夢から夢へ
夢から起きて、また同じ夢を見ました。
私は家に帰ってきました。母は台所で料理を作っています。私が大好きな料理を作っています。父は部屋で新聞を読んでいます。料理の香りが部屋の中に広がっています。とても幸せな感じで、現実みたいです。
目を覚ますと、目の前は暗くて、ひっそりとした部屋で、私ひとりしかいません。「今は日本にいるんだよ」自分に言いました。
「一人暮らしをしたい、外国生活を体験したい」と思っていた私は日本にきましたが、どんな生活を送ることになるか、全く考えていませんでした。日本に来たばかりの時、これから経験することや未知なものへの「好奇心」がいっぱいあって、新しい生活の期待がとても強かったです。でも私はそれまで生活は全部両親の世話になり、毎日何も考えずに暮らしていました。それで日本で生活をはじめると間もなく不安になりました。全てのことを私の足で、私の手でできるだろうか?
自分の肩にさまざまな「責任」がのしかかってきました。今思い出すと、初めて作った料理はまずかったです。初めてのアルバイトは苦しかったです。「はじめて」をたくさん経験するうちに不安はだんだんなくなりました。私は自分の足で自分自身の中から湧き出る力だけで新しい一歩を踏み出すことができました。
夢から覚めて、たくさんのことを思い出しました。今は満足しています。これからももっと自分の力で頑張ります。もっと大きいチャレンジをしたいです。
こんなことを考えながらまた寝ました。
--------------------------------------------------------------------------------
日本の交通は便利です
私は去年の4月に日本の金沢に着きました。もう一年ぐらいになります。私は初めて両親を離れて、一人で外国で暮らしています。そして、日本と中国の違うところが多いので、この一年いろいろなことを考えました。
一番深く印象をうけたのは日本の交通です。日本の交通はとても便利だと思います。日本は国際空港が四つの町にあります。毎日いろいろな国の人が使います。大阪の関西国際空港は大工事によって建設された海上空港で、世界でもほかにありません。
日本は世界でも鉄道の発達した国です。昭和39年に東京から新大阪までの新幹線ができました。新幹線は日本全国の重要な都市へのびています。スピードが速いです。そして、毎日大都市の間を何回も走っています。先月、私は金沢から京都まで試験を受けに行きました。この試験は朝十時半に始まりました。私はその日朝六時半に金沢駅に着きました。七時の特急列車に乗りました。九時二十分に京都に到着しました。バスに乗り換えて、予定どおり十時に京都大学に着きました。試験の時間にまにあいました。日本の電車やバスなどは駅に時刻表があります。その上、詳しく時間が書いてあります。出発時間と到着時間が時間どおりです。自分で時間を調べることができるので、遠い町へ行く時、むだな時間が少ないと思います。
中国で今の交通の状況がだんだん悪くなっています。私は朝会社へ行く時、朝早く出かけても、バスの時間がぜんぜんわかりませんでした。時々バス停で長いあいだバスを待ちました。時々バス停で交通ラッシュに遭いました。遅刻しました。そして、他の町に行く時、電車の切符を買うこともたいへんです。中国の人口は多くて、旅行する人も多いからだと思います。
私は日本の交通はとても便利だと思います。中国の交通も大きく発達しなければならないと思います。生活が便利になるために、国が発展するために、中国の交通機関はもっと発達してほしいと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
日本の娯楽:温泉
みなさんは「日本」と聞くと、何を連想するでしょうか。富士山、着物、桜、それ以外にも色々あると思います。それが、私にとっては温泉でした。日本は昔から地理的に火山が多いので、温泉は日本人の大切な娯楽のひとつになっているそうです。 私は日本に来る前から、ぜひ、温泉に行ってみたいと思っていました。それで、去年私の家族が日本に来た時、金沢からあまり遠くない場所にある三国の温泉に行きました。そこは日本の伝統的なスタイルの旅館でした。海の前にあって、とってもきれいな建物でした。
私たちはまず、ゆかたにきがえてから、おふろに入りました。冬の冷たい空気の中で、おふろに入るのは初めてでしたが、気持ちがとってもよかったです。おふろから部屋に帰ったら夜の食事の準備が始まりました。
