咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 1649|回复: 14

[天声人语] 天声人语(6,23)

[复制链接]
发表于 2006-6-23 07:35:20 | 显示全部楼层 |阅读模式
 道ばたに、一鉢のあじさいが置かれている。どんよりとした空の下、控えめに、ほの青くたたずんでいる。ぬれているようないないようなぼんやりとしたところも、この季節によく似合う。\   一盆紫阳花置放于路旁。淡蓝的花儿轻伫在阴霾的天空下。欲湿未湿的朦胧美亦很适合这一季节。  〈ともしびの下あじさいの花は散り木の間の闇に靄(もや)はひろがる〉。21日に93歳で亡くなった近藤芳美さんが、50年前に詠んだ。   21日,于93岁高龄去世的近藤芳美女士在50年前吟咏道:“灯火交辉夜/紫阳花片片凋零/丛木间的黑暗中/雾霭缭绕。”  その前年に朝日歌壇の選者となり、ほぼ半世紀にわたって務めた。74年に出版した『無名者の歌』(新塔社)は、朝日歌壇の歌から抜粋して編んだ。「無数の作品にうたいこめられているうつうつとした声と思いとを全身に聞きながらこの作業をつづけていった」。歌が織りなす「戦後史」を目指した。   近藤女士在作这首诗的前一年,成为了朝日诗坛的一名评选人。她辛劳工作近半个世纪。74出版的《无名者之歌》(新塔社)是从朝日诗坛的和歌中挑选优秀作品编集而成的。“我用心聆听着无数作品中包含的郁抑之声与心情,继续着这一工作。”她的目标是用诗歌编纂成一本“战后史”。  太平洋戦争の開戦のころ、一病兵として大陸前線から生還した体験を持つ近藤さんは、歴史と人間を見つめ続けた。〈寂しき日本よと思うことあれど息づく如く平和なる今日〉。新春の新聞の「新年詠」には「必ず『平和』への思いを歌うことを心に決めていた」(『歌い来しかた』岩波新書)。   太平洋战争开战之际,近藤女士体验过作为一名伤员从大陆前线生还的经历,她一直关注着历史和人类。“正因为想起/孤寂的日本/才会长吁短叹般/歌颂平和的今天”新春报纸上的《新年咏》中写道“我决心一定要歌颂对‘和平’的向往”。(《诗歌的过去》岩波新书)  イラク戦争を憂慮しつつ述べた。「わたしたちにとって戦争が何かという問いは、人間にとり戦争とは何かという問いになり、その問いを逃れてわたしたちの生きる世界はないのであろう」(『短歌と人生 語録』砂子屋書房)。   近藤女士担扰着伊拉克战争,她说:“对我们来说战争为何物,这一问题已发展成了对人类来说战争为何物。若要逃避这一问题,我们生活的世界也将会不复存在吧。”(《短歌与人生 语录》砂子屋书房)  こうした時代への直視の底に、豊かな叙情性が流れていた。〈たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき〉。言葉から香気がたちのぼり、音が響き始める。その若き日の調べは、人生の最終楽章でも鳴り響いていただろう。   近藤女士直视这一时代的内心中,也极富抒情性。“转瞬间/你的身影/融入茫茫雾霭中/我想/那真像一曲乐章啊。”文字中馨香氲氤,音乐业已奏响。想必是她年轻时代的演奏,鸣响了人生最后的乐章罢。
回复

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 10:57:41 | 显示全部楼层
引用第0楼asfog2006-06-23 07:35发表的“天声人语(6,23)”:  道ばたに、一悚韦ⅳ袱丹い盲欷皮い搿¥嗓螭瑜辘趣筏靠栅蜗隆⒖丐à幛恕ⅳ郅吻啶郡郡氦螭扦い搿¥踏欷皮い毪瑜Δ胜い胜い瑜Δ胜埭螭浃辘趣筏郡趣长恧狻ⅳ长渭竟潳摔瑜坪悉Α?   一盆紫阳花置放于路旁。淡蓝的花儿轻伫在阴霾的天空下。欲湿未湿的朦胧美亦很适合这一季节。  〈ともしびの下あじさいの花は散り木の間の闇に欤à猡洌─悉窑恧搿怠#玻比栅耍梗硽rで亡くなった近藤芳美さんが、50年前に詠んだ。   21日?3岁高龄去世的近藤芳美女士在50年前吟咏道:“灯火交辉夜/紫阳花片片凋零/丛木间的黑暗中/雾霭缭绕。”.......
