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发表于 2014-5-5 10:42:45
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(我也来胡闹~【这篇倒是从另一个层面教会我“せまってこない”了,书到用时方恨少,脑子里想的是一回事,翻出来的是另一回事,想到的东西找不着词儿真是蛋疼……】)
せまってこない風景
其景无实感
むかしから私は伊勢新九朗と名乗っていた北条早雲の若いころに非常に関心があるんですよ。あの人はどうも伊勢から出てきた、本当の流れ者ですね。室町末期の下克上の先駆をかれがなすわけですが、伝説によれば伊勢から何人かの友人と流れてきて、この中で一国一城の主に早くなった者をいただいて、ほかの者は家来になろうと約束するのです。要するに斉藤道三の先駆的人物ですね。
北条早云旧有伊势新九郎之名,彼时其人尚少,早便感趣。人自伊势出,实乃江湖士。室町末"下克上"先驱者也。据传其携友共出伊势时曾约定,先为国主者,余人皆来服。真可谓开创斋藤道三流之人物也。
かれはやがて小田原村付近で活動しはじめて、伊豆方面を平定していくのですけれども、小田原から伊豆の山河が、たとえはこれを書こうとするとき、どうしてもピンとこないんです。地形とか川の具合とか、この浦にはたれが住んでいたということは土地へいけば調べがつくことで、頭でわかるのですがもうひとつワッとせまってくるものがない。
不久便在小田原村附近活跃,尔后平定伊豆。可小田原至伊豆之景,便能提笔也无从下手。地形山川沿岸住民,固可实地勘之,一些耳熟能详之物却无论如何难有实感。
伊豆は温泉も出て、太陽が明るくて、オリーブの花がキラキラして非常にいいところで、観光地として私も好きなところです。しかしそこから歴史を動かす力が出てきたという雰囲気がどうにも私には感じられない。なんとなくそらぞらしくて、印象が希薄なんです。つまり人間にあぶらぎった、人間の血とか汗とかがこびりついた、そういう生命感みたいなものが伊豆の山を見ていてもなにか薄い感じがするんです。こうれはどういうことなのでしょうか。越後や土佐へいくとせまってくるものがあるのですが――これがよくわからない。
天府伊豆,出温泉日照足,油橄榄花开遍地,明媚非常。或曰名胜自欣然可喜,或曰推动历史则并无此感,总觉虚无缥缈无甚印象。即言之,便望伊豆山,也无人烟气。原因何在?一旦至越后、土佐便又实感了——真可怪也。 |
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