私は温泉の料理について、何回もテレビで見たり、ざっしで読んだりしていましたから、とっても期待していました。料理は和食のコースで、ごうかなごちそうが出て来ました。
私たちは楽しく食事しながら、ゆっくり休むことができました。期待していたとおりでした。
韓国にも温泉はありますが、日本とはちがいます。まず、数もすくないし、形も、おおきいプールがついている遊園地みたいな場所がほとんどです。日本の温泉のようないいふんいきはありません。
日本人にとって温泉は、どこか旅行にいって、ろてんぶろに入ったり、おいしい料理を食べたりしながら、リラックスする場所です。それで、日本の温泉は日本だけの特別な文化だと思います。
日本の温泉を見てから、将来、韓国にもこのスタイルのホテルとか、旅館ができたらどうか考えてみました。韓国にも日本のようなホテルや旅館ができたら、おふろが大好きな韓国人にも、すごく人気が出ると思います。みなさんの国ではどうでしょうか。
では、みなさん、近いうちに雪がつもった山を見ながら、ろてんぶろに入ってみませんか。とっても気持ちいいですよ。
--------------------------------------------------------------------------------
消えた流星群
もう2002年になりました。昨年のことをいろいろ思い出してください。みなさんが一番感動したことはなんでしょうか? そのことも昔のことになり、時間が経つのがはやいことにびっくりするでしょう。何千年何万年という時間の流れの中で、わたしたちがこの世で生きている百年間は短すぎます。まるで、パッと明るく光ったかとおもうと消えてしまう流星みたいだとおもいませんか。流星といえば、昨年11月19日朝の獅子座流星群を、私はいまでもはっきり覚えています。
たぶん見た人は少ないとおもいますが、私ははじまりから、最後まで見ました。何百もの流星を見られました。空のあちこちから出てきて、スッーと細い光線を輝かせて消えていきました。花火のように美しかったです。夢のように神秘的でした。幻想的な空を見ながら、過去に思いを馳せました。
去年の3月から今まで、一年間はあっという間でした。どう言っても短い時間でしたが、私も、私のまわりも、世界も、大きい変化をしましたね。私は中国の大学をやめて、両親と友達と故郷をはなれて、日本へ留学しました。国でずっと親のお金を使って、食べたり、あそんだり、毎月ぶらぶらしていました。でも、日本へ来て、新しい人生が始まりました。一人で勉強したり、アルバイトをやったり、充実した生活をしています。留学して、わたしは本当に大人になりました。
人類は、21世紀最初の一年を越しました。「戦争の世紀」から「平和の世紀」に、と願ったはずですが、その反対の幕開けとなりました。ニューヨークでおこったテロ事件とその後米国がアフガニスタンに報復した戦争によって、平和を期待したわれわれの情熱も冷めてしまったのではないでしょうか。
流星群は消えましたが、あの美しさとかがやきはいつまでも私の心に残るでしょう。人生も短いですが、いろいろな事が体験できます。がんばれば、もっといい結果が生まれないわけがないでしょう。2002年を迎えて、今が肝心だとおもいます。みなさん一緒に希望の火を燃やして、輝かしい人生をつくりましょう。
--------------------------------------------------------------------------------
夢を実現するため
日本へ留学して学位を取ることが私の中学生の時からの夢でした。ですから、そのチャンスがきた時、私は新婚の主人と別れて、新築の家と昇進の機会をすてて、日本へ来ました。
しかし、予想と実際の生活はぜんぜん違いました。物価も高いし、学校も遠いし、住むところも狭いです。生活のために、アルバイトもしなければなりません。日本に来たばかりの時、日本語はまだ下手でしたから、洗い場、新聞配達など、給料が安くて条件が悪い仕事しかできませんでした。新聞配達は雨でも、雪でも、毎日行かなければなりませんでした。夏はとても暑いし、日やけしました。冬は雪がたくさん降るので、すべりやすく危険でした。ある日、途中で転びました。めがねが壊れてしまいました。血がたくさん出ました。でも新聞はまだたくさん残っているので、しかたがない。立って、血をふき、いたいのを我慢して、配達をつづけました。その時、本当に泣きたかったけれども、泣いてはいられませんでした。中国でいつも条件がよかった事務所で楽な仕事をしました。急に仕事の種類が大きく変わりました。気持ちも、体も慣れませんでした。
