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《龙马奔走》之《五 黑船来航(1)》

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发表于 2007-12-15 15:42:56 | 显示全部楼层 |阅读模式
黑船来航(1)
  自从这天——嘉永(注:江户后期孝明天皇的年号,1848~1854)六年六月三日,也就是美国东印度舰队来航的这一瞬间起,日本的历史就为之一变而进入幕末的风云时代。
  由此,龙马的命运也将发生剧烈的改变,但在当天,他根本不明就里。听武市说是黑船来了之后,莫名其妙地感到肚子象是脱了底似的,饿的要命。
  “武市,黑船的事知道了,你有什么东西吗?”
  “什么什么东西?”
  “吃的东西啊”
  说着,他还努了努嘴。
  “阿龙啊,你可真沉得住气啊”
  “哪里还沉得住气啊,俺现在饿得前胸贴后背了”
  “没说你的肚子。这次来的黑船,和近几十年来出没于近海的外国船可不一样,是准备来打仗的。可能是自元寇以来最大的国难,所以说你在这样的时候太沉得住气了”
  (这个长着鱼下巴的,竟讲得这么严重)
  龙马突然看到正在整治刀具的武市的脚边,有个小包裹。
  “武市,那是什么?”
  “年糕”
  谁让你老实告诉他来着。
  没等武市开口叫声“啊”,包裹已被龙马一伸手抢了过去。
  “手下留情啊,阿龙。这是我准备的军粮,说不定今夜就要上阵的”
  “有几条啊?”
  “九条”
  “九条年糕就能赶跑黑船吗?”
  龙马毫不留情往嘴里塞了一条。
  “谁说用年糕了赶跑黑船来着?是为上阵时准备的干粮”
  “上阵时,藩里总会发粮的吧”
  “可是,自备干粮乃武士谨慎之心,武士之精神”
  “哦,是吗?”
  龙马漫不经心地答道,手里已拿着第二条了。
  “真拿你没办法”
  武市只有苦笑而已。
  龙马一生都认为,年糕就是年糕而已。肚子饿了就吃。可以武市的气质来看却不一样,一条年糕决不是简单的物质性的东西,总要给它添加点什么意义。所以,两人在每件事上往往总是意见相左。一个是现实主义者,一个是理想主义者,可尽管如此,有些地方两人却很合得来,很是投缘。
  “话说回来,武市,黑船的事情俺一无所知,讲来听听”
  “你耍了我,我还讲给你听?”
  (摆什么臭架子)
  龙马吃完了第三条年糕,正要喝武市喝乘下的茶时,徒士(注:下曾武士,无骑马的资格)目付(注:官职名,司检察旗本之职)吉田甚吉、安冈千太夫跑来了,
  “快去各自的道场集合”
  扔下了这么一句,又跑得没影了。
  “阿龙,看来是要对付黑船了”
  土佐藩邸除了藩主来江沪时住的上屋敷外没有大厅,尽是些长屋,所以藩士们要集中时,一般都利用练武用的道场。
  他们赶到道场一看,发现人已挤得满满的了。

  不巧,土佐藩的藩主山内丰信(即后来的容堂)上上个月就回土佐领地了,所以便由留在江沪的重臣山田八右卫门、森本三藏、山内下总三人协商指挥。三人都是出了名的无能之辈。


第一夜的指令是:待命。
要说好有什么指令,那就要算将龙马他们这般在江沪的游学的学生们临时编入杂兵(注:身份很低的兵卒)了。由此,土佐在江沪的的藩兵就有了四百人了。
“俺只是个杂兵啊”
连武市半平太也是杂兵。他的身份是白札,是上士的最下层,相当于准士官的门第,但他本人仅是个寄宿的游学学生,其待遇仅仅是徒步(注:同徒士)而已。
(真窝囊啊)
要说武市半平太,是取得了镜心明智流剑派的免许的,又通晓儒学、兵法,足智多谋,足以指挥一支大部队。可就是这么个武市也和龙马一样,是个杂兵。三百年来靠门第维系下来的藩政体系就这么让人啼笑皆非。
再说这些藩士,有些来的时候都穿着便服,这时都回到各自的寄宿处重新换了当差的服饰又来集合了。
(这副穿戴可有得一看了)

