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ダンス・ダンス・ダンス10- s! m2 R5 X% e* r! ~
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それは恐ろしいほどの完璧な暗闇だった。
. n+ ]2 M4 D" J, @ 何ひとつとして形のあるものを識別することができないのだ。自分自身の体さえ見えないのだ。そこに何かがあるという気配さえかんじられないのだ。そこにあるものは黒色の虚無だけだ。
' J' X3 i/ z4 B6 c( U* ~ そんな真の暗闇の中では自分の存在が純粋に観念的なものに思えてくる。肉体が闇の中に溶解し、実体を持たない僕という観念がエクトプラズムのように空中に浮かびあがってくる。僕は肉体から解放されているが、新しい行き場所を与えられてはいない。僕はその虚無の宇宙を彷徨っている。悪夢と現実の奇妙な境界線を。& A3 y! ]+ e5 `' _
僕はしばらくそこにじっと立ちすくんでいた。体を動かそうにも、手足は麻痺したように本来の感覚を失っていた。まるで深海の底におしこまれたみたいだった。濃密な闇が僕に奇妙な圧力を加えていた。沈黙が僕の鼓膜を圧迫していた。僕はなんとか少しでも暗闇に目を馴らそうとした。でも無駄だった。時間が経てば目が馴れるというような生半可な暗闇ではないのだ。完全な暗闇だった。黒色の絵具を幾重にも幾重にも塗り重ねたような深く隙のない闇だった。僕はポケットを無意識に探ってみた。右のポケットの中には財布とキイ・ホルダーが入っていた。左の方には部屋のカード・キイとハンカチといくらかの小銭。でもそんなものは闇の中では何の役にも立たない。僕は煙草をやめたことを初めて後悔した。煙草をやめていなければ、そこにはライターなりマッチなりがあったはずなのだ。でも今そんなことを悔やんでも仕方無い。僕はボケプトから手を出し、壁のありそうな方に伸ばしてみた。闇の奥に僕は固い縦の平面を感じた。壁がそこにあった。壁はつるりとして冷やかだった。ドルフィン・ホテルの壁にしては冷たすぎる。ドルフィン・ホテルの壁はこんなに冷たくない。エアコンがいつも穏やかな温度に空気を保っているからだ。落ち着いてゆっくりと考えよう、と僕は自分に言い聞かせた。# e0 F9 r" k3 J9 e
落ち着いて考えるんだ。0 Q4 M; Z5 v5 X/ u
まずだいいちにこれはあの女の子が遭遇したのとまったく同じ事態なのだ。僕はそれをなぞっているだけなのだ。だから脅えることはないのだ。彼女だって一人でちゃんとこの状況を切り抜けたのだ。もちろん僕にだってできる。できないわけはないのだ。だから落ち着くんだ。彼女がやったのとまったく同じように行動すればいいのだ。このホテルには何かしら奇妙なものが潜んでいるし、それはおそらく僕自身にも関わっていることなのだ。このホテルは間違いなくどこかであのいるかホテルと繋がっているのだ。だからこそ僕はここに来たのだ。そうだろう?そうだ。彼女と同じように行動し、そして彼女が見なかったものを見届けなくてはいけないのだ。1 r9 P! \$ d& Q0 J9 ~0 V
怖いか?