日本へ来た目的は大学院に入ることでした。ですから、手紙で大学院の先生と連絡することが必要でした。しかし、日本語の勉強は日本に来てから始めたので、手紙を書くことは私にとっては難しかったです。大学院の先生10人に手紙を送りました。Eメール受信箱を開けるたびに、受け入れてもらえるかどうか心配でした。いつも希望をもって受信箱を開けました。しかし、受け入れてもらえないことが多かったです。何回もショックを受けました。
しかし、夢を実現するために、大変でも、あきらめないで、がんばりました。だんだん苦労が報われました。
日本語を勉強する時、大学院への手紙を研究計画を書く時、先生は何回も直してくれました。それで、私は自分だけではなく、主人の大学院も決めることができました。今はふたり一緒にがんばっています。
生活が大変ですけど、日本人はやさしい人が多いです。ふつうの場合は、アルバイト中は、仕事に関係ないことはしてはいけません。でも私のアルバイト先の店長は、いつも仕事中に私に日本語を教えてくれます。宿題をして、質問があったら、店長はくわしく説明してくれます。店長は「ここは仕事場かな、塾じゃないか」と冗談をいいます。私はショックを受けた時、よく慰めてくれました。店長は勉強の上で先生です。そして生活の上で兄みたいです。そんなやさしい店長に出会えて、ラッキーでした。
留学生活は本当に苦労が多いです。でも意味があります。いろいろ珍しい人生体験を得られます。まわりの友達は何回も私に聞きました。どうして中国の安定した生活をすてて日本へ来たんですか。何といっても、自分を絶えず超えるということが私の人生の信念です。一度成功しても、満足しないでもっと高い目標を追求しようと思っています。目標を実現するために、疲れても、苦労しても、ずっと努力します。そうすれば、本当にみのりのある人生になると思います。
いろいろ助けてくださった先生と友達に心から感謝いたします。ここの先生と友達は私の人生で一番大切な宝です。ありがとうございました。
--------------------------------------------------------------------------------
おかねもちとけちん坊
世界的に見ると、日本人の給料はトップにはいるそうです。それで日本人はおかねもちだと考えられることが多いです。けれども、料理について日本人をみると、中国人より「けちん坊」だと思います。でも、私が日本人を「けちん坊」と呼んでも、よくない意味ではありません。日本人は食べ物をとても大切にするという意味です。おかねもちであると同時にけちん坊であるという対照的な特徴をもつ日本人はとてもいいと思います。
私がアルバイトしている小料理屋でこんなことがあります。にんにく唐揚を注文したお客さんは、3きれか4きれのこっても、かならずラップで包んで、持ちかえります。中国で、おなじことがあったら、たぶんすててしまうでしょう。
また、お客さんはマスターに料理をまかせてたのむこともあります。その時、マスターは利益を追うだけではなくて、いつもお客さんにあわせて料理をきちんと作ります。そうすると、お客さんは料理をほとんど残しません。もし、お客さんが料理を残したら、マスターはとても悩みます。そして、マスターはその料理をすこし食べてみます。それから、料理のあじや量についてどこが問題なのかよく考えるのです。これはマスターが仕事に対してまじめだからかもしれませんが、それよりも、マスターが食材をむだづかいしないようにしようとしているからだと気がつきました。そして、とても大きなことを学んだと思いました。
私はしらずしらず食べ物をむだづかいしていたかもしれません。日本にきて以来、いろいろな例を見て、食べ物を大切にすることを考えるようになりました。
世界中には、おかねもちもいるし、まずしい人もいます。飢餓に苦しむ子供もたくさんいます。日本人のように食べ物をたいせつにすれば、世界の食糧が将来足りなくなるという問題はひどくならないと思います。いまから、みんな、日本人に学ぼうではありませんか。
