牙齿与文明
人类真的比别的动物幸福吗?
恐怕倒是动物比较幸福吧。
我小时候,特不愿意上学,因此,已不知这样想过多少次了。譬如说,鳄鱼不上学也还是鳄鱼,看来只有人是非上学不可的。
不过,我打小就饱受牙痛之苦。
牙痛时,我就会突然想到:鳄鱼的社会里是没有牙医的,还是做人的好。人类社会里有所谓文明者,文明里包含着牙医。
直到近代以前,牙齿还是寿命的信号。汉字的“齿”字兼有年龄的意思,也说明了这一点。
说到牙齿,古人肯定是深受其苦的。
在清少纳言所著《枕草子》的第四十五节中,讲了一个老大不小的“无齿美女”,嫁了个年轻的丈夫,还怀了身孕(根据萩谷朴教授的推测)的故事。
因怀孕该女子想吃酸东西,于是噘起嘴来吃梅子。“食梅呼酸,花容色变”,《枕草子》里的描写有点不怀好意,最后撂下一句“白活了一大把年纪”,就扔下她不管了。
写下该故事的清少纳言小姐,大概风华正茂,傲气逼人吧。
可是,文中的女子既然怀孕,大概也只有三十多岁吧,这要在现在,还年轻得很呢。可在当时,通常到这个年龄就掉了牙齿,也就被人当老女人看待了。
平安时代(注:794~1185。清少纳言就是平安时代的著名女作家)产生了非凡的审美情趣,可在牙齿问题上却与鳄鱼或骆驼的世界一般无二。
室町(注:1338年-1573年)文化和江户文化也都灿烂辉煌,可我们再怎么称颂也不会想要回到那个时代去的,这与我们不想变成鳄鱼是同出一理的。
在某些时候,我们往往会产生否定文明的冲动。
幕府末年,熊本的国学者们极端推崇神道,在明治维新之后,组成了敬神党,攻击文明开化。
明治九年十月二十四日,该党同志约一百七十人突然举行暴动,袭击了作为文明代理人的县令、军队司令官的住宅,并将他们杀害,暴动一个夜晚之间就被平息了。这便是所谓的“神风连之乱”。
——神风连乃武士道之精华。
在战前,曾有过如此的评价,然而,正是得益于他们所反对的文明,我们才有了文明标志之一的牙医,女人活过了三十岁也不会遭清少纳言等辈的奚落了。
文明是科学、技术和制度的多重组合,所以各个级别的学校是必不可少的。
既然托生于如此社会,就算像我小时候一样讨厌学校,也不得不去上学。
因为牙医就产生于如此文明之中。
再进一步来说,驱动牙科医疗器械的是电动机,而电力产自石油。说起石油,则连带出诸如伊朗、伊拉克问题之类的国际争端,无休无止。
我年轻的时候,非常向往能逃避文明。
然而,只要牙痛了必须看牙医,则逃避文明云云无疑是痴人说梦。非但不能逃避,还要积极地参与其中,同时每个人还不得不考虑文明的统治。能源方面也同样如此。
写到此时,我决定搁笔去看牙医去。从昨天晚上起,我的虎牙就痛得不行,除了牙齿,别的什么都考虑不了。
原文作者: 司马辽太郎
原文:
歯と文明
人間はほかの動物より幸福なのか。
動物のほうが仕合せではあるまいか。
と、私は子供のころ、学校ぎらいのあまり、何度思ったか分らない。例えワニは学校へ行かなくてもワニだが、人間だけがなぜ学校へ行かなければならないのか。
ただ、私は子供のころから歯痛に悩まされ続けてきた。
そのころ、ふと、ワニたちの社会には歯医者さんがいないと気づいて、やはり人間がいいと思うことにした。人間の世には、文明があり、文明は歯医者さんを所有しているのである。
近代以前は、歯が、寿命の信号だった。漢字の“歯”が年齢という意味を兼ねていることでも、そのことがわかる。
歯については、昔の人はつらかったに違いない。
清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』第四十五段に、いいとしをした「歯もなき美女」が、若い男を夫にして、しかも妊娠してしまった(萩谷朴(はぎやすぼく)教授の推察)という話が出ている。
このため文中の彼女は酸っぱいものがほしくて口をすぼめて梅の実を食べる。「梅食ひて酸(す)がりたる」と、『枕草子』はいけすっぽく描写し、「年甲斐もない」と切り捨てている。
こんなことを書いた清少納言嬢はおそらく若さのおごりの春のなかにいたのであろう。
ところで、文中の女性は、妊娠している以上、まずまず三十代とみてよく、となると今日なら十分に若い。しかし当時の常で、歯がない。だから老女として扱われているのである。
平安時代はすぐれた美意識を生んだ時代だったが、こと歯の問題となると、ワニやラクダの世界とかわらない。
室町(むろまち)文化や江戸文化もすばらしいが、私などいくら礼讃してもそこへもどろうとは思わないのは、ワニになるを遠慮するのと同じ理由である。
われわれには何かの拍子(ひょうし)に文明を否定する衝動がある。
幕末のことになるが、熊本の国学者たちは極端に神道化し、維新後、敬神党を結成し、文明開化をのろった。
明治九年十月二十四日、その同士約百七十人がにわかに挙兵し、文明の代理人である県令、軍司令官などの屋敷を夜襲し、かれらを殺し、一夜で敗滅した。神風連(じんぷうれん)の乱である。
――神風連は武士道の精華だった。
という評価が戦前あったが、ただかれらが否定した文明のおかげで、私どもはその一表徴として歯科医者をもち、三十女(?)も、清少納言に罵倒されるということがなくてすむ。
文明というのは、科学と技術と制度が多重に組み合わされたもので、そのためには各級の学校が必要なのである。
既に生を受けてこの社会に属した以上、たとえーー私の少年期のようにーー学校嫌いでも、学校へ通わざるを得ない。
そういう文明の上に、一人の歯医者が成立しているのである。
しかもその歯科医療器械を動かしているのは電機で、その電気は石油によって作られる。その石油たるや、たとえばイラン.イラク問題のようにたえず国際紛争を生んでやまない。
私は若いこと、文明からの逃避があこがれた。
が、歯が痛ければ歯医者さんにゆくということがあるかぎり文明からの逃避など夢物語で、逃げられない以上は、この文明に積極的に参加するほかなく、また文明の統御についても一人一人が考えざるをえない。エネルギー論についても同様である。
ということで、私はいまからペンを置いて歯医者さんにゆくことにする。昨夜から犬歯が痛んで、歯以外のことは考えられないのである。
司馬遼太郎(一九八七年<昭和六十二年>十一月二日) |