へそは体の中心にある。「六月みそかは年の臍(へそ)」とは、6月30日は1年の真ん中で、今年も半分が過ぎたことをいう。大股で急ぐ歳月に、蝸牛(かたつむり)のスローがうらやましい雨の月の言葉から
肚脐位于人体的中心部位。所谓的六月的最后一天是一年的肚脐是说6月30日是一年的正中间,今年也已经过了一半了。在大步流星、匆匆忙忙的岁月里,六月发出了它羡慕蜗牛的缓慢节奏的声音。
▼サッカーW杯に歓喜あり、涙あり。中米の小国コスタリカに完敗した強豪イタリアのブフォン選手が言った。「彼らを過小評価していた人にとっては、彼らはシンデレラなんだろう。だがサッカーの世界にシンデレラは昔から存在しない」
足球世界杯也是几家欢乐几家愁。完败于中美洲小国哥斯达黎加的传统强队意大利的球员布冯说道:“对低估他们实力的人来说,他们或许是灰姑娘,但是在足球世界中,从未有过灰姑娘的存在。”
▼平和憲法は抜け殻になるのか。政治学者のダグラス?ラミスさん(77)が指摘する。「一連の議論で語られない重要な言葉がある。憲法9条で認めないことにした『交戦権』だ。兵士が戦場で人を殺しても殺人罪に問われないのが交戦権。このことを抜きに集団的自衛権の行使は語れない」
和平宪法会成为一纸躯壳吗。政治学者道格拉斯·拉米斯指出:“在一系列的讨论中有一个重要的概念没有被提及。既是宪法第九条中不被承认的‘交战权’。士兵在战场上杀了人也不会追究其杀人罪谓之交战权。没有交战权还奢谈什么行使集团自卫权。
▼自民党の重鎮だった元衆院議員の加藤紘一さん(75)は「戦後日本の反戦抵抗勢力は岩波でも朝日でもない。やっぱり当時20代で、戦争に行って帰ってきた農家の人たち。その人たちが『絶対戦争はさせない』と」
自民党的重要人物原众议院议员加藤紘一说:“战后日本的反战势力既非岩波书店也非朝日新闻,而是当时20几岁,经过战争洗礼后归来的农家子弟。是他们发出了绝不要战争的声音。”
▼沖縄慰霊の日に地元の高校3年普天間あかりさんは初めて平和の礎(いしじ)を訪れた。どこまでも続く戦没者の名前に「こんなにたくさんの人が亡くなったんだと、実感した」.
在冲绳慰灵日(6月23日)那天,当地的高中3年级学生普天間亜加梨第一次来到了和平基石。在一长串战死者的名单前,切实感受到,“竟有这么多人死于战争。”
▼指揮者の小澤征爾さん(78)が中国公演への意欲をこう語った。「お互いの政治がぎくしゃくしている。人間同士はそんなことあり得ないよ。政治っていうのは変わるけどね、我々人間同士は変わらないもん」。民間交流への厚い信頼である。
指挥家小泽征尔表达了想去中国公演的愿望。他这样说道:“中日间的政治关系很是紧张。同为人类却不可如此。政治是不断变化的,而我们人类是不变的。”表现了他对民间交流充满了信心。 |