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发表于 2008-4-8 22:14:36
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blacksheep630さん、ありがとうございます。ひょっとしてパソコンの天才!?
demiyuanさん、よかったですね。コピペします。
ただ、珈琲では10000文字を超えたらいけないようなので、何回かにわけて貼りますね。
「曖昧」な日本語を再認識
―日本語教育の立場から―
楊暁鐘 曹*紅 (*の字は 左側が「王」右側が「君」です。コピーされなかった)
1 はじめに
よく「日本語はとても曖昧である」①という批判じみた話を聞かされる。これは、日本人社会
のみならず、世界的にも、もはや定着した見方のように思われる。ところが、こういった論調は
話の聞き手の立場から、意味的に曖昧なのか、あるいは、言語学的な角度で論じられているのか
等については、不明なまま、学者から、庶民一般にまで浸透してしまったように思う。
世界的範囲を見渡せば、中国語でも、英語でも、曖昧な表現のない言語はどこにも存在しない
ように思う。そして、日本語を使って、はっきりと話をしようと思えば、十分にできるのだ。だ
から、構造的に日本語は曖昧であることはないと思う。
それなら、どうして日本語は曖昧であると言われているのだろうか。よく問題にされている日
本人の言い回しから考えていきたいと思う。
2 よく問題とされている日本語の数々
2.1 日常会話の類
「かもしれない」や「かも」は日本人が常用している言葉の一つである、西欧諸国のビジネス
マンの間では日本人のことを「maybe」民族と呼んでいるといわれているほどだ。最近、そのよ
うな傾向がいっそう強まる気配を呈しており、話し手本人の感触などをあらわすような場合でも
使われるようになっている。例えば、何かを食べたときに、「これ、おいしいかも」。好きだと思
うものに対して、「好きかも」。行きたいと思っていても「行きたいかも」と言っている。
日本のテレビ番組を見ていると、「…じゃないでしょうか」も、よく聞かされている印象深い
言葉の一つである。
日本の国会議員には「乱闘手当て」という名目のものが実は支給されているそうだ。その廃止が
求められたことで、メディア関係者が「街の声」を聞いたところ、
「それは無駄遣いじゃないですか」「それは廃止すべきじゃないでしょうか」「困るじゃないで
すか、廃止してもらわないと」
44 福井大学教育地域科学部紀要Ⅰ(人文科学 国語学・国文学・中国学編),56,2005
と「…じゃないか」の連続だ。
あまり好ましくないことなので、インタビューに答えている人は話しづらいから、「…じゃな
いか」を使っているのだろうと思っていたら、
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が7月3日の巨人・広島戦で"復帰"することが決まったことにつ
いての街の声も「元気な姿が見られていいじゃないか」とか、「よかったじゃないか、巨人にと
っては」……。
つまり、ことの良し悪しは関係せず、当の本人のことや本人の考えなのに、わざと断定を避け
て「…じゃないか」を使って言っているのである。
これ以外にも、
「おタバコのほう、お飲みになられますでしょうか」「携帯などお持ちですか?」
等のように、断定を避けるという意識から日本の若者が使い出していると指摘されている②。
2.2 多義語の類
「日本人はどういう時に、どのような意味で、「どうも」を使っているのか、さっぱりわから
ない」という中国人留学生がいる。このような感想を抱いている外国人は少なくないと思われる。
「どうもだめだな」「「先日はどうも」「先ほどはどうも」「どうもありがとう」「どうもすみませ
ん」「これはどうも」「どうも、どうも、ご面倒をおかけしました」等のように、日本人は「どう
も」を連発する。三省堂から出版された「大辞林」③で、「どうも」について調べてみると、次の
ように出てくる。
どうも1
(副)
(1)(多く打ち消しの語を伴って)できるだけやってみても。いろいろ努力しても。
(2)原因・理由が判然としない意を表す。はっきりしないが、なんとなく。どうやら。
(3)軽い驚きや困惑の気持ちを表す。何とも。いやはや。
(4)感謝や謝罪の気持ちを表す挨拶の語に添えて、その意を強調する。後半を略して感動詞的に
も用い、また、くだけた挨拶語としても用いる。
多義語であるがゆえに、日本人独特な語感、つまり、さまざまな意味を一つの語句で表現した
がために、中国人留学生には曖昧だなという印象を与えてしまったのであろう。日本人では自然
に使い分けをし、はっきりした意思表示のつもりで「どうも」を使っているにもかかわらず、日
本語は曖昧だという印象を与えてしまったのではなかろうか。
これに似たような言葉や表現が日本語に数多く存在している。
例えば、「くやしい」という言葉には、
楊・曹:「曖昧」な日本語を再認識45
「試合に負けてくやしい」「彼はやりたいことはやった。くやしい死ではない。」「もっと気を
つければよかったと思うと、くやしい」などの用例ができる。
あるいは、「しかたがない」という日本語には
「女だからしかたがないんじゃないのといってあきらめてしまう場合もある」「選挙に負けた
のだから、文句をいってもしかたがない」「娘がかわいくてしかたがない」④など。
日本語には類似の表現はありすぎて、枚挙にいとまがないぐらいだ。これで曖昧といわれても
わからないでもないような気がする。
2.3 政治家用語の類
よく日本の政治家の発言は「言語明瞭、意味不明」といわれている。たとえば、「前向きに検
討します」とか、「諸般の事情から確答いたしかねます」とか、「立場上答弁を差し控えさせてい
ただきます」など、よく耳にする言葉である。
そのなかで、もっとも有名な一例として、ノーベル平和賞を受賞したかつての佐藤栄作元日本
国総理大臣の「善処します」発言である。
この発言がなされたと伝えられたのは1970年10月、ワシントンで、日本の佐藤首相とアメリカ
大統領のニクソンとの首脳会談の席上である。
当時、ニクソン大統領は日本からの低コストの繊維製品輸入急増のため、アメリカの関係業界
から、強い圧力を受けており、首脳会談の機会に佐藤首相に対して、輸出の自主規制などの適切
な処置をとるように要望した。それに対する佐藤首相の答えは「善処します」だった。
この対話の結果、ニクソン大統領は、佐藤首相によって日本国内で繊維製品の輸出を抑える何
らかの具体的な措置がとられると確信した。しかし、その後、日本では、繊維製品に関する規制
の動きは何も起こらなかった。約束を破られたと思った大統領は憤慨し、これがその後の「ニク
ソン・ショック」につながったとされる⑤。
このエピソードについては、幾とおりの解釈もあるが、日本人特有の「丁寧さ」からにせよ、
あるいは、日本の政治家のこの「善処」という言葉に対する暗黙の了解にせよ、そのいずれも、
根底には日本語の曖昧さが潜んでいるといわれている。
(つづく)
[ 本帖最后由 melanie 于 2008-4-8 22:16 编辑 ] |
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