--------------------------------------------------------------------------------
日本人の勤勉なこと
私は日本へ来る前に「日本人は勤勉すぎる」と聞いていました。日本へ来たら本当にそうだと分かりました。
私がアルバイトをしているところは、小さい会社で、社員も少ないです。みんな仕事をする時間を守ります。毎日仕事が始まる10分ぐらい前に会社に着いて、掃除をしたり、お茶をいれたり、いろいろな準備をします。仕事をするときはとてもまじめです。まちがわないように、仕事をする前に何回も確認します。それに仕事を終わる時間になっても、もしその一日の仕事が終わっていなければ、必ず残業をします。
中国では仕事の時間を守らない人がほとんどです。毎日ぎりぎりに会社に行ったり、ときどき遅刻したりします。残業はあまりしません。
なぜ中国人と日本人は仕事に対してこんなに大きく違うのでしょうか。
まず、国の状況がちがうと思います。日本の会社では個人的な業績に一番関心があります。ボーナスなどは自分の一年間の努力と関係がありますので、サラリーマンはいい業績をあげるために頑張っています。
それから、男女の役割と責任についての考え方のちがいもあります。日本では今まで男性中心の社会でした。結婚したら、たくさんの女性は仕事をやめて主婦になるので、収入がなくなります。そして男性には家族の生活に対する責任がかかり、生活がきびしくなります。もし、失業したら、自分だけじゃなく家族みんなの生活にも影響します。一方中国でも男性は責任がありますが、女性も同じくらいの責任を負います。それで結婚しても、女性は仕事をやめません。だから、中国の男性たちのストレスは日本より多くないと思います。
このようなわけで、中国人は仕事をあまり一生懸命しなくなったのではないでしょうか。そして日本人は、とくに男性は、仕事を一生懸命しなければならなくなったのではないでしょうか。
みなさん、いま日本に留学していますね。卒業したらどこで働きたいでしょうか。中国か、日本かどちらの国で働くといいでしょうか。考えてください。
--------------------------------------------------------------------------------
日本でもらったもの
日本へ来てからもうすぐ一年になります。皆さん、この1年の間にもらったものもあるし、失ったものもあるでしょう。失ったものを言ったら悲しいから、今日は言わないで、私がもらったものだけを皆さんにお話ししようとおもいます。
もちろん、日本語は私がもらったものの中で一番大切なものです。一年前、私はひらがなとカタカナだけ知っていました。今、一年経って、日本語はべらべらではないけれど、生活の簡単な会話は大丈夫だとおもいます。少なくともほかの人に自分の父を紹介するとき「お母さん」などと言うことがなくなりました。
日本語には平仮名、片仮名と漢字の三つの文字があります。覚えるのがとても難しいと思います。それ以上に、アクセントはもっと難しいと思います。同じ発音の単語でもアクセントが違えば、意味がぜんぜん違います。
私は日本へ来たとき初めてしたアルバイトは新聞配達でした。友たちが日本語でメールをくれました。「今日の新聞はあついか」と聞きました。私はメールを見たとき、何を言っているのかわかりませんでした。新聞があつい? 新聞に温度がありますか? どうして新聞が温度があるかな? 触ってみても、ぜんぜん暖かくない、馬鹿みたいな私は「大丈夫、あつくないよ」と返事をしました。おかしいと思った私は一緒に働いている人に聞きました。皆は笑って教えてくれました。メールをくれた友達は「今日の新聞は厚いか」と聞いたのでした。「厚い」と「熱い」の読み方は同じですがアクセントは違います。だから、意味もぜんぜん違います。思い出せばとても恥ずかしくなります。
日本語は何千年も前に中国から漢字をもらいました。しかし、今の日本語は中国語とぜんぜん違います。昔の優秀な日本人が中国からいろいろなものを勉強して、日本の文化と社会が発展しました。現在は、たくさんの中国人が中国から日本へきて自分の夢を持ってがんばっています。私は昔の中国へいった日本人を自慢に思います。自分は日本でがんばっているのを自慢に思います。皆さん、一緒に、自分の夢のために、中国と日本の交流のために、頑張りましょう!
