恨的人。研究民俗学的柳田国男在《妖怪谈义》中如是论述。
さらに、幽霊は丑三(うしみ)つの鐘が鳴るような深夜に登場する。お化けは時刻にこだわらない。不特定の人々に見られて怖がられるためには「夜更けて草木も眠るという暗闇の中へ、出かけてみたところが商売にはならない」と、少しくだけた筆で柳田は説く。
更有说幽灵如三更的钟声般在深夜登场,精怪的出现不定时。让遇到的人们看到并害怕,“他来到万籁俱寂的黑暗中”柳田用略嫌琐碎的笔调写道“出来后看看,最终什么也没干成”。
消夏法という言葉は古びたけれど、お化け屋敷や怪談の人気は根強い。あやしげな面々も逃げだしそうな猛暑だが、お岩さんや、ろくろ首など、各地に出没していよう。ちなみに柳田流で分類するなら、お岩は、お化けではなく幽霊となる。
谈鬼消夏的说法自古有之,人们对谈论鬼屋、志怪的热情长盛不衰。各种各样的怪物也像出逃的酷暑一样,半边美人阿岩、蛇颈女等在各地出没,可是按柳田的分类法,阿岩却不是精怪而是幽灵。
〈怪談が好きで怖くてキャンプの児〉の句が、かつて朝日俳壇にあった。聞きたい。けど怖い。でも聞きたい。ふだんと違う夜の深さ、草木のそよぎの中で、少年少女が一皮むける夏である。
“燃篝火壮胆讲鬼的孩子”的俳句已经被《朝日俳坛》收录。想听鬼故事,可是害怕,但是还要听。非同寻常的夜晚,草木瑟瑟中,是少男少女们的成长之夏。 |