别的不敢说, 但是这诗人是男的...........
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 11:02:34 | 显示全部楼层
诗难懂,诗人也难懂......我逃.........
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2006-6-23 11:44:25 | 显示全部楼层
引用第1楼oicu20052006-06-23 10:57发表的“”: 别的不敢说, 但是这诗人是男的...........
……男的?…… 为什么一个大男人要叫“芳美”啊?晕…… 只查到这个: 近藤芳美 (こんどうよしみ) (1913― )歌人。朝鮮、馬山浦の生まれ。東京工業大学建築科卒業。中村憲吉、土屋文明に師事。第二次世界大戦後「新歌人集団」を結成し、戦後派のリーダーとして活躍。1951年(昭和26)に雑誌『未来』を創刊する。歌集に『早春歌』(1948)、『埃{ほこり}吹く街』(1948)、『喚声{かんせい}』(1960)、『黒豹{くろひよう}』(1968)などがある。一兵士としての戦争体験と、知識人の良心を核に、時代の証人として、歴史や現実の動きに鋭い視線を注いでいる。『朝日新聞歌壇』選者、現代歌人協会理事を務める。   <菱川善夫0  いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ 【本】『定本近藤芳美歌集』(1978・短歌新聞社) ▽田井安曇著『短歌シリーズ人と作品20 近藤芳美』(1980・桜楓社) ▽岡井隆著『近藤芳美と戦後世界』(1981・蒼土舎) 实在查不出他是男是女@_@
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2006-6-23 11:49:31 | 显示全部楼层
晕看到这么一段,肯定他是男的了…… 51年に歌誌「未来」を創刊し、編集発行人を務め、岡井隆氏とともに多くの若手歌人を育成。現代歌人協会の設立にかかわり長年理事長を務め、現代歌壇をリードした。98年、文化功労者。妻のとし子さんも歌人として知られ、妻への愛を歌った清純な作品は晩年も変わらず、多くの読者を魅了した。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 12:09:02 | 显示全部楼层
日本似乎还有个首相一类的很大的官儿叫什么正芳的. 所以日本人的名字不能用中国字的意思去理解.............
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 12:22:10 | 显示全部楼层
道ばたに、一鉢のあじさいが置かれている。どんよりとした空の下、控えめに、\ ほの青くたたずんでいる。ぬれているようないないようなぼんやりとしたところも、 この季節によく似合う。 路的旁边放着一盆八仙花。在阴沉沉的天空下, 驻立着那么一点点的绿。 隐隐约约的好像有点湿湿的,却很和这个季节.
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 12:24:46 | 显示全部楼层
不好意思,没看到楼主的翻译,范傻了,失敬失敬。。。。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 12:59:32 | 显示全部楼层
引用第5楼oicu20052006-06-23 12:09发表的“”: 日本似乎还有个首相一类的很大的官儿叫什么正芳的. 所以日本人的名字不能用中国字的意思去理解.............