有几个上士身份的,全身披挂着老祖宗传下来的头盔、铠甲,活像个古董店里的武士立像。有的披挂不全,就身穿着战袍,头上扣个头盔。还有人连这两样都没有,也顾不得这么热的天,套上救火时的行头就来了。全乱了套了。
“武市,俺们这些杂兵怎么办?”
半平太稍微想了一下,说:  
“穿练剑时的护胸吧”
“好主意”
龙马、半平太以及从老家出来学剑的下层武士们,全都是这副打扮。整齐划一,看起来比顶盔贯甲的武士还要靠得住些。
在道场里待命的武士们,东一堆西一撮地形成了几个小集团,每个集团都在起劲地谈剑论兵。不过,上士归上士,下层归下层,相互间都是白眼相向,绝不混同。这就是三百年来形成的风气。因为在人们的内心深处,上士是山内的武士,下层是关原之战中被打败了的长曾我部的武士。
上士团的中心是石弘濑传八郎,他年俸三百石,土佐藩内的北条流派的兵法教师。

   这个人有个口头禅,不管说什么总是先说一句:“这么着,呐”
  “这么着,呐。在验首级时,呐”
  他在和年轻人讲解战场情况。年轻的上士们用心地聆听着。
  弘濑传八郎所宣讲的,乃是砍了美国水兵的脑袋后如何参见藩公的繁复礼仪。北条流兵法为德川初期北条安房守(注:即北条 氏長,江戸时代前期幕臣、兵法家)所创,是历代山内家的家传兵法,其内容讲排兵布阵方面的几乎没有,尽教些验首级的礼法。
  (靠这些打得了黑船吗?)
  龙马听着气不打一处来。

在后天的早晨,终于下达了出发令。
据说,停在浦贺洋面上的四艘黑船态度极其强硬,看样子弄不好就要冲入江户湾,炮击江户了。
幕府方面狼狈不堪,命令在芝、品川有屋敷的大名防守海岸。
土佐藩也接到了命令。该藩在江户府内上下屋敷共有七所,符合藩命的是处在芝、蛟洲和品川的屋敷。
龙马他们被安排到了品川,一大早,就排着队出了锻冶桥屋敷。

  一路上,町人的骚乱喧嚣更甚于昨日。
“武市”
  “什么事?”
  “早知如此,开个古董店就好了”
  龙马笑道,风闻得各藩的武士蜂拥到全江户的古董店,把那里的刀枪盔甲抢购一空,而价格也涨了三倍,让古董店的老板们赚了个饱。
  火药也是如此。
  因为根据幕府的祖法,各藩在江户的屋敷内不得藏有过多的火枪火药,事到如今就不得不满世界的去找了。价格一路飙升已自不待言,几乎所有的店还都断了货。

  非常时期,传闻也都长了翅膀。讃岐(香川县)高松十二万石的松平讃岐守成了市井的笑谈。该藩奉命守卫滨殿,因此紧急采购火药,可市里哪个店都早已被各藩抢购一空了。跑断了腿也只弄来了两贯(注:1贯=3.75公斤),且价格高得能叫人哭鼻子。两贯火药只够一贯的火炮“轰、轰”地开两、三炮而已。
  (御亲藩(注:德川家康的亲戚所封的藩)看来也到头了)
  龙马心想,呈了三百年威风的真实面目原来竟是这样。
  可要说奇怪,还要数有守护江户之职,三百年来一直驻扎在将军脚下的旗本(注:将军直属家臣中俸禄不满一万石可见将军的武士)八万骑了。为防备黑船,幕府全仗着大名出力,所谓直参(注:直属于将军,俸禄不满一万石的武士。是旗本和御家人的总称)的近卫兵团却放着不用。其实是用不了了。旗本御家人们个个家道落魄,能对付着过日子已不错了,根本没钱凑齐了武器、马匹、家丁来上阵了。

  “武市,想不到大公仪(注:将军家)已经这么不中用了。了不起的御直参不是已经动弹不了了吗?”
  “嘘”
  古板的武市觉得在町乡士家长大大龙马在这种地方叫人受不了。身为武士却对权势敬畏之心很淡薄,前两天抢吃年糕的事也是如此,看事物太肤浅了。
  (总之,龙马没有感激惶恐之心)
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 楼主| 发表于 2007-12-15 15:43:38 | 显示全部楼层
原文:

五 黒船来

 この嘉永六年六月三日、つまり米国東印度艦隊の来航の瞬間から、日本史は一転して幕末の風雲時代に入る。
 それにつれ、後年竜馬の運命も激しく変わることになるのだが、この日の竜馬は、一向に取り留めない。武市から黒船のことを聞いた後、どういうものか、どかっと底が抜けたように腹が減ってきた。
 「武市さん、黒船のことは分かった。しかしなンぞ持たんかえ?」
 「なンぞとは?なんじゃい」
 「食うもの」
 と、口を動かすまねをした。
 「竜さんは、呑気のお人じゃのう」
 「呑気どころか、現に腹の皮が背中にくっつくくらい空きっ腹になっちょるがの」
 「お前さんの腹のことばァ、言うちょらん。このたびに黒船は、ここ数十年来、臨海に出没していた異国船とはちがい、戦を支度して押し寄せてきたものじゃ。元寇以来の国難になるかも知れぬときに、呑気すぎるというのじゃ」
 (顎め、硬い言葉ァ、言うちょる)
 竜馬がふと、刀手入れをしている半平太の膝元を覗きこむと、小さな風呂敷包みが置いてある。
 「武市さん、されは何ぞ」
 「餅じゃ」
 教えてのが、悪かった。
 武市があっという間もなく、手を伸ばした竜馬にさらわてしまった。
 「いかん。竜さん、それだけはやめちょけ。いずれ今夜にも御陣触れが出るかも知れぬゆえ、わしは腰兵糧のつもりで置いてある」
 「いくつ入っちょる」
 「九つじゃ」
 「武市さんは餅九つで黒船を追っ払うつもりか」
 竜馬は容赦なく餅を一つ口に入れた。
 「なにも、餅で黒船を追うとはいうちょらんわい。陣触れが出たときの腰兵糧のつもりじゃ」
 「陣触れにときは、ちゃんと藩から兵糧がわたりますロウ(でしょう)」
 「しかし腰兵糧を用意しておくのが武士のたしなみであるし、精神(こころ)じゃ」
 「ああ、そうか」
 そのくせ、竜馬はやめない。すでに二つ目を握っている。
 「仕様のないお人じゃ」
 苦笑するよりほか、ない。
 竜馬は終生、餅はあくまでも餅にすぎ、という考え方の持ち主だった。腹が減ったときに食えばよい。しかし武市は餅一つを見ても単なる物質とはとらず、そこに何らかの意義付けをしたがるのが性向だった。だから、事々に逆らいあう。そのくせこの現実主義者と理想主義者は、どこかで馬が合っていて、ひどく仲がいい。
 「ところで、武市さん、わしは黒船のことはなにも知らん。講釈してくれ」
 「人を馬鹿にする者には教えてやらん」
 (もったいぶりおるわ)
 竜馬が三つの餅を食い終わり、武市の飲み残しの茶を飲もうした時、徒歩目付の吉田甚吉、安岡千太夫が駆け込んできて、
 「おのおの道場に集まりますように」
 すぐ走り去った。
 「竜さん、いよいよ黒船退治じゃ」
 土佐藩邸は、上屋敷のほかは大広間を設けず、長屋ばありになっている。藩士を一堂に集める場合には、道場を用いるのが普通だった。
 二人が行くと、びっしり人が集まっている。

 土佐藩では折悪しく藩主山内豊信(のちの容堂)が先々月に帰国していたから、江戸詰め重役の山田八右衛門、森本三蔵、山内下総が合議で指揮をとっていた。どれもこれも無能で知られた人物である。
 第一夜の指示は、待機。
 ほかに指示といえば、竜馬たち江戸遊学の諸生も臨時に藩兵として差し入れられたぐらいのことである。これで江戸における土佐の藩兵は四百人になる。
 「わしは、雑兵(ぞうひょう)だな」
 ところが、武市半平太も雑兵であった。身分は白札だから上士の最下級、いわば准士官といった家格だが、当人はまだ部屋住みで遊学の身だから、あつかいは、徒歩にすぎない。
(ばかなはなしだ)

 武市半平太といえば、鏡心明智流の免許者で、儒学、軍学にあかるく、智謀秀で、大軍を指揮する器量がある。その武市が、竜馬同様、雑兵なのだ。三百年、家格だけで成り立ってきた藩の組織がばかばかしい。
 さて最初は平服のままで集まった藩士も、それぞれ屋敷や長屋にひきとり、再び集まったときは出役も装束をつけていた。
(これは大そうなものだな)

 上士の何人かは、先祖伝来のヨロイ.カブトに身をかため、まるで古道具屋の武者人形のようになって出てきた。具足のそろわぬ者は陣羽織にカブトだけをかぶっていたし、それもない者は、この暑いのに火事装束をつけていた。いかにも雑然としている。
 「武市さん、俺たち雑兵はどうする」
 半平太はすこし考えていたが、
 「剣術の胴でもつけるか」
「それァ、いい思案だ」