--------------------------------------------------------------------------------
故郷の冬
12月になると、金沢はだんだん寒くなりました。雪がふる季節になりました。私は雪を見て、ふるさとを思い出しました。
私のふるさとは中国の北部、佳木斯(ジャムス)というところです。冬になると、金沢と同じように雪がふります。でも金沢の雪より水分が少ないので、重くないです。今ごろは雪がよくふります。気温は金沢よりずっと低いです。最高気温はマイナス15度、最低気温はマイナス25度ぐらいです。気温が低いですから、ふった雪はとけません。全部つもります。交通はとても不便です。金沢のように近代的な融雪装置がありません。雪がやむと、町の人々はいっしょに大通りの雪かきをします。協力して道が通れるようにするのです。
冬の景色はとてもきれいです。松花江には厚く氷が張ります。あたり一面銀色の世界です。木の枝も雪がつもって白くかがやきます。とてもきれいです。
冬はスケート、スキー、そりなどいろいろな遊びができるので、子供たちにとってうれしい季節です。いちばん人気があるのは、雪だるま作りと雪合戦です。とても寒いですが、遊んでいる時は、みんな顔が汗だくになります。おとなたちはスキーが大好きです。だれでも一度はやってみます。
さて、公園の中も冬はとくべつです。建物や人物や動物などの氷の彫刻が楽しめます。例えば、天安門とか、かぐや姫の物語とか、馬などが、氷でみごとに作ってあります。彫刻の中に電球を入れて、夜になると電気をつけます。ライトアップされた動物や人は生き生きとして、今にも動き出しそうです。すごくきれいです。
もうすぐ春節になります。ふるさとでは、ちょうちんをつるしたり春聯をかざりつけたりして、にぎやかになるでしょう。金沢で雪を見て、本当に懐かしくなりました。
みなさん、ぜひ佳木斯の「雪の世界」に行ってみてください。
--------------------------------------------------------------------------------
京都の旅
日本に来てからもうすぐ一年になります。この一年で一番印象に残ったことは京都の旅でした。
中国で日本語の学校に通っている時から先生に京都のことをよく聞いていました。そして、京都は中国の西安を真似て作ったといわれていたので、すごく親しみを感じていました。それで一度京都を旅行したいと思っていました。そして、先生達のおかげで実際に京都に行ってみてこの町がとても気に入りました。みんなと楽しみながら、いろいろな勉強をしました。
京都は794年から1868年まで日本の首都でした。京都は古いお寺や町並みが残っていてすごくにぎやかで観光客が多くて国際的な町でした。そしておもしろいのが京都の言葉でした。金沢よりあまり遠くないと思いますが、言葉が全く違うので驚きました。例えば「これなんぼ」というのが「これいくら」という意味でした。
また、京都の駅を見て本当にびっくりしました。とても立派な駅でした。駅だけじゃなくてデパート、ホテル、劇場などがあってまるで一つの街のようになっていました。そして私たちは京都で有名な二条城、清水寺、龍安寺に行って日本の歴史や伝統的な文化を勉強することができました。京都はお寺がたくさんあって本当に仏様に守られているみたいなきれいな町でした。
今回の京都の旅行を通じて私は日本の文化への興味が深まりました。とても素敵な旅行ができて本当によかったと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
バングラデシュを知っていますか
モハマド サイフル イスラム (バングラデシュ)
これからバングラデシュについてはっぴょうをします。
バングラデシュのきせつは、なつと あきと ふゆと うきの4つです。1ねんで5月はあついです。そして3月はさむいです。5月のへいきんきおんは 35どから40どです。6月から8月まで あめがおおい うきです。インドからながれてくる ボドマ、メガナ、ジュムナが おもな川です。それらは かんがいに やくだっています。しかし、うきにはインドが川のみずを かわかみから たくさんながすので、おおくのかわが はんらんして、いなかは みずびたしになります。いろいろなこうじをして、こうずいになるところは へってきました。でもこうずいのために、バングラデシュのけいざいは いままでは たいへんでした。とてもざんねんです。
バングラデシュのぶっかは とてもやすいです。バングラデシュのしゅしょくは おこめです。牛肉がいちばんいっぱんてきです。にくの中で、ぶたはぜんぜんたべません。イスラム教ですから。
おもなくだものはバナナとマンゴとパイナップルとみかんです。たとえばマンゴはひとつ4円から5円です。
サリーはわたしのくにの おんなのひとがきる でんとうてきな ふくです。わかいおんなのひとの ふくはルソギとシャツとズボンです。