是大平正芳
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 13:15:16 | 显示全部楼层
那诗歌真难懂啊。 道ばたに、一鉢のあじさいが置かれている。どんよりとした空の下、控えめに、ほの青くたたずんでいる。ぬれているようないないようなぼんやりとしたところも、この季節によく似合う。\ 路边放着一盆绣球花。在阴沉沉的天空下,静静地伫立,泛着微微的蓝色,毫不张扬。那将湿未湿、朦朦胧胧的姿态,与这个季节非常协调。   〈ともしびの下あじさいの花は散り木の間の闇に靄(もや)はひろがる〉。21日に93歳で亡くなった近藤芳美さんが、50年前に詠んだ。 (闪烁的灯光下,绣球凋谢;幽暗的树林中,雾霭弥漫)。这是21日去世的93岁的近藤芳美先生50年前吟咏的诗句。    (その前年に朝日歌壇の選者となり、ほぼ半世紀にわたって務めた。74年に出版した『無名者の歌』(新塔社)は、朝日歌壇の歌から抜粋して編んだ。「無数の作品にうたいこめられているうつうつとした声と思いとを全身に聞きながらこの作業をつづけていった」。歌が織りなす「戦後史」を目指した。 在那前一年,近藤先生当了朝日歌坛的选稿人,一直做了将近半个世纪。74年出版的《无名者之歌》(新塔社),便是精选了朝日歌坛的诗歌编撰而成的。“一路走来,我一直以我的整个身心倾听,听那倾注于无数作品中的忧郁的心声”。 近藤先生的目标是用诗编织一部“战后史”。   太平洋戦争の開戦のころ、一病兵として大陸前線から生還した体験を持つ近藤さんは、歴史と人間を見つめ続けた。〈〈寂しき日本よと思うことあれど息づく如く平和なる今日〉。新春の新聞の「新年詠」には 「必ず『平和』への思いを歌うことを心に決めていた」(『歌い来しかた』岩波新書)。 太平洋战争开战时,近藤先生因受伤而从大陆前线生还。拥有这份经历的近藤先生,一直深切地关注着历史和人类。〈既悲叹日本之孤寂,亦感念今日之和平。〉在新春新闻“新年咏”中,近藤表示“我下决心一定要将我对和平的渴望写进我的诗歌中” (『歌い来しかた』岩波新書)    イラク戦争を憂慮しつつ述べた。「わたしたちにとって戦争が何かという問いは、人間にとり戦争とは何かという問いになり、その問いを逃れてわたしたちの生きる世界はないのであろう」(『短歌と人生 語録』砂子屋書房)。 对伊拉克战争,近藤先生一直抱着深深的忧虑。“战争是什么,实际上这个问题应该是,对人来来说,战争意味着什么。我们生活在这个世界上,就无法回避这个问题。”(『短歌と人生 語録』砂子屋書房)。    こうした時代への直視の底に、豊かな叙情性が流れていた。〈たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき〉。言葉から香気がたちのぼり、音が響き始める。その若き日の調べは、人生の最終楽章でも鳴り響いていただろう。 近藤的诗歌直视时代灵魂的最深处,又极抒情。(看着你的身影在雾霭中倏然消失,我的脑海中轻轻回荡起某个乐章)。诗句中飘溢出清香,音乐在耳畔回荡。对年轻时代的追寻,一定也在他人生的最后乐章中发出了回响吧。 
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 16:05:20 | 显示全部楼层
修正: こうした時代への直視の底に、豊かな叙情性が流れていた。〈たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき〉。言葉から香気がたちのぼり、音が響き始める。その若き日の調べは、人生の最終楽章でも鳴り響いていただろう。 近藤的诗歌直视时代灵魂,又极抒情。(看着你的身影在雾霭中倏然消失,我的脑海中轻轻回荡起某个乐章)。诗句中飘溢出清香,音乐在耳畔回荡。那年轻时代回荡心间的乐曲,一定也在他人生的最后乐章中发出了回响吧。 
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 16:45:57 | 显示全部楼层
今天的翻着翻着,有点想去撞墙
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 23:08:27 | 显示全部楼层
 戦後短歌を代表する歌人で文化功労者、前中国歌壇選者の近藤芳美(こんどう・よしみ、本名芽美=よしみ)さんが二十一日午前十時一分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。九十三歳。旧朝鮮慶尚南道生まれ。葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、主宰していた未来短歌会が「近藤芳美をしのぶ会」を開く予定。喪主は歌人の妻とし子(としこ)さん。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-23 23:13:00 | 显示全部楼层
9楼得翻的比较好。看起来也方便。 谢谢!