 竜馬、半平太のほかに、国元から剣術を学びに来ている軽格の連中は、みなその装束にした。見た目にそろっていて、甲冑武者どもより軽格のほうがかえって頼もしく見える。
 待機している道場のそこここでは幾つかも集団が出来て、どのグループでもしきりと軍談に花が咲き始めた。ところが上士は上士、軽格は軽格でかたまって、たがいに白眼を向け合って交じわない。これが三百年来の藩風なのだ。上士は山内侍、軽格は関ヶ原で敗北した長曾我部侍というあたまがあった。
上士団の中心は三百石弘瀬伝八郎という藩の北条流軍学師範である。

 「ほいで、なあ」
 というのが、この人物の口癖である。
 「ほいでなあ、首実検のときは、なあ」
 と、若い者に戦陣の講釈をしている。若い上士たちは、真剣に聞いていた。
 弘瀬伝八郎は、アメリカ水兵の首をきってきた、藩公の見参(げんざん)に入れる複雑な作法を説明しているのである。北条流は徳川初期、北条安房守がひらいた軍学で、歴代山内家の御家流になっており、内容といえば、兵の調練などはほとんどなく、首実検の作法のたぐいばかりを教える。
 (これで、黒船が撃てるのか)
 竜馬が腹が立ってきた。

 その翌々朝、やっと出動令が出た。
 浦賀沖の四隻の黒船は幕府への要求態度がいたって強硬で、場合によっては江戸湾のなかに押し込んできて江戸を砲撃する気配さえ見せているという。
 幕府は狼狽し、芝、品川などに屋敷を持つ大名に海岸防備を命じた。
 土佐藩にも、下命された。藩では江戸府内に七つほどの上下屋敷を持っており、幕命に該当する屋敷としては、芝、鮫洲、それに品川屋敷がある。
竜馬らは、品川に送られることになり、早暁、隊伍を組んで鍛冶橋屋敷を出た。

 途中、町人騒ぎは、昨日に増してひどい。
 「武市さん」
 「なんだ」
 「こうとわかっておれば古道具屋でもやっておくのだったなあ」
 うわさでは、諸藩の武士が江戸中の道具屋に駆け込んで甲冑、刀槍を買うために、それらの値段が三倍にも上がっているという。道具屋が大きに設けたろう、と竜馬はわらうのだ。
 焔硝も同じことである。
 各藩とも、江戸屋敷では幕府の祖法によって必要以上の鉄砲の玉薬の貯蔵は禁じられているから、いまさら火のついたように買いに走らねばならない。自然、ひどく値あがったが、それでもほとんどの店は品切れになった。

   非常時には、風聞が早く飛ぶ。讃岐(香川県)高松十二万石の松平讃岐守が、市中の笑いものになっている。この藩はお浜殿の警備を命ぜられ、ために至急に焔硝を求めようとしたが、市中のどの店も諸藩が買いあさってしまった後で品物がない。やっと駆け回って二貫目だけ、泣きたくなるような高値で手に入れた。焔硝二貫目といえば、一貫目筒をどかどかと二、三発撃てば、それっきりの量ではないか。

 (御親藩も、おしまいだなあ)
 竜馬は、三百年威張りちらした正体がこれか、とおもった。

   ところが奇怪なのは、江戸を守るべくして三百年、将軍の膝もとに駐在し続けてきた旗本八万騎である。幕府は、黒船警備に大名の力を借りようとするばかりで、直参という直衛兵団を使わない。使えないのだ。旗本御家人はどれもこれもその日を食うのが手いっぱいの家計で、武具、馬具、家来をそろえて出陣できる金などはまるでなかった。

   「武市さん、大公儀といっても、存外たいそうなものではないな。かんじんの御直参のお尻が持ち上がらないじゃないか」
 「しっ」
 謹直な武市は、町郷士そだちの竜馬のこういうところがこまる、とおもった。武士のくせに権威を畏敬する心が薄く、例の餅の一件と同じで、物を見る眼が平明すぎるのだ。
 (とにかく竜馬には、恐れ入りまする、というところがない)
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发表于 2007-12-17 17:27:04 | 显示全部楼层
华南虎先生的文章翻的这么好,为什么大家没有人喝彩?

我来坚决的顶一下~
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发表于 2007-12-17 17:27:51 | 显示全部楼层
坚决顶到18大,给华南虎已致命一顶~~
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