世にいう、南画即ち南宗画と北画即ちについて、私の狭い見聞でも、こういうことを知っている。北画の始祖といわれている李思訓の描線の特色は、筆格廼勁という一語で尽きる。彼の好んではいた大小斧劈の手法をみると、如何にも、鋼鐵のような強靭さを覚える。それに比べると、南画の始祖、王維の墨線は(古遊系描法)ととなえられ、いわゆる筆意清潤である。この人は、菜食して肉をとらなかったと伝えられるだけに、その絵にもなくまで物柔な清静な風格があらわれている。董其昌が彼のことを墨皇といったのもまら過褒ではない。ある人の書いたのをみると、それは支那大陸が、北方黄河の流域と南方揚子江の流域と自ら風光を異にしている所から自然差別を生じたのだと言っている。支那大陸を永い事跋渉した某氏の話にも、南北画の相違は南北自然の特色から生じているという事をきいた。要約すると、南画は理想派にして、軽快、柔軟、優美即ち静的であり、北画はこれに反し、現実派にして剛直、荘重、壮美即ち動的である、今これを拳法に於ける南北派にあてはめてみると、全く符節を合わせたようなところに考えさせられるものがあると思う。
连我这个孤陋寡闻的人都知道世间有南画即南国画和北画的存在,被认为是北画的始祖李思训读的描线的特色,可以用一句话概括为用笔风格乃是一流。观察他喜欢用的大小斧子劈的手法的话,果然象钢铁一样的坚韧 。倘若与此比的话,南宗国画的始祖--王维的墨线被称为(古游系描法),是所谓笔意清润。正因为赞扬这个素食者,倒为那个画儿也懊悔有不清静的风格呈现。董其昌说他不是为了得到墨皇的过奖而写了那人,说看了那人写的话,那个是记有从支那大陆,与北方的黄河流域和南方的扬子江流域有着不同风光的地方而自然地产生了差异。听了那人长久的跋山涉水的一番话之后,南北画之间的差异也正是因为南北自然的特殊性而发生支那大陸的事。在理想派做概括地说,南国画,轻快,并且柔和性,优美就是静,与此相反的北国画,是现实派,直接,庄重,壮美为动态。当现在把这个应用于拳术的南北派好象把符節全然合起来了的地方我认为是应该将其考虑的时候了.
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