+ b- X! B* T, ?. r' b& A6 s3 ~ 怖い。
- A" ?2 v" j9 R3 E やれやれ、と僕は思った。冗談抜きで怖いのだ。丸裸にされたような気がする。嫌な気分だ。深い暗黒は暴力の粒子を僕のまわりに漂わせている。そして僕はそれがうみへびのように音もなくするすると近寄ってくるのを見ることさえできないのだ。救いようのない無力感が僕を支配している。体中の毛穴という毛穴が直に暗闇に曝されているような気がする。シャッが冷たい汗でぐっしょりと濡れている。喉がからからになる。唾を飲み込むのにすごく骨が折れる。- d8 N# c! M( ?( a6 b8 E
ここはいったい何処なんだろう?ドルフィン・ホテルではない。絶対に違う。それだけは間違いない。ここはどこか違う場所なんだ。僕は何かを踏み越えて、この奇妙な場所に入り込んでしまったのだ。僕は目を閉じて大きく何度か深呼吸した。
5 C& y6 f# h. E9 X. q5 F. a 馬鹿みたいな話だけれど、ポール・モーリア・グランド・オーケストラの『恋は水色』が聴きたかった。今あのBGM音楽が聞こえたらどんなに幸せなことだろうと思った。どんなに元気づけられることだろう。リチャード・クレーダーマンだっていい。今なら我慢できる。ロス・インディオス・タバハラスだって、ホセ・フェリシアーノだって、フリオ・イグレシアスだって、セルジオ・メンデスだって、パートリッジ・ファミリーだって、1910フルーツ・ガム・カンパニーだって、なんだっていい。なんだって今なら我慢する。なんでもいから音楽が聴きたかった。あまりにも静かすぎるのだ。ミッチ・ミラー合唱団だって我慢する、アンディー・ウィリアムズとアル・マルティーノがデュェットで唄っても我慢する。% p$ `0 P' }+ X5 I2 h
もうよせ、と僕は思った。下らないことを考えすぎる。でも何か考えないわけにはない。何でもいいのだ。頭の中の空白を何かで埋めてしまいたいのだ。恐怖のせいだ。空白の中 に恐怖が忍び込んでくるのだ。
, _; s+ e1 @# z2 z3 q 焚き火のまえでタンバリンを叩いて『ビリージーン』を踊るマイケルジャクソン。らくだたちでさえうっとりとそれに聴きほれている。
8 `) T9 x) Q9 q) l2 _3 O# K 頭が少し混乱している。- C# _! y, `7 ?! ]& `8 m
アタマガスコシコンランシテイル。& L- D. m- t$ r2 s' ~' s5 y
僕の思考が暗闇の中で軽くこだまする。思考がこだまするのだ。
) h% `, J* p8 @6 ^& Q 僕はもう一度深呼吸して、頭から無意味なイメージを放逐する。いつまでもこんなことを続けているわけにはいかない。行動に移らなくてはならない。そうだろう?そのために僕はここに来たんじゃないか?
& F8 h7 s% ?, f8 t! a 僕は腹をきめて、暗闇の中を手探りでゆっくりと右に向けて歩き始めた。でもまだ足が上手く動かない。自分の足じゃないような気がする。筋肉と神経が上手く連動していないのだ。僕は足を動かしているつもりなのだが、実際には足は動いていない。暗黒の水のような暗闇が僕をすっぽりと包んで逃がさない。どこまでもどこまでもその暗闇は続いている。地球の芯まで。僕は地球の芯に向かって進んでいるのだ。そしてそこに行くと、もう二度と地上にもどりつくことはできないのだ。何か別のことを考えよう、と僕は思った。何か考えないことには恐怖がどんどん体を支配していく。映画の筋の続きを考えよう。何処まで話が進んだんだっけ?羊男の出てくるところまで。でも砂漠のシーンは今のところはそれで終わり。画面はまたファラオの宮殿に戻る。きらびやかな宮殿。アフリカ中の富がそこに集められている。ヌビア人の奴隷がそこらじゅうにかしこまっている。その真中にファラオがいる。ミクロス・ローザみたいな音楽が流れている。ファラオは明らかに苛立っている。「エジプトで何かが腐っている」と彼は思う。「それもこの宮殿で、何か間違ったことが進行している。私はそれをはっきりと感じる。それを正さねばならない」0 \$ Z6 }5 ~2 ]7 P
僕は一歩一歩注意深く足を前に出す。そして思う。あの女の子によくこんなことが出来たものだと、僕はまったく感心してしまう。わけのわからない真っ暗闇に突然放り込まれ、その闇の奥に何があるか一人で確かめに行くなんて。僕でさえーーこういう異空間的な闇が存在するという話を前もって聞かされていた僕でさえーーこれほど脅えているというのに。もし何の予告もなくこの闇の中に一人で放り出されていたら、僕は前に進もうなんていう気にはまずなれなかっただろう。きっと僕はエレベーターの前に立ちすくんでじっとしていたことだろう。
: N; O( K# C) y, ~; C2 T 僕は彼女のことを考えた。彼女が競泳用の黒いつるりとした水着を着て、スイミング・スクールで泳ぎを習っているところを想像した。そしてそこにも映画俳優をやっている僕のかっての同級生がいた。そして彼女も彼に失神するくらい憧れていた。彼がクロールの右手の伸ばし方について注意すると、彼女はうっとりとした目で僕の友達を見た。そして彼女は夜になると彼のベッドにもぐりこんでいった。僕は悲しかった。傷つきさえした。そんなことしちゃいけない、と僕は思った。君には何もわかっちゃいないんだ。彼は感じが良くて親切なだけなんだ。彼は君にやさしい言葉をかけて、君をいかせてくれるかもしれない。でもそれはただ親切なだけなんだよ。それはただ単なる前戯の問題なんだよ。 |
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