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发表于 2004-9-4 15:42:43
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帮你补齐
○私の実践中国語
かけことば・しゃれ言葉(2)
藤本 恒(京都文教大学講師)
この「私の実践中国語(その7)」を読まれた方は、「あれっ、また同じ標題ではないか。」と思われるだろう。確かにその通りで標題は同じである。しかし内容は違う。
前回書いたうち、三ページにわたる語彙データ部分をちょっと注意して見てもらうとお分かりいただけるのだが、中国語の最初の文字の発音が“A”からはじまって“Q”で終わっている。
今回の語彙データ部分はやはり三ページあるが、今度は“Q”から始まって最後は“Z”である。即ち“A to Z”でこれでやっとこの“歇后语”に関する私の「雑話」を終わらせていただけることになる。だから、語彙データとしては昨年11月号と本号分を合わせて、この「かけことば・しゃれ言葉」は完結する。
種明かしになるが、二回にわたる“歇后语”の語彙データの種本は中国で出版された“歇后语小词典”で、その中からビジネスに馴染みのありそうなものを選び出し、私なりに対訳をつけたものである。だから語彙は辞書としての体裁をそなえており、索引に便利なように中国語の発音(ピンインと四声)順に整理し並べられていた。またこの小詞典は表記こそ小詞典とはいうものの、全体で350ページ、8000句もの“歇后语”が網羅されている。前回(その7)の冒頭でさすが中国は言葉の国・文字の国だと私が感嘆したのは、この点にあった。
ただ、“歇后语”はあくまでも民間で庶民のあいだに口伝えで流通する諧謔・ユーモアであり、特徴として具体的に生き生きとした生活に根ざした表現形態であるだけに毀誉褒貶が明確である。裏をかえせば多くの部分で、日中両国の日常言語の中にいまだに存在している「不快語」・「差別語」がふんだんに出てくる。不謹慎かもしれないがこれがまた言葉の中で香辛料の役目を果たしている。
この種の言葉とは一見関係がないように思えるが、経済発展段階の違いも言語面に大きく影響している。例をあげると農村文化の風俗風習や農業生産にまつわるしゃれ言葉が多い事、太陽暦よりも陰暦、都会よりも地方のものが多いことである。またこれは、両国に共通している事だが、古今の名著よりの引用が多い事であり、これら全体を含めて日中両国には大きな「カルチャー・ギャップ」が存在すると言えるだろう。
日本人なら名前ぐらいは知っている中国の旧小説「三国志(三国演義)」・「紅楼夢」・「水滸伝」・「西遊記」・「金瓶梅」・「儒林外史」などに登場する人物名や一節がよく引用されていて、これ知っていないとその可笑しさや使い方は十分理解できない。
さらにまたワンパターン民族の日本人と多様な文化を持つ中国人の違いをも考えさせられる。所謂「読書人」「士大夫」といわれる階層の人間が好んだ言葉遊びが昨年年末に書いた「唐詩」に代表される詩歌であったのに対し、庶民の楽しみの一つとしてこの“歇后语”を含む種々の熟語・成語が民間で自然発生的に人々の言葉の端々にのぼり、それが現代に伝えられ生き続けていることである。
唐突なようだが、日中間のビジネスアプローチは、中国側の改革開放政策も預かって、この20年間で目をみはる程拡大深化している。これだけ接触面が広がりまた深まると、従来は起こる事もなく気づきもしなかった摩擦が起こり、違いにも気づく。
日中間のビジネス理解を促進するために言語面での役割は大きい。今や全く意思疎通ができなかった日中双方が通じ合えるようにするという表層面での初期段階は終わり、言葉の「諸相」ともいうべき慣用から来るニュアンスをも理解して行かなければならない段階に入っている。中国語と言う言語面から中国ビジネスにアプローチを始めた自分に問い掛け、自分がこの面でどれだけの促進作用を果たしただろうかと内心忸怩たるものを感じる。幸いこの20年で中国と日本は「同文同種」であるから何の違いもないのだという日本サイドの初歩的な認識不足は既に払拭されていると思う。違いが分かる事はその違いを克服しようとする行動につながり、次の理解促進段階への第一歩を踏み出す事になる。
