咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 448|回复: 1

[其他翻译] 「ダンスダンスダンス」の翻訳(15)

[复制链接]
发表于 2016-3-12 22:18:43 | 显示全部楼层 |阅读模式
3(1)
この巨大な蟻塚のような高度資本主義社会にあっては仕事を見つけるのはさほど困難な作業ではない。その仕事の種類や内容について贅沢さえ言わなければ、ということだ、もちろん。
僕は事務所を持っていたころ編集の仕事にはけっこう関わっていたし、その過程でこまごまとした文章も自分で書いていた。そういう業界の関係の知り合いも何人かはいた。だからフリーのライターとして自分一人ぶんの生活費を稼ぎ出すくらいはまあ簡単なことだった。もともと僕はあまり生活費のかからない人間なのだ。
僕は昔の手帳をひっぱりだして何人かに電話をかけてみた。そして率直に、何か僕にできる仕事はないだろうかと聞いてみた。事情があってしばらくぶらぶらしてたんだけれど、できたらまた仕事をしたいんだと僕は言った。彼らはすぐにいくつか仕事をまわしてくれた。たいした仕事ではない。大体はPR誌や企業パンフレットの穴埋め記事の仕事だった。ごく控え目に言って、僕の書かされた原稿の半分はまったく無意味で、誰の役にも立ちそうもない代物だった。パルプとインクの無駄遣い。でも僕は何も考えずに、殆ど機械的にきちんきちんと仕事をかたづけていった。最初のうちは仕事量は大したものではなかった。一日に二時間ほど仕事をして、あとは散歩したり、映画を見にいったりしていた。ずいぶん沢山の映画を見た。三カ月ほどそんな調子で僕はのんびりとやっていた。何はともあれとにかく少しは社会と関わっているのだと思うと僕はほっとした気持ちになれた。
僕のまわりの状況が変化を見せ始めたのは秋に入って間もなくだった。仕事の依頼が突然激増したのだ。僕の部屋の電話はひっきりなしに鳴り、郵便物の量も増えた。僕は仕事の打ち合わせで沢山の人間に会い、一緒に食事をした。彼らは僕に親切にしてくれたし、これから先もどんどん仕事を回すからと言ってくれた。
理由は簡単だった。僕は仕事のよりごのみをしなかったし、まわってくる仕事は片っ端から引受けた。期限前にちゃんと仕上げたし、何があっても文句を言わず、字もきれいだった。仕事だって丁寧だった。他の連中が手を抜くところを真面目にやったし、ギャラが安くても嫌な顔ひとつしなかった。午前二時半に電話がかかってきてどうしても六時までに四百字詰め二十枚書いてくれ(アナログ式時計の長所について、あるいは四十代女性の魅力について、あるいはへルシンキの街――もちろん行ったことはない――の美しさについて)と言われれ、ちゃんと五時半には仕上げた。書き直せと言われれば六時までに書き直した。評判が良くなって当然だった。
雪かきと同じだった。
雪が降れば僕はそれを効率良く道端に退かせた。
一片の野心もなければ、一片の希望もなかった。来るものを片っ端からどんどんシステマティックに片付けていくだけのことだ。正直に言ってこれは人生の無駄遣いじゃないかと思うこともないではなかった。でもパルプとインクがこれだけ無駄遣いされているのだから、僕の人生が無駄遣いされたとしても文句を言える筋合いではないだろう、というのが僕の到達した結論だった。我々は高度資本主義社会に生きているのだ。そこでは無駄遣いが最大の美徳なのだ。政治家はそれを内需の洗練化と呼ぶ。僕はそれを無意味な無駄遣いと呼ぶ。考え方の違いだ。でもたとえ考え方に相違があるにせよ、それがとにかく我々の生きている社会なのだ。それが気にいらなければ、バングラディッシュかスーダンに行くしかない。


  在这个像巨大蚂蚁窝的高度资本主义社会,找个工作并不那么难。当然对工作的种类或具体内容不要那么过于挑剔。
  在经营事务所的时候,我正好和编辑工作有关,在那个过程中自己也写过那些零碎的文章。在那个业界有关系的认识的也有几位。所以做一个自由撰稿人挣自己的生活费那是很简单的事了。再说本性的我是一位并不怎么需要生活费的人。
我打开陈旧的笔记本向几个人打了电话。而且很直接地寻问有没有我自己可做的工作。我说,因为有事闲呆了一段时间,现在还是想找点自己能干的事。他们很快就给找了几件工作,并不是什么很重要的工作。大概就是PR杂誌或企业小册编辑记事工作。非常保守地说,我所写的原稿的一半完全没有意义,对谁也没有什么意义。是在浪费纸浆和墨水。可是我什么也不多想,而是几乎机械式地拼命地做好每一件工作。最开始其工作量也并不那么多。在一天之内也只工作两小时,做完之后就去散步或者去看电影。看了相当多的电影。在三个月中在那种状态下我开始悠闲起来。暂不多说总之多少融入了社会,这样一想我的心情也就放松了下来。
我能察觉到周围状况变化,是在刚刚进入到秋天。工作的依賴突然激增。我办公室的电话也接连不断地响起来,邮寄物品的量也在增加。因为工作协商要见的人很多,还一起吃饭。他们对我都很亲切,还说将来会有很多工作转给我。
  理由很简单。我除工作之外也没什么喜爱,把周围的工作一个一个吸引过来。在要求期限之前都能顺利完成,别管什么事也不说怨言,字也漂亮起来。工作也认真起来。其他同事偷工的地方也认真做好,即使加班费再低也满面笑容。在凌晨两点半来电话说一定要在六点钟前写出每张四百字共二十张(就像模拟式时针的长处,或者说四十岁女性的魅力,或者へルシンキ街道的——当然还未曾去过——美丽)的文章,那肯定会在五点半之前完成。若是让重抄的话也在六点写好。给予好评那是当然的了。
  就像铲雪一样。
  如果下了雪,我就高效率地把雪铲到路边。
  一点野心也没有,当然一点希望也没有。把从各方来的东西很系统地整理好。老实地说,这不是人生的浪费吗?也并不是没有这样想。可是纸浆和墨水在被浪费中,即使我自己的人生被浪费,也没有说怨言的理由。这是我所要得出的结论。因为我们生活在高度资本主义社会。在那里浪费那是最大的美德。政治家把那称作扩大内需。我把那称作无意义的浪费。思考方法不一样。假如思考方法有所不同,其根源就是我们所生活的社会。若是对它不称心地话,那就只能去孟加拉和苏丹了。
回复

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2016-3-12 22:19:31 | 显示全部楼层
主人公专心工作,融入了社会,开始和社会人打交道了。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2024-5-14 08:38

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表