これでわたしのスピーチはおわりです。ありがとうございました。
--------------------------------------------------------------------------------
漢字からカタカナへ
私ははじめて日本へきたときのことを忘れません。空港のロビーを出ると「歓迎」や「時刻表」など、たくさんの漢字が目に入って中国と似ていると感じました。
日本の漢字と中国の漢字は似ていますが、時々意味が全然違います。初めて中国語を勉強する日本の方は、漢字についていろいろびっくりすることがあります。私の友達は中国語学科の一年生です。彼は初めて「手紙」という言葉を勉強した時、驚きました。皆さんも知っているように「手紙」は中国語でトイレットペーパーを意味します。彼は「一生懸命に書いた手紙がもし誰かにトイレットペーパーのように使われたら、僕はどんなに悲しいかな」といいながら、笑っていました。
日本の漢字は昔中国から伝えられました。一方国際交流の発展に伴ってたくさん新しい外来語が日本語の中に入ってきました。新しい外来語は英語がほとんどです。漢字熟語を使わなくなっているようです。
この前、私は新聞で最近の若者が答えた漢字についてのアンケートの結果を見ました。その結果によると、この10年間に漢字は読めてもかけないという若者が増えてきたそうです。なぜかというと漢字の書き方が難しいからです。でも外来語は普通はカタカナで書きますから漢字より簡単だと若者は答えていました。カタカナ言葉を使う人が増えているようです。
私は「源氏物語」という日本の有名な古い小説を中国語で読んだことがあります。この小説から昔の日本ではきれいな漢字を書けて読める人が教養があると思われていたことがわかりました。今の日本人は難しい漢字熟語の代わりにカタカナを使えることが国の発展のための鍵だと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
内面をみがきましょう
人は生活がゆたかになると、もっと美しくなりたいと思うようになります。お金があれば美容院へいったり、きれいな服をかったりして、外見をきれいにみせようとします。
外見は大切でしょうか。
美しさはさまざまです。たとえば外見の美しさとか、中身の美しさとか、人によって見方がちがいます。
現代人は外見の美しさを大切にしすぎると思います。いっぽうで中身の美しさを気にしていないようです。外見の美しさは大切ですが、中身の美しさはもっと大切だと思います。内面のうつくしさは外に現れてくるものです。人を外見の美しさだけで判断するべきではないと思います。外見だけで評価したら、本当の才能をもっている人でも自分の才能を発揮できなくなります。日本でも中国でも美人のほうが就職しやすいとよくききます。また、体が不自由な人はもっと就職しにくいといわれています。体の不自由な人でも、すばらしい才能をもっている人がいます。例えば、中国の張海迪という人です。彼女はむねから下はまひしています。でも6か国語できて、いろいろな国の文学を翻訳しています。美しいと思います。
今、美人といわれる人は50年後にまだ美人でしょうか。いいえ、美人じゃありません。どうしたら自分を長い間美しくみせられるでしょうか。一番大切なのは内面をみがくことです。助け合いの心をもちましょう。ボランティア活動をしましょう。本をよみましょう。ルールをまもりましょう。おとしよりを大切にしましょう。
みなさん、心の美しさをたいせつにしましょう、内面をみがきましょう。
--------------------------------------------------------------------------------
日本人についての印象
日本へ留学してそろそろ一年になります。日本へ来る前に「日本人はどんなふうかなあ」といろいろ考えました。
日本人は他人に親切だという印象が強いです。日本へ来たばかりの時、日本の道はどこもとても似ていると思いました。アパートに引っ越した翌日、うちへ帰ろうとした時アパートが見つかりませんでした。仕方がないので自分の下手な日本語を使って日本人に道を訪ねました。日本人は詳しく教えてくれましたが、私はまだわかりませんでした。するとびっくりしたことにその日本人はアパートまで私を連れて行ってくれたのです。感動しました。またこんなこともありました。ある晩、アルバイトが終わってから、自動販売機で切手を買おうと思いました。けれども千円札を入れても切手は出ませんでした。「どうしようかなあ」その時向こうから女の人が歩いてきました。私が声をかけると一生懸命手助けしてくれました。故障をなおす係員を呼ぶために電話までかけてくれました。
この二つのことは小さいことかもしれませんが、深く印象に残りました。日本人の皆様、「本当に有難うございました」、日本は礼儀の国といわれるだけのことはあると思います。 |