理屈ではなく相手が自分と同質なのだと思い込み、その認識のもとに「親しみを込めて」接触を始める事は初期段階においては大切な事である。少なくとも敵意をもってアプローチするよりはよいことに違いない。しかし、その同質だとの思い込みが間違っていたと知ったとき人はどう感じるだろうか。相手に裏切られたと感じないだろうか。それよりも異質な相手なのだとの認識のもとに付き合い、互いに共通点をさがして行くこと、即ち「求同存異」にこそ真の理解が生まれるのではなかろうか。
歇后语
前文 后文 かけことば ⇒ こころ
牵牛花当喇叭 吹不响 朝顔の花をラッパ変わりに⇒ (ほらを)吹いても鳴らぬ。誰も言う事を聞かない
前脚不离后脚 紧挨(密切) 前足は後ろ足と離れない ⇒ きっちりくっ付いている
前晌栽树,后晌歇凉 没那么快当 朝に木を植えて午後その木陰で涼もうとする ⇒ 早計すぎる
浅碟子盛水 一眼看到底 平らな皿に水を入れる ⇒ 一目で底まで見え見え
浅滩行船 进退两难 浅瀬に船を航行させる ⇒ 前へも後ろへも中々進まぬ
枪子儿卡壳 打不响 弾丸の薬莢が弾倉につまる ⇒ 打てない。事が始まらぬ
枪打出头鸟 第一个先倒霉 最初に頭を出した鳥は撃たれる ⇒ 言い出しっぺは損をする
强盗抓小偷 贼喊捉贼 強盗が泥棒を捕らえる ⇒ 悪人が悪人呼ばわりする
强龙斗猛虎 你死我活(都是好汉) 竜と虎の闘い ⇒ 生きるか死ぬか。両雄並び立たず
强将手下无弱兵 师高弟子强強 将のもとに弱卒なし ⇒ 先生が立派なら弟子も当然
墙里的柱子 光出力,不露面(暗中出力) 壁の中の柱 ⇒ 表に出ずに尽力する(縁の下の力持ち)
巧媳妇 难做无米之炊 巧みで利口な嫁 ⇒ ない袖は振れぬ
俏大姐的发髻 输(梳)得光光的 粋な娘さんの結った髪 ⇒ ぴかぴか(=すってんてん)
青石板上刷石灰 一清(青)二白 青石の板の上に石灰を塗る ⇒ 明々白々。清廉潔白
清水煮豆腐 淡而无味 豆腐の水煮 ⇒ まったく味気なし
清晨吃晌饭 早哩 朝っぱらに昼食をとる ⇒ 早すぎる。慌てるな
晴天打雨伞 多此一举 晴れているのに傘をさす ⇒ 余計なこと。一つ余分
请修锁的补锅 找错人啦 鍵やさんに鍋修理させる ⇒ 見当違い。相手を間違える
请客不做菜 空头人情 客を招いてご馳走しない ⇒ うわべの情。人情の空手形
蚯蚓的孩子 土生土长 ミミズの子供 ⇒ 地元の育ち。泥臭さ十二分
娶了媳妇不要娘 忘恩负义 嫁を貰って母親を捨てる ⇒ 恩知らず
娶媳妇嫁女儿 来一个走一个 嫁をとって娘を嫁にやる ⇒ プラス・マイナスでゼロ
去了咳嗽添了喘 毛病不少 咳はなくなったが喘息がでてきた ⇒ 故障百出。問題ばかり
日里点灯笼 白费蜡 昼間に提灯を点す ⇒ 無駄遣い
绒毛鸭子初下河 一切从头学起 雛のアヒルが始めて川に出る ⇒ すべて始めから学び始める。初心者。新参者
如来心肠弥陀面 一生(身)慈悲 如来の心根、阿弥陀の顔 ⇒ 何事もすべて慈悲の心
如来佛打嚏喷 非同小可 如来のくしゃみ ⇒ ただ事にあらず。由々しき事
如临深渊,如履薄冰 战战兢兢 深淵に赴き、薄氷を踏むが如し ⇒ 戦々恐々。おっかなびっくり
撒手的气球 无牵无挂 手から離れた風船 ⇒ 何の気兼ねもこだわりもない
三分面粉加七分水 十分糊涂 饂飩粉三分に水七分 ⇒ 十分どろどろ(=間抜け)
三伏天的凉风 来的是时候 土用の涼風 ⇒ 待ってました
三九天卖凉粉 不识时务 真冬にところてん売り ⇒ 時世・時節をわきまえぬ
三个臭皮匠 顶个诸葛亮 三人寄れば ⇒ 文殊の知恵
三加二减五 等于零 三プラス二マイナス五 ⇒ 結局はゼロ。もとの木阿弥
三岁娃娃贴对联 不知上下 三才の子供が対の短冊貼り ⇒ 上下の区別もわからない
杀鸡取旦 只顾当前利益 鶏を殺して卵を取り出す ⇒ 目先の利益優先
杀鸡用牛刀 小题大作 鶏料理に牛刀を使う ⇒ 些細なことを大げさに
砂锅捣蒜 一锤子买卖 土鍋で大蒜をたたきつぶす ⇒ 一発勝負の商売
筛子当水桶 漏洞百出 ふるいを水桶にする ⇒ 穴だらけ。手落ちばかり
上天摘星星 异想天开 空に上がって星をとる ⇒ とんでもない考え
上岸的螃蟹 横行霸道 陸に上がった蟹 ⇒ 横暴・横行したい放題
上街不带钱 闲溜(看热闹) 街へ出るのに金持たず ⇒ 暇つぶし。ひやかし
舌头上抹蜜 尽讲甜话 舌に蜜を塗る ⇒ 甘い言葉ばかり話す
蛇吞象 不自量 蛇が象を飲み込む ⇒ 身の程知らず
射人先射马 擒贼先擒王 人を射るには先ず馬を射よ ⇒ 伽虿钉椁à毪摔悉蓼菏卓 |
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