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-6-25 14:17:26 | 显示全部楼层
近藤芳美逝世(天声人语060623) 道ばたに、一鉢(ひとはち)のあじさいが置かれている。どんよりとした空の下、控えめに、ほの青くたたずんでいる。ぬれているようないないようなぼんやりとしたところも、この季節によく似合う。 路边放着一盆绣球花。微蓝的花朵,不失矜持地盈盈佇立在阴沉沉的天空下。那似湿非湿的朦胧处,也与眼下的季节非常贴切。  〈ともしびの下あじさいの花は散り木の間の闇に靄(もや)はひろがる〉。21日に93歳で亡くなった近藤芳美さんが、50年前に詠んだ。 “灯下的绣球花/花谢零落/林间的暮霭/静静弥漫”。这是21日以93岁高龄去世的近藤芳美先生在50年前所吟咏的诗歌。  その前年に朝日歌壇の選者となり、ほぼ半世紀にわたって務めた。74年に出版した『無名者の歌』(新塔社)は、朝日歌壇の歌から抜粋して編んだ。「無数の作品にうたいこめられているうつうつとした声と思いとを全身に聞きながらこの作業をつづけていった」。歌が織りなす「戦後史」を目指した。   在吟此诗的前一年,他当上了朝日诗坛评委,一干就是近半个世纪。1974出版的《无名者的诗》(新塔社)便是由朝日诗坛所刊的诗歌中精选汇编而成的。“我是全身心地谛听着那无数的作品中所蕴涵着的郁郁低徊之心声,来坚持这一工作的。”他要用诗歌来编织一部战后史。  太平洋戦争の開戦のころ、一病兵として大陸前線から生還した体験を持つ近藤さんは、歴史と人間を見つめ続けた。〈寂しき日本よと思うことあれど息づく如く平和なる今日〉。新春の新聞の「新年詠」には「必ず『平和』への思いを歌うことを心に決めていた」(『歌(うた)い来(こ)しかた』岩波新書)。   太平洋战争开战之际,他以一病卒之躯大陆前线得以生还,之后近藤先生据此体验关注着历史和人类。“时而觉得/日本真孤寂/今日的和平/如同喘息”每逢新春报纸上的《新年咏》,“我就一定吟出自己对‘和平’的感想”。(《诗歌历程》岩波新书)  イラク戦争を憂慮(ゆうりょ)しつつ述べた。「わたしたちにとって戦争が何かという問いは、人間にとり戦争とは何かという問いになり、その問いを逃れてわたしたちの生きる世界はないのであろう」(『短歌と人生 語録』砂子屋書房)。 对于伊拉克战争他也满怀忧虑地叙述道:“对我们来说战争是什么这样的问题,便是战争对人类而言是什么的问题,能逃避这一问题而又能生存的世界恐怕是没有的吧”(《短歌与人生 语录》砂子屋书房)。  こうした時代への直視(ちょくし)の底に、豊かな叙情性が流れていた。〈たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章(がくしょう)をわれは思ひき〉。言葉から香気(こうき)がたちのぼり、音が響き始める。その若き日の調べは、人生の最終楽章でも鳴り響いていただろう。 在如此正视时代的同时,其内心却流淌着丰富浪漫的抒情。“你的身影/转瞬间隐入雾中/有一个乐章/在我心头响起”文字中芬芳馥郁,词句间妙音陡起。这种年轻时的旋律,想必也同样奏响在他人生最终的乐章里吧。 相关链接: 近藤芳美氏が死去 歌人、文化功労者  戦後の代表的歌人で文化功労者の近藤芳美(本名芽美)氏が21日午前10時1分、心不全のため東京都世田谷区の至誠会第二病院で死去した。93歳。旧朝鮮生まれ。葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみの密葬で行う。喪主は歌人の妻とし子さん。後日、未来短歌会の主催で「近藤芳美をしのぶ会」を開く予定。  東京工大卒。旧制広島高校時代に「アララギ」に入り中村憲吉、土屋文明に師事した。1947年「新歌人集団」を結成。51年に歌誌「未来」を創刊した。  代表歌に「たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき」「50年ついに国是とし戦わず人間の歴史に静かに思え」など。 (共同通信社)
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2025-8-24 01:48

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表