|
发表于 2006-8-31 16:57:35
|
显示全部楼层
首次翻译,错漏大概很多,请多指教……
2016年の8月12日、2度目の東京オリンピックの幕が開いた——。となるかどうかは、まだまったく分からない。開催都市が最終的に決まるのは09年だ。しかし日本の候補地は、東京と決まった。
2016年8月12日,奥林匹克的圣火第二次在东京点燃——能是不能,现在仍然不知道。到2009年,举办都市才能最后决定。不过日本的候选地,已经决定是东京了。
1964年の五輪から42年、人の半生にもあたる時が流れた。それでも、沸き返るような熱気と感動的な場面の数々は今も鮮やかによみがえってくる。五輪の開催そのものが、敗戦から再生して世界の舞台に復帰する証しのようだった。
从1964年五环旗在日本升起以来已有42年,差不多过了一个人的半生了。虽然如此,那无数令人沸腾的热情和令人感动的场面又再次鲜明的浮现出来。奥运会的举行,仿佛是日本从战败中崛起,回归世界舞台的最好证明。
あの時、東京は激変した。道路が町を削り、道の上に道が造られ、川は埋め立てられて道になった。その変容を悲しむ視線もいくらかはあったが、戦後を克服する五輪という旗印を掲げた大波にのまれた。しかし今、当時のような多くの国民を束ねる強い旗印があるとは思えない。
那个时候,东京发生了巨大的变化。马路吞掉了城市之后,在马路之上又造了马路,甚至把河流都填了,也造了路。这种变化,虽说也有不少人用一种悲哀的眼光看着,但最终还是被吞没在举『克服战后困难,挂起奥运五环』大旗的大流中。不过,我认为像那种吸引和统帅那么多人民的那面大旗,现在已经不复存在了。
都は「アジアで初めてとなる2回目の五輪」を掲げるが、どれほどの意味があるのか。もし五輪を新しい改造のきっかけにするのなら、前の五輪の功罪を見つめることが肝要だ。
首都提出的『亚洲绝无仅有 一城两次奥运』,到底多少意义在里面呢?如果说把奥运会变成新一轮改造的开端的话,那么看出上次奥运会的功过就很重要。
あの大改造の中で、日本橋は高速道路にふたをされてしまった。その日本橋の空を取り戻そうという動きがある。大金をかけてふたをし、今度は膨大な資金を使ってふたを外すという。高速道が覆っているのは、果たして橋だけだろうか。人間も、ではないか。あの時代の「改造パニック」そのものを省みる必要がある。
在那次大改造中,日本桥(东京中央区的一座桥)盖上个高速公路这个大盖子。现在又有人说要恢复日本桥的天空。花了很多钱盖上盖,到现在据说又要很多资金来把盖弄走。铺上高速公路的桥无可计数。人类,不是么,也应该为那个时代的『改造大恐慌』而反躬自省的吧。
福岡が東京に敗れたとは思わない。この国の多くの市がミニ東京化する中、この街は独自の魅力的な「都市の肖像」を備えている。それを磨くのに、必ずしも五輪は要らない。
我不认为福冈不如东京。这个国家里很多城市都在变成迷你的东京,可是这个城市却仍然保持着它拥有独自魅力的『都市的肖像』。如果说把那个也要磨平,那么奥运会不开也罢了。 |
|